【豊後高田新聞】故・方倉陽二の足跡 [2013年04月03日 09:43] メールで記事を紹介する 印刷する <左>亡くなる数年前の方倉陽二<右>発行部数102万部を超え、ファン必携の本だった方倉陽二著「ドラえもん百科」(藤子・F・不二雄監修、小学館)。現在は絶版 知る人ぞ知る豊後高田市出身の漫画家、方倉(かたくら)陽二(1949~97)。「ドラえもん」の原作者、藤子・F・不二雄の右腕として活躍し、副読本「ドラえもん百科」を描いた漫画家だ。この国民的児童漫画のキャラクター設定は実は方倉が考えたもので、ファンの間では「方倉設定」と呼ばれているとか。市出身漫画家の足跡を追ってみた。 デッサン力生かし活躍 方倉陽二は1949年3月、豊後高田市田染相原に生まれた。高田高校を卒業して大学進学を目指すが、経済的事情で断念した。父の仕事の都合で北九州市に移住した後、子どものころから特技だった「落書
命懸けるに値しない兵器 特攻艇の元乗組員 [2012年09月26日 14:53] メールで記事を紹介する 印刷する <写真上>旧日本軍の特攻艇「震洋」=「写真集 人間兵器震洋特別攻撃隊上巻」(震洋会編)より<写真下>波佐さんが予科練時代の写真(1944年夏ごろ) 太平洋戦争末期、ベニヤ板製の小型ボートに大量の爆薬を積み、敵艦向けて体当たりした旧日本軍の特攻艇「震洋(しんよう)」。その乗組員だった波佐(はさ)義明さん(89)=大分市=が太平洋戦争末期の隠れた歴史の一端を語った。波佐さんらが台湾の観光局から、震洋に関するドキュメンタリー制作で取材を受けたことがきっかけ。「命を懸けるに値しない兵器で『仕方ない』と特攻するつもりだった…」。不条理さへの耐え難い思いに駆られた戦争当時を振り返る。 波佐さんは福岡県出身。1943年、飛行機に乗るつもりで旧海軍甲種飛行予科練習生(予科練)に志願。憲
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