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昭和八年、なぜかバーナード・ショーが来日していいる。当時七七歳。とにかく過激なことを口走るこの皮肉屋の「いぢわるじいさん」が、どんな用があって日本に来たのか。 「私が来たんじゃない。適当に船が着いたから降りただけだ」みたいなことを言って知らんぷりしてたようだが、誰がセッティングしたのか荒木貞夫陸軍大臣と対談したりしている。 三月八日の東京朝日に、その様子が少しだけ載っている。(以下新仮名遣いにしてあります) ショウ翁「近代戦には個人的勇気など何の足しにもならない。筋肉の強さなど不必要だ。ボタン一つ押せばタンクが動き飛行機が活躍するようになれば個人の勇気や力など無駄になる。そうなれば私のような老人にも戦争ができる。一体今の戦争では若いものばかり動員するがそれは大間違いだ。八十歳ぐらいの老人を真っ先に動員して次は七十……六十と一線に繰出して将来役に立つ青年は後に残して置すべきだ」 荒木陸相「人
語録 シベリア事変のだらしなさに憤慨した私は、意見を具申したことが原因で、現地からよびもどされた。 そして熊本の連隊長として転任した。 三年間欧州の戦場でむこうの兵隊ばかりを見てきた私の眼には「これが祖国の兵隊か」とおもうと、泣きたいくらい。 新兵器らしいものはなにもない。 板を叩いて機関銃攻撃に模し、竹トンボをとばして飛行機が飛んできたと、その竹トンボ目標に小銃の射撃をやっている。 戦車となると大きな竹籠のようなものに新聞紙を貼り、これに迷彩を施して、 二本の竹捧で兵隊が二人でかついで来て「戦車来襲」と叫ぶ。 評 荒木貞夫という将軍は、明治以来の軍人のなかで全く異色の人であった。 頭脳明晰、博識多才、能弁で説得力があったから人を惹きつけた。 しかも誰にでも胸襟を開いて赤心を吐露したから、その門を訪れる人が多かった。 昭和六年の内外多事の秋、この人をこそと青年将校たちに崇拝され、期待された
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