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2009年8月15日のブックマーク (6件)

  • 映画監督、松林宗恵さんが死去 「社長」シリーズ、「人間魚雷回天」 - MSN産経ニュース

    人気映画「社長」シリーズなどを手掛けた映画監督の松林宗恵(まつばやし・しゅうえ)さんが15日午前7時10分、心不全のため東京都文京区の病院で死去した。89歳。島根県出身。葬儀・告別式は近親者で行い、お別れ会を9月10日午後1時半から東京都世田谷区成城1の4の1、東宝スタジオで開く。喪主は長男天平(てんぺい)氏。 1952年、上原謙さん主演の「東京のえくぼ」で映画監督としてデビュー。森繁久弥さんや小林桂樹さん、三木のり平さんらが絶妙な掛け合いを見せ、50年代後半から70年代初めにかけて人気を誇った喜劇「社長」シリーズの多くを監督した。 第2次世界大戦中の海軍での体験を反映させた「人間魚雷回天」や「連合艦隊」といった戦争映画にも取り組み、評価された。柔道の山下泰裕さんをモデルにした「山下少年物語」や「関白宣言」などの映画を監督したほか、テレビドラマも演出した。

    cinemathejury
    cinemathejury 2009/08/15
    「人間魚雷回天」録画してそろそろ見ようかと思ってたら…。/それにしても8月15日に亡くなるとは。
  • YouTube - ヤンキー夏帆

    夜露死苦

    cinemathejury
    cinemathejury 2009/08/15
    思ったより違和感がないのが素晴らしい。
  • 2009-08-14

    誰が…?道路にロープ、ミニバイクの23歳女性重傷(スポニチ) http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090814092.html こういう事件が起きると、また映画と関連付けられるのだろうか。映画は影響力を及ぼすし、馬鹿は真似するが、映画そのものへの批判は筋違い。やたら何でも自己責任と言われるこの時世でも、宮崎勤事件時の木村太郎的言説が罷り通りそうだ。全ての犯罪は社会にではなく個人に収斂される筈なのに。 映画『レベル・サーティーン』より。06:00あたりから。 俳優の山城新伍氏が亡くなった。70歳だった。 自分の世代では俳優としてよりもタレントとしての認識の方が早かった。それも今から思えばタレント時代最後のピーク時を見ていたので、以前10歳ほど年下の人と話すともうタレントとしての山城新伍を知らないことに愕然としたことがある。実

    2009-08-14
    cinemathejury
    cinemathejury 2009/08/15
    『新伍のお待ちどおさま』と言えば、CM明けにいきなりどっかのおっさんに飛びかかられたり、観客のおばちゃんから高価な時計を贈られてあわてて返したりするようなハプニング性の高い番組だった気が。
  • 『日本春歌考』の黒沢清監督講演 - 真魚八重子 アヌトパンナ・アニルッダ

    すっごい前の話をいまさら書いて恐縮なんですが、書こう書こうと思いつつタイミングを外していたもので…。 7月22日にぴあフィルムフェスティバルにて、大島渚監督作品『日春歌考』の上映と、黒沢清監督の講座がありました。もちろんお二方ともわたしの映画人生に楔のように影響を与えた監督なので、勇んで行ってまいりましたよ。久々に観るフィルムでの『日春歌考』、良かったなあ…。 幾つもの力が拮抗し、張り詰めてようやく均衡を保ってるような緊張感。黒沢監督が仰っていたように、歌合戦映画なので、誰かの歌が勢力を増すと均衡が破られてしまいます。でも必ず新しい歌が登場して、また新たな戦いの場にさらって行く映画の流れが飽きません。 そこに性の、男女の力の拮抗も入ってくるのですが、中期までの大島渚監督作品では男女の勢力図において、リアリスティックに女性の非力に至らざるをえない形があります。それは母性などという、おため

    『日本春歌考』の黒沢清監督講演 - 真魚八重子 アヌトパンナ・アニルッダ
    cinemathejury
    cinemathejury 2009/08/15
    監督…。
  • 山城さんの話とか -  佐々木浩久、万事快調!

    今日はちょっと苦い打ち合わせ。人に苦渋の選択を伝えるのは辛いが、こういう処理を速やかに行ってくれるプロデューサーには感謝しなくてはいけないかもしれない。ちょっと重い足取りで帰宅しつつ、帰ってからいろいろと連絡事項。立ち止まっている暇はなく、次の段階へどんどん進まないといけないのだ。 世間はお盆休みと言うことで、実は僕としては平日のつもりで打ち合わせに出かけたりしているんだけど、昨日はいつも日曜にやっている家族全員の事会もあったりしてどうも平日ではない感覚になる。だから夕方のテレビのニュースで山城さん死亡のニュースを見たりして改めて今日が金曜日だったことが思い出される。 山城さんとは88年の夏に、黒沢清監督の「スイートホーム」で3ヶ月ほどご一緒した。僕はサード助監督で、特殊メイク担当だったので、山城さんの関わる特殊メイクにも多少携わった。この時の山城さんの印象は、完全に東映のスターと言う印

    山城さんの話とか -  佐々木浩久、万事快調!
  • はてなTシャツをいただきました - ぼんやり上手

    cinemathejury
    cinemathejury 2009/08/15
    マナカナだ!