1950年代以降、ソ連への脅威を背景に、米国はソ連への監視体制を強化していきます。今回の投稿では、諜報手段が偵察機から衛星に移行する過程で、ロッキードなどシリコンバレーの一部企業が台頭していく様子がよく分かります。(ITpro) 1949年のソ連初の核兵器実験と1950年の朝鮮戦争の勃発は、米軍と政治家の首脳部による冷戦へのパラノイア(偏執病)を煽りました。米国の諜報機関は、ソ連内部で何が起こっているのか調べる決心をしました。ところが、ソ連の秘密防衛は非常に強固でした。CIAは諜報収集に必死になり、ロッキードが製造したU-2機を、1956~1960年の間に24回も、ソ連の上空に侵入させ軍事基地の写真を撮影しました。 しかし米軍は、U-2機がソ連の上空を飛び始めたときから、ソ連領土の上空からの諜報収集は、偵察機によるものではなく、数百マイル上空の軌道を飛ぶスパイ衛星からになるだろうと考えてい