戸田山和久「カントを自然化する」 認知科学の基本的なテーゼのいくつかはカントにまで遡る、というのは古くから指摘されていて、デネットは、およそ何者かが経験することができるのはいかにしてか、というカントの問いを、システムがどのようにしたらXを成し遂げることができるのか、という工学的問題の極限に位置づけているし*1、チャーチランドも、神経哲学の前史について述べる章で、カントを内省的方法を心の研究から排除した先駆者として位置づけている*2。 カントが生きていた時代の心理学の状況は、新しい経験的な心理学が始まっていて、そこに内省主義的心理学からの極端なバックラッシュが起こっている、という状況だったという。カントが愛読していたテーテンスも経験的探求は肯定するが、心はその対象になりえないとしている。 そんな状況の中カントはどういう立場だったのよ、といえば微妙な立場だったようだ。カントは内省という方法に不
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