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ブックマーク / osaan.hatenadiary.jp (2)

  • ファシズム宣言! - 「サルの論理」と「カニの信用」

    昭和7年1月8日(金曜日)、読売新聞に以下の宣言が掲載された。その年の文芸時評の一回目である。 ▽僕は、光輝ある読売新聞を通じて、僕が一九三二年より、一九三三年まで、ファシストであることを、万国に対して宣言する。 ▽「中央公論」新年号「現代一百人」の中(うち)で「反省しなけりゃ、お前も駄目だ」と、書いてあったので、毎日、女のことと金使いの事で、反省ばかりしている僕は反省くらい何でも無い、と、その新聞(この名を書くと、無料広告になるから、書いてやらない)を見ると馬鹿野郎が「階級闘争をかいてない」とか「斉彬を神様扱い」にしているとか、そして、僕の「戦争と花」とを、ファシズムだとかーー君らが、そ、そういうつもりなら、ファシスト位には、いつでもなってやる。それで、一二三ん、僕は、一九三二年中の有効期限を以て、左翼に対し、ここに、闘争を開始する。さあ出て来い、寄らば切るぞ。何(ど)うだ、怖いだろう、

    ファシズム宣言! - 「サルの論理」と「カニの信用」
  • 保守の得意技である「日常の感覚に訴える」という詐術 - 「サルの論理」と「カニの信用」

    曽野綾子さん「移民を受け入れ、人種で分けて居住させるべき」産経新聞で主張 曾野綾子がまたおかしなことを口走っているようだ。 人種差別肯定云々はとうに他の人々が言い尽くしている。しかし、この文章のキモは以下の部分にある。 黒人は基的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの一区画に、20~30人が住み出したのである。 このような「実例」をひくことで誰に何を訴えようとしているのか。 それは、全て「日常」というものを基準にして考える人に、「このようにして『日常』がゆるがされたら、理屈抜きに嫌でしょう?」と共感を求めているのである。 このように、社会的な問題を「日常の感覚」に訴えるというのは、「保守」と呼ばれる人々が好んで使用する詐術である。 現にコメント欄には、その詐術に惑わされた人の発言も見受けられる

    保守の得意技である「日常の感覚に訴える」という詐術 - 「サルの論理」と「カニの信用」
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