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方倉陽二に関するfromAmbertoZenのブックマーク (3)

  • 豊後高田市ホームページ/カタクラ☆夢☆プロジェクト始動!!第1弾“方倉陽二マンガ原画展”

    ホーム > 暮らしの情報 > イベント・募集・その他 > カタクラ☆夢☆プロジェクト始動!!第1弾“方倉陽二マンガ原画展” ホーム > 観光情報 > 新着情報・イベント情報 > カタクラ☆夢☆プロジェクト始動!!第1弾“方倉陽二マンガ原画展” 年度、文化振興の新たな取り組みとして、カタクラ☆夢☆プロジェクト(豊後高田市メディア芸術地域活性化事業)を行います。このプロジェクトは、市出身の漫画家・方倉陽二先生を皆様に広くご紹介する「方倉陽二マンガ原画展」を開催します!  方倉先生は、学生時代から投稿誌で賞を重ね、日を代表する漫画家、藤子不二雄先生のチーフ・アシスタントを務めた後に独立。その画力と豊富な知識で、漫画界の第一線で活躍されました。  原画展では、方倉陽二先生の代表作「ドラえもん百科」、「のんきくん」、「アカンベー」「まじかるハット」などの貴重な原画約50点を展示し

  • 方倉陽二追悼座談会

    ★追悼インタビュー 児童漫画にささげた方倉陽二氏の軌跡 小学館編集担当者・六傑 追悼・方倉陽二氏 KATAKURA YOUJI ネオ・ユートピア 26 号( 1997 年 12 月発行)に掲載された方倉陽二先生の追悼インタビューです。 26 号は品切中ですが、 33 号の特集と是非合わせて読んで頂きたい記事のため、HP上に復刻しました。インタビューさせていただいた方々の役職は当時のものです。また、武田さんは『ドラえもん百科』に登場した武田記者、秋さんは元『ゲームオン』の編集長でドラえもんズの仕掛け人の一人。 ●藤先生曰く「方倉君にまかした。」 「おひさま」編集長 武田 仁 武田 コロコロの初期でしたね。『ドラえもん百科』を平山さんから引き継いで、担当しました。また「ドラえもん」関係のクイズ記事や、他の作家が原稿を落とした時の穴埋め記事を方倉先生にいつも泣き付いてお願いしましたね。その後

  • 【豊後高田新聞】故・方倉陽二の足跡【大分のニュース】- 大分合同新聞

    【豊後高田新聞】故・方倉陽二の足跡 [2013年04月03日 09:43] メールで記事を紹介する 印刷する <左>亡くなる数年前の方倉陽二<右>発行部数102万部を超え、ファン必携のだった方倉陽二著「ドラえもん百科」(藤子・F・不二雄監修、小学館)。現在は絶版 知る人ぞ知る豊後高田市出身の漫画家、方倉(かたくら)陽二(1949~97)。「ドラえもん」の原作者、藤子・F・不二雄の右腕として活躍し、副読「ドラえもん百科」を描いた漫画家だ。この国民的児童漫画のキャラクター設定は実は方倉が考えたもので、ファンの間では「方倉設定」と呼ばれているとか。市出身漫画家の足跡を追ってみた。 デッサン力生かし活躍 方倉陽二は1949年3月、豊後高田市田染相原に生まれた。高田高校を卒業して大学進学を目指すが、経済的事情で断念した。父の仕事の都合で北九州市に移住した後、子どものころから特技だった「落書

    fromAmbertoZen
    fromAmbertoZen 2013/09/07
    方倉陽二って「COM」出身だったのか。「漫画誌「COM」に投稿。特賞を受賞したのをきっかけに漫画の世界へ。」
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