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「余命2年」― 診察室の白い壁と、僕の頭の中の「白」。僕が本当の意味で腹を括るまでの、序章。|OZZY@52歳からのワンオペ介護日誌
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「余命2年」― 診察室の白い壁と、僕の頭の中の「白」。僕が本当の意味で腹を括るまでの、序章。|OZZY@52歳からのワンオペ介護日誌
こんにちは、OZZYです。 今日から、僕とオカン(母)の介護にまつわる日々を、少しずつ振り返りながら綴... こんにちは、OZZYです。 今日から、僕とオカン(母)の介護にまつわる日々を、少しずつ振り返りながら綴っていこうと思います。いわば、『OZZY@52歳からのワンオペ介護日誌』のシーズン1、始まりの物語です。 まだ、コロナの「コ」の字もなかった時の話。 『まさか』の前の、当たり前の日常 自宅から歩いて3分ほどのところに、オカンは一人で暮らしていました。入院前までは、友人たちとのバス旅行を楽しんだり、時にはクルーズ船で海外旅行に出かけたりと、とにかく活動的で元気なオカンでした。(まだ生きていますw) 僕が顔を出すのは、まあ週に一度くらい。当時、中学3年生だった長男と、まだ小学校低学年だった次男のほうが、僕よりずっと頻繁に「あーちゃんち」に遊びに行っていました。 それが僕たち家族にとっての、なにげない日常、普通の風景でした。 静かな診察室と、突然の宣告 変化の兆しは、オカンが別の科(確か皮膚科だ