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ブックマーク / plaza.rakuten.co.jp/junksai (7)

  • 大物右翼 三浦義一がかたる 田中清玄の靖国論はインチキである - 余多歩き:楽天ブログ

    2007年08月17日 大物右翼 三浦義一がかたる 田中清玄の靖国論はインチキである (1) カテゴリ:カテゴリ未分類 大物右翼 三浦義一がかたる 田中清玄の靖国論はインチキである 清玄の自伝を読んだが 笑ってしまうね、刑務所を出てから 実業界に出てくるまで 全部 山玄峰という和尚には世話になったが あとは自分でやったというような口振りには 当時の事情を知るものにはあきれてものがいえないね。 右翼の研究自体が 未だに北一輝とか 頭山満とか 内田良平とか 化石のような連中がメインで 俺とか 児玉の奴の研究なんか だれもやらんだろ。児玉の相棒の吉田彦太郎なんか いまでは誰も知らんが 彦ちゃんとあいつの九州の人脈があってこその児玉なんだか 当時の背景 清玄の奴がでてきた頃の事情なんて 誰も知らないから 適当なこと書いても 誰も反論する奴なんていないんだろうね。 もともと 山玄峰といっても 只

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  • 児玉誉士夫とは何者であったか 二十九 新夕刊 - 余多歩き:楽天ブログ

    2010年04月21日 児玉誉士夫とは何者であったか 二十九 新夕刊 (1) カテゴリ:カテゴリ未分類 永井龍男が社長の菊池寛に辞表を提出したのは 敗戦の年の暮のことであったが その数日後 同じ鎌倉に住む年来の友人 小林秀雄がふらりと永井の許へやってきた 小林は永井の退社する気持ちなどにまったく関与せず 一緒に新聞をやらないかと誘った 小林の話ではこれまで右翼の児玉誉士夫が経営していたやまと新聞が売りに出され それを譲り受けたある人物が 戦争中に上海で知り合った小林に傾倒し その線で新聞の編集を一切合切任された ついては永井に文藝春秋のときの顔を利かして 営業面の面倒を見て貰えないか という相談であった 小林との関係で 同じ鎌倉組の林房雄 今日出海 それに漫画家の横山隆一 清水昆 田河水泡らも 参画する という 彼らの失業対策対策をかねている趣きもあった 永井も退職後の先行きを考えない訳で

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  • 児玉誉士夫とは何者であったか74 売文社の人脈 - 余多歩き:楽天ブログ

    2011年02月28日 児玉誉士夫とは何者であったか74 売文社の人脈 (3) カテゴリ:カテゴリ未分類 辻潤のの編集に 三浦義一センセイが参加しているのが 疑問でしたが 単に 飲み友達だった面もあるようですが 委員の顔ぶれをみると パンとペン 社会主義社 堺利彦と売文社の闘い 黒岩比佐子著 講談社の中に かなりでている人が多いんですね どこまで進展するか はかり知られぬ深さと広さを持つ赤色ギャング一味の行動はその後 今泉 石井等の取り調べによってさらに新事実が提供された 即ちこの一派は資金獲得の一策として兜町その他の株式街まで 魔手を伸ばしかねてシンパで株式街に出入りする男に2千余円を交付し東株その他を買わせた事実ありこれはまんまと失敗したが さらに一時は右翼団体内に積極的にフラクションを植え付けようとしたこともわかった その橋渡しとして選ばれたのはさる4月9日突如として赤坂区表町2ー

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  • 平和相互銀行外伝2 - 余多歩き:楽天ブログ

    2011年06月12日 平和相互銀行外伝2 (3) カテゴリ:カテゴリ未分類 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00873432&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA 新聞記事文庫 45(132-10584) 大阪時事新報 1934.12.7(昭和9) 鋼材輸入の脱税問題 長銭短銭 十二月や正月の結婚月を当て込んで毎年宝石類がよく売れるが、昨今は例のモンゴリアンとかモントゴメリアンとかの金剛石が新聞紙上でやかましく騒がれたのでトンとダイヤモンドの売れ行きが悪い。医者を見れば偽では無いかと心配せねばならぬ事件のあった直後丈けに金剛石を見ると密輸品では無いかとの懸念が祟っているものらしい。 而しながら茲にミル流に云うとダイヤとは、全く其の交換価値は非常な懸隔はあるが、非常時の時節柄になくてはな

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  • 平和相互銀行外伝1 - 余多歩き:楽天ブログ

    2011年06月12日 平和相互銀行外伝1 (10) カテゴリ:カテゴリ未分類 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00214637&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 新聞記事文庫 工業(09-025) 台湾日日新報 1938.11.20(昭和13) 資金三千万円の台湾重工業計画 中南支南洋より原鉱輸入 鉄鋼五十万瓲其他を製造 広東攻略を契機として経済南進の拠点である台湾にその豊富なる電源を利して大工業を興し中南支南洋より原料を輸入加工して島内の自給自足は勿論進んで中南支南洋の広大な市場に販路を開かんとの計画は島内企業家中にもあり又内地の企業家も色々と計画を進め、農業台湾は今や工業台湾へ力強く躍進を始めた観があるが、既報の如くその一つとして東京の小宮山商店常務取締役小宮山英蔵氏が中南支仏印

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  • 西山広喜センセイについて - 余多歩き:楽天ブログ

    2006年12月18日 西山広喜センセイについて カテゴリ:カテゴリ未分類 解放同盟の神様的存在だったのが、松治一郎センセイですが、その養子の松英一と 義兄弟で 転向して、 室町将軍 三浦義一の後継者にして また 現代の眼の発行人の木島力也の盟友だったのが この西山広喜センセイになります。 同和対策事業推進を 田中角栄にねじ込んで OKさせたのも、同和運動の力というべきなのかもしれませんが バックに 三浦義一 児玉センセイ 住吉連合 また後年には 日青年社とくれば いかに田中角栄でも というところが 今日の 同和利権の誕生のきっかけというものかもしれません。 これがいいのか 悪いかは 別問題です。 それにしても 同和は コワイというのは 差別だという見方が されるようですが 怖い人がしているから 怖いよといってはいけないのでしょうか? 日政治文化研究所が この方の拠で 企業からの

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  • どうして児玉誉士夫の呪縛は解けなかったのか - 余多歩き:楽天ブログ

    2007年07月12日 どうして児玉誉士夫の呪縛は解けなかったのか (1) カテゴリ:カテゴリ未分類 坪内嘉雄さんという方が いらっしゃいますが、かの児玉誉士夫の兄貴分 三浦義一の師匠格 野依秀市の部下だったのが 石山建吉という方が 独立して つくったのが ダイヤモンド社になりますが、 その会長だったかたです。 日経連の理事もされていたり 数々の役職も勤められ裏で フィクサーとして活躍もされていたようです。 このようなつながりがあれば フィクサーとして活躍するのも、なるほどと思うのですが、 ただ ダイヤモンド社というのは どちらかというと まっとうな会社という先入観があったので どうも その背景が判らなかったのですが、 http://72.14.235.104/search?q=cache:-2aLMa3t9KAJ:neko-utamaru.sakura.ne.jp/pukiwiki/in

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