エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
【旧東海道】その14 小田原宿と小田原城と海嘯(その3)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【旧東海道】その14 小田原宿と小田原城と海嘯(その3)
地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げてい... 地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 前回は、明治35年の「小田原大海嘯」を齎した台風と海岸の防潮堤について説明しました。今回は一転して、小田原城と小田原宿の成立の歴史を追います。 最初にこの項を書こうと思った時の疑問点は、「宿場と城と、どちらが先に発生し、その後どの様に関係する様になったのだろう」ということでした。基本的には海岸沿いの砂丘の上から早川沿いの尾根の麓へと緩やかに移行する道筋を持つ東海道と、山の上に天守を持つ小田原城の位置関係が、どの様にして現在見られる形に落ち着いたのだろう、という問いを思い立ったからです。そこで例によって地元の市史に