前回、加藤は「日本近代史」と銘打った著作においてすら朝鮮・台湾の抗日運動をまったくと言ってよいほど取り上げていない、と書いたが、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の第3章には、「三・一独立運動」という節があり、堤岩里(チェアムリ)の虐殺についても取り上げられている。ところが、それがまたしみじみとひどい代物なのだった。加藤は、宇都宮太郎(朝鮮駐屯日本軍司令官)の当時の日記を引いて、次のように述べている。 この日記を読んで、一つだけ、ああ、あの事件はやはり本当だったのか、と思いあたる記述がありました。日本軍が三・一運動の鎮圧に際して起こした残虐な事件の一つに、堤岩里(ていがんり)〔原文ルビ〕事件というものがあったのですが、日記にこの事件の詳細が書かれていて、事件の真相につき、政府に対してどのように弁明するか、どこまで真相を隠すかについて、朝鮮総督府と朝鮮軍司令部の間で調整していた事実が明ら