北朝鮮から帰国した拉致被害者が居住する新潟県柏崎市の会田洋、同県佐渡市の三浦基裕、福井県小浜市の松崎晃治各市長は8日、加藤勝信拉致問題相と会い、拉致被害者の調査継続や支援
北朝鮮から帰国した拉致被害者が居住する新潟県柏崎市の会田洋、同県佐渡市の三浦基裕、福井県小浜市の松崎晃治各市長は8日、加藤勝信拉致問題相と会い、拉致被害者の調査継続や支援
「北朝鮮崩壊論」を検証すべきだ! ── これまで保守系メディアや多くの専門家が「北朝鮮は崩壊する」、「金正恩体制は不安定だ」と主張し続けてきました。これに対して武貞さんは、一貫して異論を唱えてきました。 武貞 今回の第7回朝鮮労働党大会は、メディアや専門家たちの北朝鮮分析を検証する非常にいい機会になったと思っています。 これまでも金正恩体制の権力構造は安定していたのですが、今回の党大会で金正恩は朝鮮労働党の委員長に選出され、さらに偶像化を進めていくスタートラインに立ったのです。 これまで、固定観念や希望的観測で、金正恩体制について様々なことが言われてきました。「激しい権力闘争が行われており、非常に不安定だ」という見方もありました。「側近を左遷するのは、権力抗争があるからだ」と決めつけてかかっていたのです。しかし、こうした見方が間違いであることが、今回はっきりしました。 確かに金正恩は、軍人
1年余りの努力を経て、中国は韓国など11カ国・地域の民間団体や機関と共に「日本軍『慰安婦』の声」の世界記憶遺産への登録を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に申請した。(文:蘇智良・上海師範大学教授、世界「慰安婦」資料世界記憶遺産登録申請中国首席専門家) 今回申請した資料は非常に豊富で、主に「『慰安婦』の歴史資料」と「『慰安婦』の調査及び抗争活動」の2部、計2744件からなる。中国、韓国、フィリピン、東ティモールは、第2次大戦時に日本が性奴隷制度「慰安婦」を推し進めた深刻な被害地だ。オランダ植民地のオランダ人女性数百人も慰安所に連れて行かれた。英米なども中国人「慰安婦」被害者の資料を含む「慰安婦」関連文献を多数保存している。慰安婦は戦争の残した世界的問題であり、世界各地の資料と研究成果をまとめることは、全世界が戦争について再考し、女性への侵害を防止するうえで重大な意義を持つといえる。 資料は生
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/kaiken4_000358.html#topic4 【共同通信 下江記者】 ユネスコの世界遺産の問題なんですが,午前中の官房長官の会見でも出てたんですが,韓国とか中国とかの民間団体が,ユネスコの世界記憶遺産に慰安婦を登録したと,これの受け止めと,このことについては去年,南京事件でですね,日本はちょっと苦杯をなめたということがあるんですけども,制度改善,それを受けた制度改善の取組を今後,どう進めていくか。今どれくらい進んで見通しがあるのかどうか,お聞かせいただけますか。 まあ何というか呆れて二の句が継げないですね。「下江さんにお聞きしたいのですが、苦杯とはどういう意味でしょうか?」と正面切って聞かれたらどう答える気ですかね。 下江氏が「南京事件否定論」なら愚かなのは当然です。しかし仮に事実だと下江氏が認める場
国会でストーカー規制法改正の動きが遅い。自民、公明両党は6月2日、公明党がまとめた改正案を検討する与党プロジェクトチーム(PT)をようやく設置した。公明党案は東京都小金井市の女子大生刺傷事件の発端となったツイッターなど交流サイト(SNS)へのメッセージ送信を繰り返す行為を規制対象としているが、すでに平成26年秋にまとめていた。この1年余り、棚ざらしにされていたのが実態だ。 「もう、待ったなしだ!」 公明党が5月27日に国会内で開いたストーカー規制法改正検討PTで、座長の大口善徳国対委員長は5月21日に小金井市で起きた事件を受け、一刻も早く法改正すべきだとの考えを強調した。公明党案をもとに野党側の賛同も得て、秋の臨時国会での改正を目指す。 公明党案は、26年8月に警察庁の有識者検討会がまとめた「ストーカー行為などの規制の在り方に関する報告書」を下敷きにしている。 報告書は、SNSが若者にとっ
終戦直後に台湾で飛行機事故死したとされるインド独立運動の英雄スバス・チャンドラ・ボースの娘、アニタ・ボース・プファフさん(73)がドイツ南部の自宅で産経新聞のインタビューに応じ、インドで70年以上も続く父親の「生存説」に終止符を打つため、東京・杉並の蓮光寺で眠るボースの遺骨とDNA親子鑑定を行いたいとの意向を明らかにした。親子関係が確認できれば、父親の遺骨を祖国インドに持ち帰りたいと語った。(ドイツ南部・アウクスブルクで 岡部伸) アニタさんは、ボースがオーストリア滞在中、秘書だった女性と結婚し誕生した唯一の子供。アウクスブルク大教授を退任し、現在はシリア難民支援などのボランティア活動を行っている。 インドでは、英雄のボースが旧ソ連やヒマラヤ山中で生存しているとの説が依然強いという。 しかし、アニタさんは、「父は台北で事故死したと考えるのが最も合理的だ。終戦後の混乱で散逸した資料が近年公開
中学や高校の化学の授業といえば、「水兵リーベ僕の船」と覚えた元素の周期表が思い浮かぶ。考案したのは、ロシアの化学者、メンデレーエフである。1869年だった。 ▼メンデレーエフはまた、新しい元素が次々に見つかる、との予言も残した。理化学研究所のチームが、アジアで初めて発見した新元素もその一つである。原子番号113番元素の命名権を得て、「ニホニウム」の案が示された。 ▼日本とロシアの化学史にくわしい梶雅範(まさのり)さんによると、メンデレーエフと日本の間には、浅からぬ因縁がある(『メンデレーエフ』東洋書店)。1891年にロシア皇太子が来日したとき、メンデレーエフの長男も海軍士官として、一行に加わっていた。 ▼皇太子が沿道警備の巡査に切りつけられた大津事件では、現場の写真を撮影している。長男が乗船する戦艦は長崎に5回寄港し、計78日間停泊した。その間、長男はタカという日本人女性と深い仲となり、娘
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