日本の女子プロレスは、実は力道山がデビューした1951年の「プロレス元年」より前から存在していた。「日本初の女子プロレスラー」と称される猪狩定子さん(91)=東京都台東区=は、戦後間もなく、兄たちと興行で日本各地の進駐軍キャンプを回り、女子プロレスの草創期を築いた。その時代を研究する神戸女学院大学の瀬戸智子准教授(49)=歴史学・ジェンダー研究=は「『強い女性』に対する期待や軽蔑、性的興味などさまざまな見られ方があった」と指摘する。 【写真】日本初の女子プロレスラー猪狩定子さん (小谷千穂) ◆ 自身のプロレス人生について、猪狩さんが浅草の自宅からオンラインで語ってくれた。 兄7人がいる8人きょうだいの末っ子として生まれ育った。学校では「女の子らしくしないとダメ」と言われたが、家では性別に関係なく、相撲や柔道、ボクシングに励む兄らに囲まれ、たくましく育てられた。子どものころから体格が良かっ
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