現在、マスコミを初め、多くの日本人が、東京地検特捜部のリーク情報による巧妙な情報操作に見事に幻惑され、誘導されて、「西松建設献金事件」、ないしは「小沢氏秘書逮捕事件」の細部について反論したり、批判したして、侃々諤々の議論を展開しているが、それこそまさしく、東京地検特捜部の思う壷であることを知らなければならない。言い換えれば、検察側のリーク情報に反論したり、批判したりすることが、東京地検特捜部がデッアゲたストーリーの土俵に乗ることであり、それこそが、あるかないか、まだ分からない犯罪事実を既存化させる検察側の狙いなのである。無理かもしれないが、西松事件の本丸は、東京地検特捜部の「国策捜査デッチアゲ事件」にあるのだから、「政治とカネ」問題とか「献金」事件の細部など無視・黙殺するべきで、むしろ、今、問うべきは、東京地検特捜部という「国家の暴力装置」が、何故、今、露骨に社会の表面に突出してきたのか、