昭和の初め、現在の京都市伏見区の中心市街地は市制を敷いたが2年足らずで姿を消した。発足90年の節目、ごくわずかに現存する伏見市の「遺産」を歩いてたどると、独立した都市として歩もうとした先人の誇りと気概を感じた。 観光の十石舟が行き交い、酒蔵とヤナギが風情を醸す宇治川派流。蓬莱橋南岸(同区東柳町)に高さ3メートルほどの石碑がそびえる。「御大典記念埋立工事竣工(しゅんこう)記念碑」の銘の脇に、初代にして最後の市長中野種一郎の名が刻まれている。工事は昭和天皇の即位式が京都で行われた1928年11月(当時は伏見町)に着工、29年5月の市発足を挟んで30年3月に完成した。 「京伏合併記念伏見市誌」(35年刊)には「新興都市の面目を発揮すべく」実施された事業の筆頭にあげられている。プライドをかけたことを象徴するように護岸には市章をあしらった装飾が施されている。こけむして時の流れを実感させる。 伏見大手