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ブックマーク / kokoronokaihuku.blog.fc2.com (2)

  • インドネシア   スリ・スカンティさん の場合 - 「慰安婦」問題ってなーに?

    中央ジャワ、プルウォダディ郡に生まれたスリ・スカンティ (1934生まれ)は郡長の12人兄弟の末っ子で、姉妹たちの中で最も美しい少女でした。周辺の村々の若者たちに間でこの美少女を知らない者はいなかった。 1943年、インドネシア民衆は日軍政下で、経済的にも社会的にも苦難の日々をおくっていた。ある日、日軍の将校が2名の副官と村長を連れて、グンディ村の国民学校(SR)で学ぶ9歳になったスカンティのもとにやって来た。その将校の名はOgawaといった。 ふたりの副官はいきなり威圧的な言葉と態度で両親にスカンティを差し出すようにと命令した。拒否し反問する父親の胸には銃剣が突きつけられ、母親はただ泣くことしかできなかった。兵隊たちは力ずくでスカンティを両親の腕からもぎ取るようにして連れ去っていった。 こうして、将校たちはスリ・スカンティを自宅からそれほど離れていない同じプルヲダディ郡に位置する日

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  • 「慰安婦」問題ってなーに?

    私たちは関釜裁判(韓国・釜山とその近郊に住む元日軍「慰安婦」と元女子勤労挺身隊の方々が日国を相手に下関の裁判所に訴えた裁判)を支援してきたメンバーが中心となり、女性問題や戦争責任問題を考えてきた人々とともに行動しています。日による戦争の被害女性のことを忘れない、次世代に記憶をつないでいきたいとの思いでこのブログを開設します。 ※当サイト内の文章・写真等の無断転載・転用を禁止します。 2013年5月16日 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク 最新記事 ★日韓合意を巡る韓国政府の新方針を憂う ★韓日 日軍慰安婦被害者問題の合意 (2015.12.28) 検討結果報告書 「バタビア裁判における慰安所関係事件開示資料」 「慰安婦」問題における軍や国の「強制」をどのように考えるか 河野談話の検証結果(2014年6月発表)を読んで 内閣総理大臣・菅義偉様 日政府は「慰安婦」被害者に誠実

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