これは以下の日記の続きです。 →「沖縄集団自決訴訟」は、『沖縄ノート』の誤読に基づく、という説(罪の巨塊) 以下のところから。 →曽野綾子の「誤読」から始まった。大江健三郎の『沖縄ノート』裁判をめぐる悲喜劇。 - 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』 作家や新聞記者にとって問題は現地ばかりにあるのではない、言葉にもあるのだ。いや、すべては言葉なのだ。 これはひどい。「SAPIO」2007年11月28日号、「沖縄集団自決と従軍慰安婦=なぜ日本人はデマに平伏してしまうのか」(池田信夫×曽野綾子)p32 決定的だったのは、大江健三郎氏がこの年刊行された著書『沖縄ノート』で、赤松隊長は「あまりに巨きい罪の巨魁」だと表現なさったんです。 私は小さい時、不幸な家庭に育ったものですから、人を憎んだりする気持ちは結構知っていましたが、人を「罪の巨魁」と思ったことはない。だから罪の巨魁という
←この記事にピーンときたら、ワン・クリック、お願いします! 大江健三郎の『沖縄ノート』をめぐる名誉毀損裁判で、被告の大江健三郎自身が大阪地裁に出廷し、かなり詳細な証言をしたことから、特に保守陣営側から、証言内容はそっちのけの、大江健三郎に対する激しい批判と罵倒が新聞やネットに氾濫したわけだが、驚くべきことに、と言うか、当然と言えば当然のことにと言おうか、大江健三郎批判や罵倒を繰り返す人たちが、揃いもそろって、問題の本、つまり大江健三郎の『沖縄ノート』は言うまでもなく、曽野綾子の『ある神話の背景』(『集団自決の真実』に改題)さえも、二冊とも本屋に行けばいつでも手に入るにも関わらず、ろくに読まずに、マスコミ情報やネット情報を元に、大江健三郎批判や罵倒を繰り返していることがわかり、いささかシラケルと同時に、あらためて最近の保守論壇や保守思想、ネット右翼のあまりの無知無学、思想的レベルの低さに愕然
44.9 梅澤裕少佐を隊長とする海上挺進第1戦隊が座間味島に駐屯 45.3.23 米機動部隊来襲、座間味集落全焼 45.3.25 空襲、艦砲射撃。「忠魂碑前に集合、玉砕」の連絡。住民集合するが、空襲が激しく防空壕に避難 45.3.26 米軍将兵上陸。産業組合の壕で役場職員・家族ら集団死。他の壕でも集団死 45.3.29 米軍がほぼ征圧し、米国海軍軍政府布告第1号「南西諸島における日本のすべての行政権,司法権を停止し、最高行政の責任は占領軍司令官の権能に帰属させる」を公布 45.4.10 米軍、第2次攻撃本格化。梅澤隊長、各隊に独自行動を命令 45.4.29 この日を境に住民の投降始まる 45.5 住民に集落への立入許可が出る。下旬に集団死の遺体収容始まる 44.9 赤松嘉次大尉を隊長とする海上挺進第3戦隊が渡嘉敷島に駐屯 45.3.20 兵器軍曹が役場職員、17歳未満の青
政治少年死す (セブンティーン第二部) 大江健三郎 1 夏はまさにあらわれようとしていた、空に、遠くの森に、海に、セヴンティーンのおれの肉体の内部に、夏は乾いた鋪道の地面にむかってゆるめられる消火栓からの水のように盛んに湧こうとしていた‥‥ おれは雨あがりの朝、左翼たちの集団が包囲をといた国会議事堂前広場を、青年行動隊の仲間たちと訪れて缶ビールを飲んだ、勝利を祝うために。おれは勝利にわずかながら酔い、そしてもっと豊かな寂蓼感を頭のなかに、また胸のなか躰中の筋肉のなかに熱いむずがゆさのように育てた。左翼たちは石器時代の人間のように石をその武器とするために、現代の工夫が固めた鋪道の石を剥ぎとっていた、その剥ぎとられ掘りおこされた鋪道の上に、おれは踏みにじられた娘の死骸の幻影を見た。もっと多くの死骸がそこに横たわるべきだったのだ、左翼どもの暴動、市街戦、そして雪のふりしきるさなかまで、
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