ことし6月に成立した子ども・子育て支援法などの改正法。長年にわたって子育て家庭の支援を行ってきたNPOの目線で、今の社会に必要な支援とは何かを考えます。
ナチスのキッチン 作者:藤原 辰史水声社Amazon ナチスというのは、とってもおもしろい存在だ。ビジュアルなこだわり、異様な合理性の追及の一方で、変なオカルトへの耽溺、あれやこれや。いろんな細かい部分をこだわって考えたりしているので、建築でも経済でも産業でもメディア利用でも、あらゆる面でナチスの活動は非常に興味深いものとなる。だから「ナチスのなんとか」というのはそれだけで大きな売りだし、ぼくのような読者に対しても、「おお、ナチスはあんな方面でもいろいろやっておったのか!」と思って各種著作やDVDを手に採らせる大きなセールスポイントになる。 その一方で、ナチスはとても便利な存在だ。あの異様な絶滅収容所の迫力はだれも文句が言えないし、何か文句なしの悪者が欲しければ、ナチスやヒトラーを持ち出せばいい。そしてナチスは、公共事業もやったし軍の装備近代化もしたしメディアも利用したし健康配慮もしたし禁
詩人・歌人として、あるいは劇団「天井桟敷」の主宰者として演劇や映像の分野でも独特の活動を展開した寺山修司。その代表的な著書『書を捨てよ、町へ出よう』には「歩兵の思想」と題するエッセイが収録されている。 この文章のなかで寺山は、サラリーマンの種類を「ライスカレー人間」と「ラーメン人間」に分け、前者には《現状維持型の保守派が多くて》、後者には《欲求不満型の革新派が多い》としている。その理由を《ライスカレーは家庭の味であるのにくらべて、ラーメンは街の味であるからかもしれない》と書き、さらにライスカレー人間を保守的なマイホーム人間として強く罵倒しているのが、いかにも「町へ出よう」と生涯かけて訴え続けた寺山らしい。 寺山が先のエッセイを書いたのは高度成長期。この時代、ラーメンはハングリー精神の象徴であった。マンガ家の松本零士は上京当初の下宿生活の経験をもとに『男おいどん』という作品を発表、そこでは作
板橋が誇る 「殺人ユッケ」 でお馴染みの大和屋商店さんだが、マスコミ各社が集まっているのってなんで大山の商店街の中にある 「営業所」 の方だけなんだろう? ※今は大和屋商店の本社が遊佐商店街の方で、営業所の方が下の写真で紹介している住宅街の中だという指摘を頂きました。なんせ何十年もやってる古い店なもんで、情報の時系列がグチャグチャになってて申し訳ない。 大きな地図で見る ↑このDOGカフェとさぼてんの間の奥まったところにある怪しい建物がそれなんだが、事件後いつもTVカメラが張り付いてて邪魔なこと邪魔なこと。 しかしオレの記憶が確かならば、大和屋商店さんというのはもっと住宅街の中にある小汚い肉屋だったはずなんだが。 それがここ。 まあ御世辞にもキレイとは言えない外観で、ここで黙々と肉を捌いていたはずなんだが、こっちにはマスコミは来てるんだろうか?さすがに住宅街だからクレームが来るのか? 外に
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