震災復興の司令塔を担う復興庁の発足から10日で1年を迎える。同庁は復興政策を加速させるため、他省庁より強い権限を持たせる上位官庁と位置づけられ、復興相には他の閣僚への勧告権が付与された。だが、その「伝家の宝刀」は一度も行使されたことがない。 「なんだ、これは」 昨年9月。報道で復興予算の流用を知った平野達男復興相(当時)は、財務省幹部を呼びつけた。反捕鯨団体への対策や自衛隊によるデジタルカメラ購入……。復興政策のあり方が根本から問われかねない危機と思ったからだ。 復興庁の政務三役の一人は「他省庁と表でケンカしないと復興事業すべての看板に泥を塗ることになる」と進言したが、平野氏は閣内対立が表面化するのを嫌い、予算の執行停止などを他の閣僚に求める勧告権は封印。平野氏は一度も勧告権を行使しなかった理由を「勧告権は他省庁より一段上という象徴。(強制力が不十分なため)『こうやれ』と言っても納得
愛知県蒲郡市の中学校で、先月、理科の担当教諭が、実験がうまくいかなかった生徒2人に対して水で薄めた塩酸を飲ませていたことが分かりました。 生徒は健康被害は訴えていないということですが、市の教育委員会は、教諭の処分を検討することにしています。 蒲郡市教育委員会によりますと、先月18日、市内の中学校の23歳の理科の担当教諭が、理科室での授業中に実験がうまくいかなかった生徒2人に対して塩酸を水で100倍に薄めた液体それぞれ15ミリリットルをビーカーに入れて飲ませたということです。 1人はすべて飲み干して、もう1人は口に入れたあとすぐに吐き出したということで、いずれも健康被害は訴えていないということです。 18日、一部の保護者から学校に連絡があり、教諭を問いただしたところ塩酸を飲ませたことを認めたということです。 教諭は実験前、生徒全員に「失敗したら塩酸を飲んでもらう」と話していたということで、「
This copy is for your personal, non-commercial use only. Distribution and use of this material are governed by our Subscriber Agreement and by copyright law. For non-personal use or to order multiple copies, please contact Dow Jones Reprints at 1-800-843-0008 or visit www.djreprints.com. http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2012/10/01/fukushima-watch-confessions-of-an-unlikely-anti-nuclear-convert/
「まさか原発がそこまでの事故を起こすわけがない」と信じていた漫画家小林よしのりが、「考え直さなければ」と思ったのは3月11日の事故から何週間もたってからだった。 The Wall Street Journal 1953年生まれで『鉄腕アトム』を読んで育った世代。アトムの妹はウラン、兄はコバルト。原子力関連の言葉がちりばめられていた。何の抵抗感もなかった。 ところが、福島第1原子力発電所の事故では、ずっと炉心損傷を否定していた東電や政府が数カ月後に一転してメルトダウンを認めたり、米軍から北西への放射能拡散の情報を提供されていたのに住民を避難させていなかったことが明らかになったり、次から次へと政府と東電のうそやお粗末な対応が明るみに出るに至り、小林は誰も信じられなくなった。 石原慎太郎東京都知事や評論家の桜井よしこといった右よりの知識人のほとんどは、原発を手放してはいけないと主張している。19
トップ > Chunichi Bookweb > 自著を語る > 記事一覧 > 記事 【自著を語る】 『ゴーマニズム宣言 SPECIAL脱原発論』 小林よしのりさん(漫画家) Tweet mixiチェック 2012年9月11日 ◆維持派の嘘 全部暴いた 出来る限り早期の原発ゼロ達成が圧倒的な民意だということは、誰の目にも明らかなのに、その民意が政治につながらない。これが今の問題です。 政府や専門家と称する人たちは、どんなに圧倒的な民意を見せつけられても「ポピュリズム」「感情論」のレッテルを貼って無視しようとします。 自称保守の知識人は、「脱原発は左翼思想だ」と決めつけますし、それに影響される「ネトウヨ(ネット右翼)」と呼ばれる者たちは、脱原発デモを「売国奴」だの「国賊」だのと罵(ののし)る有様です。 わしも、『脱原発論』で即時の原発全廃を強く主張して以来、散々「国賊」呼ばわりされています
SPEEDI開発者が苦言 放射線影響学会、仙台で開幕 放射線科学や環境測定の研究者らでつくる日本放射線影響学会の大会が6日、仙台市青葉区の東北大川内北キャンパスで始まった。8日まで。福島第1原発事故に関する被ばく評価や環境影響についての報告があった。 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の開発に携わった日本原子力研究開発機構の茅野政道氏は「文部科学省や原子力安全・保安院が、受け取った予測計算を有効に使えなかった」と振り返った。 原子炉などのデータが得られず精度が低かったとする政府の主張には「自然災害では不確実な予測でも対策に生かすのに、原子力災害で完璧な情報を求めるのは理解できない」と苦言を呈した。 福島県立医大の大津留晶教授は「原発事故に関連した疾患が発症するまでには4、5年はかかるとみられる。その前に健康に関するデータを集めることが重要だ」と指摘。「低線量
東京電力福島第一原発の事故を受けて、文部科学省が学校の屋外活動を制限する放射線量の目安を年間の積算で20ミリシーベルト未満とし、保護者などから批判が相次いだ問題で、文部科学省は、当時の対応を検証する報告書の案で「保護者の立場に立って、不安に真摯(しんし)に応える姿勢が十分ではなかった」と不手際を認めていることが分かりました。 しかし、なぜ20ミリシーベルトより低い目安に設定できなかったか、詳しい経緯は検証されておらず、専門家は、検証が不十分だと指摘しています。 福島第一原発の事故を受けて文部科学省は、去年4月、学校の屋外活動を制限する放射線量の目安を海外の専門機関が原発の非常事態の収束後は住民の被ばく量の上限を年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトにするよう勧告していることを参考に20ミリシーベルト未満にすると発表しました。これに対して、保護者などから子どもに20ミリシーベルトは高すぎ
文部科学省が福島第一原子力発電所の事故対応を検証した報告書をまとめ、事故の直後に原発の北西部に職員を派遣し、高い放射線量を測定したのは、SPEEDIという放射性物質の拡散予測を基に調査地点を選んだ結果だったことが分かりました。 専門家は、SPEEDIの予測が実際の放射線量に結びつくことに早くから気づいていたにもかかわらず、データを直ちに公表しなかったのは大きな問題だと指摘しています。 福島第一原発の事故を受けて、文部科学省は、所管するSPEEDIなどの対応について検証していて、NHKはその報告書の案を入手しました。 この中で文部科学省は、全体的な対応について「内外におけるコミュニケーションで不十分な面があった」と対応の不備を認めています。 このうち、原発から最も多くの放射性物質が放出された去年3月15日の対応について、文部科学省は原発から北西およそ20キロの福島県浪江町に職員を派遣し、午後
美化することなく、英雄扱いすることなく、感謝も、慰労も求めておりません。ただただ、被災者の安心と被災地の復興のために必要な装備と、活動に対するご理解をいだたきたくて、国民の皆様にお伝え致します。 1.被災地の実情 多くの被災者は、想像を絶する悲しみや心身の苦痛を伴いながらもなお、冷静さを保って不自由な生活に辛抱されておられます。 しかしながら、被災地の現実は、きれいごとや美談ばかりではありません。 被災地では、地震および津波発生以来、避難者の自宅への不法侵入による窃盗や、ドラッグストアやスーパーからの商品窃盗、銀行その他のATMや金庫の破壊および盗難、車両の給油口をバールでこじ開けてのガソリン窃盗なども発生しています。 被災者に生活物資を法外な値段で売りつける輩 また、地元住民ではない人たちが自警団の目や警察の巡回をかいくぐって窃盗行為を行ったり、東京ナンバーの車両が、避難所周辺でロウソク
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、気象庁が同原発から出た放射性物質の拡散予測を連日行っているにもかかわらず、政府が公開していないことが4日、明らかになった。 ドイツやノルウェーなど欧州の一部の国の気象機関は日本の気象庁などの観測データに基づいて独自に予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開している。日本政府が公開しないことについて内外の専門家からは批判が上がっており、政府の原発事故に関する情報開示の在り方が改めて問われている。 気象庁の予測は、国際原子力機関(IAEA)の要請に基づくもの。国境を越える放射性物質汚染が心配されるときに、各国の気象機関が協力して拡散予測を行う。 同庁では、東日本大震災当日の3月11日から毎日1〜2回、拡散予測を計算している。具体的には、IAEAから送られてきた放射性物質の放出開始時間や継続期間、どれくらいの高さまで上ったかを、風向きや天
放射能汚染の恐怖と闘いながら、決死の作業が続く。15日朝に大きな爆発が起きた2号機。東電や協力企業の作業員ら800人が水の注入作業を行っていたが、爆発に伴い、「必要最小限」という50人を残し、750人が一時、現場から離れた。被曝(ひばく)を避けるため、放射線量が高くなると作業を中断しなければならない。15日午前、隣接する3号機付近で観測された400ミリ・シーベルトの環境下で作業できる時間は15分が限度。津波による被害で、停電も続く。照明がつかないため真っ暗な建屋内で、作業効率はあがらない。余震が続く中、津波警報で作業の中断を余儀なくされることもある。400ミリ・シーベルトを記録したのは、作業員が携帯する放射線監視装置だった。 12日午後、高圧になった1号機の格納容器内の蒸気を逃すための弁が開放された。格納容器に亀裂が入る最悪の事態はまぬがれた。その弁を開ける作業にあたった男性は、100ミリ
【東スポ創刊50周年企画「時空自在」】今年は1999年1月31日に肝不全のため亡くなった“世界の16文”“東洋の巨人”ジャイアント馬場さん(本名・馬場正平=享年61)の十三回忌に当たる。「プロレス界の巨星墜つ」の衝撃に当時、日本中が悲しみに包まれたが、死去から正式発表までの間には「空白の27時間」が存在していた。偉大なる故人を悼むと同時に、当時は明かされなかった「空白の時間」を再検証する。 99年1月31日午後4時4分、馬場さんは東京・新宿区の東京医大付属病院で肝不全のため亡くなった。前年の暮れから体調不良がささやかれ、年が明けた1月8日には腸閉塞の手術を受けて成功したものの、入院は続いたままで肉声は聞かれることなく、容体が気遣われていた。 病室に入ることができたのは夫人の元子さん、和田京平レフェリー、仲田龍リングアナ(現ノアGM)、そしてごく近い親族の「馬場ファミリー」だけに限られて
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く