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創作についてに関するcinemathejuryのブックマーク (22)

  • その人の素顔|平山夢明(作家)×黒木あるじ(怪談作家)対談 「大事なのは信じて書くこと。自分が信じないまま書いたら、読者はついてこない」

    平山夢明(作家)×黒木あるじ(怪談作家)対談 「大事なのは信じて書くこと。自分が信じないまま書いたら、読者はついてこない」 第43回は作家の平山夢明さん。今回は、弟子筋にあたる黒木あるじ氏を司会に、受講生との質疑応答を中心にして、創作について語っていただきました。 ◆構成の作り方/地図を作り、山に登る/説明に逃げないで書く黒木 ではここからは、私が司会進行を務めさせていただきます。と言っても時間的な制約がありますし、平山さんに質問したいという受講生もたくさんいると思います。そこで、会場から質問を募り、それをもとに話を進めていきたいと思います。平山さん、そのような形でいかがでしょうか?平山 そうですね。書いているときに、こういうところが難しいんだとか、こういうときはどうすればいいんだとか、そういうのがあれば、僕のわかる範囲でお答えして、それ以外は多分ぐちゃぐちゃ喋ります(笑)。女性の受講生 

  • 何と1年ぶりに更新 2012年を振り返る -  佐々木浩久、万事快調!

  • 映画『先生を流産させる会』の改変問題について考える - Devil's Own

    内藤瑛亮監督の自主映画『先生を流産させる会』の一般公開が決まった。剣呑としたタイトルから公開は危ぶまれていたが何とかがんばってくれたようだ。私は昨年のカナザワ映画祭で大畑創監督の『へんげ』(こちらも公開が決定。大のつく傑作です。)と2立てで見て、このブログにも書いた。『先生を〜』は昨年の極私的な映画ベスト10の中に唯一ランクインした日映画である。よくできているとおもうし面白いので万人受けはともかく興味を持った人にはおすすめです。 公開決定とほぼ同時にネットでは批判の声が。予想通りというべきかタイトルが一人歩きするという現象が起こってしまった。 マジキチすぎる映画 『先生を流産させる会』劇場公開決定:キニ速 http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3317891.html 「まともな神経してたらこんなタイトルの映画みようと思わないよな」「こんな

    映画『先生を流産させる会』の改変問題について考える - Devil's Own
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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  • その人の素顔|平山夢明(作家)×深町秋生(作家)対談  「最初の種になる仕事が好き」

    第20回は作家の平山夢明さん(聞き手は講座出身の作家の深町秋生さん)。アイディアの生み出し方や小説に対する想い、そして東日大震災について話していただきました。 ◆大藪春彦賞受賞作『ダイナー』/執筆は人間の生理に反する ――『ダイナー』で第13回大藪春彦賞を授賞されました。おめでとうございます。傑作ですけれど、料理の描写がとくにすばらしいですね。料理はするんですか? 平山 おれ、料理しないんだよね。せいぜいゆで卵とかカップヌードル作るぐらい。べるほう専門。 ――『ダイナー』では、ハンバーガーを作る過程も詳しく書いてます。 平山 おれは肉がえないんだけど、ひき肉にしたハンバーガーならいけるんだよ。だから舞台をハンバーガー屋にしたんだけど、取材のためにあちこちいに行ったよ。いろんなものをって、ひとまず研究してみようと。原宿とかにあるんだよね。小じゃれた店がさ。そこでいろいろったけど、

    cinemathejury
    cinemathejury 2011/05/31
    メガネ男子・深町先生。
  • 鈴木則文監督と撮影所映画の終焉に関して私が知っている二三の事柄 -  佐々木浩久、万事快調!

    「ドカベン」がなぜ面白いのか? 「今のがどうして面白いかというと」というのは林家三平のギャグの一つだが、久々に「ドカベン」を観て、なんで鈴木則文が面白いのかというと。ということを書きたくなった。これは映画の作り方や観る作法にも関係してくるとおもうからだ。 映画「ドカベン」は意外にも、水島新司の原作に物語運びは忠実に作られている。だから映画の殆どは柔道部編で展開し、野球編は後半の10分程度のエピソードに強引にまとめられている。たぶん東映としてはシリーズ化を目論んだからだろう。で、これは鈴木則文監督を再評価される時によく出てくる言だが、漫画的表現を当にしょぼい特撮でもなんでも使ってこれもまた忠実に再現している。忠実に再現しようという余りに「やりすぎ感」が出すぎて、かなりリアリティを欠いたものになっている。確かにそれはひとつの特徴と言える。 しかし、それでいて最近の劇画やアニメの映画化のように

    鈴木則文監督と撮影所映画の終焉に関して私が知っている二三の事柄 -  佐々木浩久、万事快調!
  • 小公女セイラ1〜4話 脚本・岡田惠和 - 成馬零一が考えていること。

    一話 http://www.tbs.co.jp/seira2009/ 面白いけど、いきなり二時間はキツかった。 お父様が亡くなったって報告が入る所で終ればよかったのに。 何か詰め込みすぎて、ケータイ小説みたいになってたけど、それが意図したものなら、なるほどって思う。 磯山晶、金子文紀 っていうクドカンドラマのスタッフが、この枠やるのって、結構挑戦だと思うんだよなぁ。しかもそこに岡田惠和さんも入って。 でも見てて思ったのは、ルーキーズとか恋空みたいなベタ化したドラマ(というよりは、ドラマの形をした感情を刺激するためのサプリメント)に対抗しようと思った時に古典が浮上してくるって対立構造が面白いなぁって思った。 『新・三銃士』と『不毛地帯』も、そういう文脈でしょ。多分。 その意味で三谷が三銃士やって、岡田さんがセイラやるってのは凄いなぁって思う。 役者はみんな良いけど、馬鹿っぽい子がかわいいと思

    小公女セイラ1〜4話 脚本・岡田惠和 - 成馬零一が考えていること。
  • さくらんぼテレビ

    小説家(ライター)になろう講座 (9月講師・茶木則雄氏) (ゲスト 吉野仁氏・深町秋生氏・柚月裕子氏) 『 大切なのは、自分の文章を「おかしい」と感じる力 』 9月の講師は、ミステリー評論家の茶木則雄氏。  80年代なかばに、東京で初めてのミステリー専門書店「ブックスサカイ深夜プラス1 」を開店し、カリスマ書店員の草分けとして活躍する一方、各紙誌で熱い書評をし、「の雑誌」ではギャンブルと家族とにまつわる爆笑エッセイ「帰りたくない!」を連載して(後に同題で上梓、文庫化もされて)、多くのファンをつかんだ。  一時期、ライターに専念したものの、数年前に書店の現場に復帰し、ときわ書房に勤務しながら、現在、評論家兼エッセイスト、さらに文学賞の選考委員として多忙な日々を送っている。 講座は茶木氏の挨拶からはじまった。 「山形のこの講座には何度か来ています。会場を見渡しても、三分の二くらいは見たこと

  • RiP! リミックス宣言 (2008) - 映画評論家緊張日記

    監督:ブレット・ゲイラー 公式サイト (承前) 山形ではコンペ中心に何映画を見た。グランプリを受賞したカナダの『包囲--デモクラシーとネオリベラリズムの罠』はハイエクあたりからはじまってネオリベラリズム思想がいかに世界に浸透し、世界銀行、IMF、WTOの三つのしもべを使っていかに貧困と格差のグローバリズム社会を作っているかを論じる山形浩生が見たら口角泡を飛ばして罵倒しそうな映画だった(もちろんシンクタンクも悪の枢軸の一員なので無問題)。あるいは『アムステルダム(新)国立美術館』では ,アムステルダム国立美術館の改装計画が「通路を守れ!」をスローガンに掲げる自転車乗り団体(オランダではサイクリストは最強のロビイストなのである)の抗議のせいでいつ終わるともしれない仕様変更地獄に陥ってしまう。あるいは特別招待作品の『こつなぎ--山を巡る百年の物語』では山の入会権をめぐる争いが描かれる。そして

    RiP! リミックス宣言 (2008) - 映画評論家緊張日記
  • 演出って難しい - にゃんにゃんゾンビ村

    選挙に行く。 そば屋で昼。散歩ついでに夕飯の買い出し。 チンジャオロースで使った豚肉が余っているので、生姜焼きを作る。野菜も欲しいので、タケノコ・里芋・人参・シイタケの煮物。干しシイタケを水で戻して、その戻し汁に醤油・みりん・砂糖を合わせ、圧力鍋で煮る。圧力がなくなるのを待つあいだに凍み豆腐を湯で戻して、その後煮物に投入。 夜はずっと原稿書き。でもまだまとまらない。うまく書こうとするからいけないんだよな。 昨日の講評で井川さんと西山さんが言っていたことは大事なので、記憶を頼りに、俺の解釈も含めてメモ。 ・セリフとは、他者への働きかけだ。しかし内面の吐露になってしまうことがままある。 ・内面の吐露になると、それは作品解釈の説明になってしまう。 ・作り手も役者も、すでにシナリオによって作品がどう進行するか知っている。だから作品(人物)解釈の説明に堕してしまうことがある。 ・しかしそうではなく

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  • 面白さのふしぎ・参照快感 - 絶叫機械

    ヱヴァ破をみた。 プリシラ・ロバーツのボレロみたいでした*1。好きとか嫌いとか肯定するとかしないとか、そういう細けえことはどうでもいいんだよ。いや肯定するけどね。されたけどね。徹夜明けみたいに「100%わかった」気がしたもん、見終えてすぐは。まあ歌謡曲は最初劇伴じゃなくてBGだと勘違いしたけど。ダミープラグ起動すると流れ出すのあの曲が。超こわいなにそれ。 ヱヴァ破の、ていうかエヴァのきらいなとこ。 そんな「100%面白い」ヱヴァ破だけど、劇場で観てて、二ヶ所だけ、すっごく違和感をおぼえたシーンがあります。いわゆるサービスシーンというやつだろうか、二ヶ所ともギャグとして、14才の少女をほぼ全裸の姿にしていたのね。物語上まったく必然性はなく、なおかつ少女の裸体に欲情できないぼくには、それはとても不要に思えたし、すっかり素に戻されて迷惑ですらあったんですよ。 だってさあ、もういらないじゃんか、裸

    面白さのふしぎ・参照快感 - 絶叫機械
  • 小説のルール - 深町秋生の序二段日記

    ある短編小説の新人賞の下読みをした。 50読んだのだけれど、総じて文章のリズムはうまい。けれど小説をちょっと誤解したまま書いた作品が少なくなかった。 小説は、書き手の妄想や欲望を自由に描ける個のメディアであり(共作の人もいるけれど)、自由であればあるほどすばらしいとは思うけれど、基的な原則はやっぱりある。一見、椅子や机が飛び交うプロレスがアナーキーかつフリーダムに見えても、万国共通でヘッドロックは必ず左脇でかけるというルール(追記。メキシコは逆)があるように、ある程度の原則を踏まえていないと小説と呼ぶにはちょっと厳しい出来になってしまうのである。 最近のテレビドラマや映画の影響もあるのかもしれないが、キャラの心情がいやにストレートすぎたりする。たとえばある日映画で土砂降りの雨のなかでキャラクターが佇んでいるというシーンがあった。つまり大量の雨を降らせることでキャラの悲しみを描いたつも

    小説のルール - 深町秋生の序二段日記
    cinemathejury
    cinemathejury 2009/08/05
    とりあえずソープ行ってきます。
  • ファンタジーに於ける女の子の暴力 - ロココの足袋

    戯言帳面 仕事柄なのか何なのか、状況を語る文章を読むとき、頭の中で視覚化するクセがある。現在炎上している某記事の「思春期の女の子(とその親)を傷つける発言をして、女の子にビンタを喰らった」くだりを読んで、それを脳内視覚化したところ、記事と全く関係無い方向に、私の思考が漂い始めた*1。こういう場面って、前にも見た事あるような…。そこらへんを思いつくままに書き出してみる。記事の内容が虚構だと指摘しているのではないので誤解の無いように。 悔しさで涙ウルウルになった、気の強い女の子にビンタされる場面。マンガ、特に少年/男性向けの恋愛マンガにありがちなシーンだ。残念ながら手元に提示出来る資料無いけど、私の記憶の中では手垢の付いた展開という印象だ。読者、視聴者の対象に隔たり無く、恋愛(性愛)ファンタジーにはある程度押さえどころのパターンが決まっていて、それが所謂「萌えの属性」としてカテゴライズされ

  • わたしの文章修行 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

    文章読の類を読むようになったのはいつごろだったろうか。中学かあるいは高校の時分だったように思うがよく覚えていない。最初に読んだのが丸谷才一だったのは覚えている。それからとくに自覚的に選ぶということはなくたまたま目にとまったもの手にふれたものを読んできたのだけれど、それは体系だった仕方ではないにしてもわたしの文章の読み方書き方に影響を与えたことに振り返って気がつかされる。 はてなダイアリーで文章の書き方についての諸説が先日来にぎわっているのをみて、自分がいままで通り過ぎてきたそういう書物について、論じるというのでもなく、むしろものづくしのように並べてみたいとおもった。以下、記憶に頼って書くので洩れもあるのかもしれない。たとえばあの谷崎の『文章読』、有名なでもありどこかで読んでいてもおかしくないのだが、しかしわたしには谷崎を読んだという記憶がない。あるいは記憶の底に沈積しているのかも知れ

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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    cinemathejury
    cinemathejury 2009/05/11
    そういえばあんまり“~”って使わない…。
  • 「いつも上司を殺していた」蛭子能収流・今を生き抜く処世術

    独特の絵柄と支離滅裂なストーリーのサブカルマンガを描きつつ、ぼさぼさ頭でエヘへ~と笑いながらバラエティ番組に飄々と登場する。俳優や映画監督としても活躍し、筋金入りのギャンブラーとしても有名な”元祖エビちゃん”こと、蛭子能収。そんな蛭子氏の最新作『えびすビンゴ』(長崎出版)が今年2月に発売された。これは、身の回りに居がちな腹が立つ人・目障りな人などを、蛭子流の視点でおもしろおかしく描いたイラスト集。車内マナーの悪い人、目障りなカップル、ありえない格好をするオヤジ……など、思わずイラッと感じる人達でも、これを読めば笑い飛ばせてしまう。そこで今回、「えびすビンゴ」の発売を記念して、蛭子流・人間論について話を聞いてみた。 ――最近、『えびすビンゴ』で描かれているように、車内マナーが悪い人って当に多いですね。 蛭子 怒りっぽい人が増えましたね、電車でもどこでも。うちの女房もそうだけど、今の人は怒っ

    「いつも上司を殺していた」蛭子能収流・今を生き抜く処世術
  • 私たちはなぜ狂わずにいるのか - 唐変木

    面白いを読んだのでまとめてみました。著者は精神科のお医者さんです。著者自身の患者さんとの体験を科学的に推論した結果が簡潔にまとめられていました。そこいらの似非カウンセラーの話なんかよりもよっぽど興味深い仮説が出されていると思った。 私たちはなぜ狂わずにいるのか (新潮OH!文庫) 作者: 春日武彦出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2002/04メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 14回この商品を含むブログ (17件) を見る なぜ私達は狂気の物語にひきつけられるのか。ある程度共有できる部分があるからだ。 精神病の人が語る,狂気の物語は突飛ではあっても紋切り型で陳腐なものが多い。それは語る人の心情を暫定的に言語化しているだけだからだ(患者自身が語る際に重視しているのは内容ではなく,心情の比喩としての部分である)。それを信じているような言動をするのは,(他人だけでなく自分の)言語化し

    私たちはなぜ狂わずにいるのか - 唐変木
  • 2009-03-18

    映画映画だ、そして映画は現実です。たんじゅんに言えば。 現実の中で映画を観て、映画は現実に還る。わたしの中で。 その現実はかつて映画に取り込まれていた現実。 映画は芸術とは関係ない。 でも芸術であってもかまわない。 また芸術でなくてもかまわない。 そして、 編集ですらべつだん、それは映画ってわけでもないかもしれない。 編集なんてただの、映画に至るための段取りでしかないんじゃあないの? もう『悲夢』が素晴らしくてすばらしくて♪ なによりもかによりもとてつもなく 最高に良かったのは、オダギリジョーが石を彫るときのあの音! わたしの中の、聴覚の フェティシズムが開かれて がしゅがしゅってきこえるたびにみみがぴきんぴきんと反応して 神さまああこの音は、いったいなんということですか。 そしてスタッフさんあの音を選択して下さってありがとうって泣ける思い。 オダギリジョーの寝室の、蒲団の藍色にも惹かれ

    2009-03-18
  • 飲み会でとなりに座った女の子 - 空中キャンプ

    エヴァンゲリオン』の監督である庵野秀明さんは、飲み会でとなりに座った女の子に自慢できるアニメを作りたい、という気持ちで『エヴァ』を作ったという。とてもいい話である。わたしはこのエピソードがすきだ。なんだか元気がでてくる。この話を聞いて、「そんな低次元の目標のために表現をするのか」「誰にどうおもわれようと関係ないのではないか」などと反対意見を述べるのは、さみしいことだとわたしはおもう。 それまでの庵野さんは、自分がアニメ制作者であることを恥じ、たまたまどこかの飲み会に参加したときに職業を訊かれたりすると、会社員ですなどとごまかしていた。このままではいけない。友だちに呼ばれた飲み会で、ぐうぜんとなりの席に座った、CLASSYを読んでそうなコンサバOL(26歳)にもちゃんと説明できて、なおかつ「見たらぜったいおもしろいから、今度見てね!」と胸をはっていえるアニメを作る。それが庵野さんの目標だっ

    cinemathejury
    cinemathejury 2009/03/20
    ぼくも飲み会で隣りに座った女の子に自慢できるようなブログを目指しています。
  • 江頭に物申す!「DRAGONBALL EVOLUTION」 - ゾンビ、カンフー、ロックンロール

    四海鏡さんのエントリーで江頭2:50が映画を出している事を知った*1。四海鏡さんは前書きから一節を引用し、『批評する側に立った人間が、こんなにもハッキリと「批評することは簡単だけど、創ることは難しい」と言うのには、当に勇気がいるんじゃないかと思う。』と褒めてらっしゃるのだけれど、ボクにはイマイチそれが褒めるに値しないのではないか?と思ってしまった。 以下、四海鏡さんが引用した江頭2:50による前書き。 でも、みんなにこれだけは言っておきたい。 例え、どんなにつまらない映画があったとしても、批評するオレより映画のほうが上だ! もし、その映画がウンコでも、オレはそれをエサにしてしか生きていけないハエなんだ。 批評することは簡単だけど、創ることは難しいぜ!そこだけは心して読んでくれ。 一応、屋で一通り立ち読みしてみたのだけれど、文脈上も四海鏡さんがおっしゃっているように、創作者へのリスペク

    江頭に物申す!「DRAGONBALL EVOLUTION」 - ゾンビ、カンフー、ロックンロール