タグ

ブックマーク / ryukyushimpo.jp (58)

  • うちなーぐち表記「カタカナ使用やめて」 市民団体、県に再度要請 沖縄 - 琉球新報デジタル

    県しまくとぅば普及推進室に「カタカナ表記法を沖縄語に用いることへの反対要請」をするうちなーぐち会の源河朝盛会長(左)ら=24日、県庁 うちなーぐち会の源河朝盛会長らは24日、那覇市の県庁を訪れ、県がうちなーぐちを「原則カタカナ」とした表記法をやめるよう求める要請をした。源河会長は「うちなーぐちは漢字・平仮名交じりだ。伝統的なものは残していかないといけない」と訴えた。 県は、しまくとぅばの普及継承に向け、書き言葉のルール作りを目的に学識経験者らで構成する検討委員会を設置。音が表記しやすいなどとして表記は原則、片仮名を利用する内容を2022年5月に発表したが、うちなーぐち会が再三反対の要請を続けている。 フランス出身の同会会員、コポス・ダビッドさんは「国際的にもおかしい。地域の人たちの言葉を無視した悲しい現実だ」と県に見直しを求めた。 県しまくとぅば普及推進室の翁長富士男室長は「小学校低学年な

    うちなーぐち表記「カタカナ使用やめて」 市民団体、県に再度要請 沖縄 - 琉球新報デジタル
  • 普天満宮洞窟に約3万2000年~1万8000年前のたき火跡 県内最古級の人類活動痕跡 沖縄 - 琉球新報デジタル

    沖縄国際大学考古学研究室は12日、宜野湾市の普天満宮殿背後にある洞穴遺跡の発掘調査で、約3万2000年~1万8000年前の旧石器時代(後期更新世)の炉(たき火)跡が確認されたと発表した。調査では、焼けた礫(れき)や透明度のある結晶質石灰岩なども出土したほか、約1万1000年前の人骨片も確認した。同研究室の新里貴之准教授は「県内でも最古級の人類の活動痕跡が見つかった。沖縄の人類史を考える上で極めて重要な遺跡」だとし、継続的な調査に意欲を見せた。 同研究室は2022年度から普天満宮洞穴内の発掘調査を実施しており、これまで貝塚時代前期(縄文時代)の文化まで確認していた。23年度にさらに下層を調査したところ、今回の発見に至った。 同研究室は普天満宮洞穴について、南城市のサキタリ洞遺跡、石垣島白保竿根田原洞穴遺跡、徳之島下原洞穴遺跡、山下町洞穴遺跡とともに、約3~2万年前の旧石器時代を代表する遺跡

    普天満宮洞窟に約3万2000年~1万8000年前のたき火跡 県内最古級の人類活動痕跡 沖縄 - 琉球新報デジタル
  • 沖縄のアメリカ人はなぜ「ココイチ」が好きなのか 本島中部でよく目にするあの光景のナゾに迫った  - 琉球新報デジタル

    米軍基地に近い沖縄島中部のある店舗=5月、県内 「なぜアメリカ人はこんなにココイチが好きなのか」。沖縄島の中でも米軍関係者が多く住む中部地域の担当記者である私は、普段、ココイチの店舗やその周辺が外国人で混み合っている光景を目にする度に不思議に思っていた。 ココイチは愛知県一宮市に社を置く壱番屋が展開する「カレーハウスCoCo壱番屋」(以下、ココイチ)。言わずと知れたカレーの大手チェーンだ。沖縄県内には14店舗があるが、北谷町など島中部地域にある店舗の駐車場は常に米軍関係者の車両「Yナンバー」でいっぱいだ。 「うちの店、全国一忙しいってよ」。記者は、かつて北谷町内のココイチでアルバイトをしていた友人の言葉を思い出した。ネット上には、ココイチの全国売上高トップ3全てが沖縄の店舗との情報も出回っている。そこで真相を確かめるべく取材を始めた。 (石井恵理菜) ランキング「非公表」、しかし

    沖縄のアメリカ人はなぜ「ココイチ」が好きなのか 本島中部でよく目にするあの光景のナゾに迫った  - 琉球新報デジタル
  • うちなーぐち、ひらがなと漢字で表記を 「カタカナは外来語に用いるのが一般的」 市民団体、沖縄県に要請、署名も提出 - 琉球新報デジタル

    宮城嗣吉文化観光スポーツ部長(右)に署名を手渡すうちなーぐち会の源河朝盛会長(左)=25日、県庁 うちなーぐち会の源河朝盛会長らは25日、県庁に宮城嗣吉文化観光スポーツ部長を訪ね、県が「原則カタカナ」とした表記法に対し、うちなーぐちは漢字とひらがなを用いた伝統的な表記法にするよう要請書を手渡した。同会は「カタカナは外来語に用いるのが一般的であり、歴史のあるうちなーぐちに用いることは文化を失うことにつながる。白紙に戻して言語圏別に再検討してほしい」と訴えた。1170筆の署名も提出した。 源河会長は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が消滅危機にあるとした琉球諸語には奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語があり、うちなーぐち(沖縄語)は、琉歌からも分かるように昔から漢字とひらがなで表記されてきたと指摘した。 また、「しまくとぅばとは生まれ育った島々・場所の言葉で多様であり、ひとくくり

    うちなーぐち、ひらがなと漢字で表記を 「カタカナは外来語に用いるのが一般的」 市民団体、沖縄県に要請、署名も提出 - 琉球新報デジタル
  • 沖縄で「年越しそば」の文化が定着したのはいつ?琉球新報でみる年越しの沖縄そばがメジャーになるまで

    大みそかと言えば、年越しそば。沖縄では年越しそばとして、そば粉を使わず小麦粉の麺にかつお節ベースのスープが特徴の沖縄そばをべる家庭が多い。大みそかが近づくと、紙面には「大忙しの製麺所」の写真と記事が載るのがお決まりだ。しかし、元々沖縄には、年越しそばの風習自体がなかった。いつごろから定着した文化なのか、そして沖縄そばをべるようになったのはいつからなのか。琉球新報の紙面から振り返ってみた。 >>昨年掲載の記事「年越しは沖縄そば 良い新年を願い 生産ピーク」 日穀製粉のウェブサイトによると「年越しそば」とは大みそかにそばをべる習慣で、江戸時代から庶民の間に定着したとされている。その由来は、そば切りは長く伸びるので、延命長寿や身代が細く長く伸びるようにと願う説、室町時代に大みそかに無病息災を祈ってそばがきをべたのが始まりという説など、諸説ある。 琉球新報の紙面に「年越しそば」が初めて登場

    沖縄で「年越しそば」の文化が定着したのはいつ?琉球新報でみる年越しの沖縄そばがメジャーになるまで
  • 沖縄から世界に渡った海外移民、氏名や本籍地を検索できるデータベースが完成 多言語にも対応 玉城知事「ルーツ調べに」  - 琉球新報デジタル

    沖縄県系移民渡航記録データベース 沖縄県は22日までに、沖縄県民の海外移民が始まった1900~37年の間に、世界各地に渡った県出身者約5万人分の渡航記録をまとめたインターネットサイト「沖縄県系移民渡航記録データベース」を公開した。 県出身者の渡航先と氏名、年齢(出生年)、籍地、戸主名、旅券発行日などの検索が可能で、日語、英語スペイン語、ポルトガル語に対応する。都道府県単位で移民者の渡航記録データベースを構築、公開するのは全国でも初めて。 外務省外交史料館が所蔵する「海外旅券下付表」などから沖縄県系の渡航記録を収集し、データベース化した。 22日の記者会見でデータベースの公開を発表した玉城デニー知事は「沖縄移民が初めて海を渡って120年がたち、今、世界のウチナーンチュは約42万人を超えると言われている。自身のツールを調べることや海外へ渡航した親戚の足跡をたどることができる」と活用を呼び

    沖縄から世界に渡った海外移民、氏名や本籍地を検索できるデータベースが完成 多言語にも対応 玉城知事「ルーツ調べに」  - 琉球新報デジタル
  • 西欧系人骨 南城の古墓群に 1400~1600年代、風葬か - 琉球新報デジタル

    石厨子内にあった(左から)沖縄を含む日由来、西ヨーロッパ由来、朝鮮半島由来の人骨(松下孝幸氏提供) 【南城】南城市玉城富里にあった風葬墓「神(かん)座(ざ)原(ばる)古墓群」の調査をしている土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県)の松下孝幸館長らの研究チームは20日、同市役所で会見した。古墓群から出土した骨を納める納骨堂の古い人骨78体を調査したところ、西ヨーロッパ・中央アジア由来と朝鮮半島由来のDNAを持つ人骨2体があったと明らかにした。人骨はグスク時代後期から琉球王朝前期(1400~1600年代)にかけてのもので、西ヨーロッパ・中央アジア由来の人骨が確認されたのは県内初とみられる。 放射性炭素年代で分かった人骨の時期は、琉球王朝時代やそれ以前の海外と交易していた時期に重なる。 松下館長は「当時の琉球人はモノによる交易だけではなく、異国の人を排除せずに受け入れ、家族を形成するなど、多

    西欧系人骨 南城の古墓群に 1400~1600年代、風葬か - 琉球新報デジタル
  • 沖縄そばは「ごちそう」だった むつみ橋かどやの70年<まちぐゎーひと巡り 那覇の市場界隈24> - 琉球新報デジタル

    むつみ橋交差点近くに店を構える「かどや」=那覇市牧志 国際通りの真ん中に、むつみ橋交差点がある。現在では暗渠(あんきょ)になったが、ここにはガーブ川が流れており、橋がかかっていた。この交差点の近くに、「かどや」という沖縄そば屋がある。 創業者の石川康昌さんは、1920年生まれ。終戦後は米屋や豆屋を営んでいたものの長続きせず、しばらく定職に就かずに過ごしていた。見かねた義理の母が、郷里・宮古島の「古謝堂」でレシピを教わり、そば屋を開いたらどうかと提案。1952年のオープン当初は国際通りを挟んだ向かい側、市場通りの角に店舗を構えており、そこから店名を「かどや」とした。 「当時は今の5分の1ぐらいの広さで、ぎゅうぎゅう詰めでやっと10人ぐらい入れる店だったんです」。2代目としてお店を切り盛りする石川幸紀さん(66)は当時を振り返る。「かどや」は24時間営業で、康昌さんは家には寝に帰ってくるば

    沖縄そばは「ごちそう」だった むつみ橋かどやの70年<まちぐゎーひと巡り 那覇の市場界隈24> - 琉球新報デジタル
  • 言葉も心も、次代へ紡ぐ 「なくなったら寂しいさーね」 しまくとぅばの日 本村清子さん(82)宜野湾市 冊子自費出版、孫のため歌も - 琉球新報デジタル

    冊子と下書きのスケッチブックを手にほほ笑む村清子さん=16日、宜野湾市大山 9月18日は「しまくとぅばの日」。笑顔はじける沖縄県宜野湾市大山の村清子さん(82)はしまくとぅばの冊子を自費出版するなど、草の根でしまくとぅばの普及・継承に取り組んでいる。子どもの頃には標準語励行で方言札を掛けられた経験があり、40、50年は標準語しか話さなかったという。「なくなったら寂しいさーね」。しまくとぅばへの思いを込める。 大山で生まれ育った村さん。しまくとぅばが継承の危機にあることを知り、自ら使っていた言葉をまとめようと考えた。公園でお菓子をべる子どもたち、洗濯物の取り込み方について語る親子など、スケッチブックに下書きした日常会話をまとめた。半年ほどかけてA4サイズ46ページの冊子に仕上げ、2017年8月に初版を出した。後半には自身の戦争体験も盛り込んだ。18年2月には読みやすいように標準語のル

    言葉も心も、次代へ紡ぐ 「なくなったら寂しいさーね」 しまくとぅばの日 本村清子さん(82)宜野湾市 冊子自費出版、孫のため歌も - 琉球新報デジタル
  • 【沖縄戦を伝える、つなぐ】

    多くの住民が戦禍に巻き込まれ、おびただしい犠牲者を生んだ沖縄戦。 二度と同じ過ちを繰り返さないように。大切な命を犠牲にしないように・・・。 戦争体験者が少なくなる中、私たちは戦争を生き延びた人々の体験、思いを 子どもや孫たちに伝え、つないでいきます。

    【沖縄戦を伝える、つなぐ】
  • 琉球王国時代の衣装を再現 「絵の具で出せない」織りなす色彩 祝嶺恭子さんが披露 - 琉球新報デジタル

    ベルリン国立民族学博物館所蔵の琉球王国時代の衣装の調査から、祝嶺恭子さんが再現した王朝時代の衣装=14日、那覇市民ギャラリー 琉球王国時代の華やかな服飾文化を再び―。首里の織物の名手・祝嶺恭子さん(84)が、琉球王国末期の衣装、帯など染織物の再現に取り組んでいる。琉球・沖縄の染織物は沖縄戦で多くが失われた。祝嶺さんはドイツのベルリン国立民族学博物館に所蔵されている琉球の染織物を長年、調査・研究し、染織の技法を再現した。大胆な図柄と華やかな色彩が目を引く。20日から那覇市民ギャラリーで始まる「染織展」で再現した衣装12点を含む約90点を披露する。25日まで。 琉球王国時代の衣装の再現作品をまとまった形で鑑賞できる機会は珍しい。祝嶺さんは県指定無形文化財「場首里の織物」の技能保持者で、県立芸大で研究・人材育成にも取り組んできた。県内で個展を開くのは初めて。 琉球の美術工芸品がドイツに渡ったの

    琉球王国時代の衣装を再現 「絵の具で出せない」織りなす色彩 祝嶺恭子さんが披露 - 琉球新報デジタル
  • 戦前の沖縄空手、新聞記事など収集資料を公開 空手会館でパネル展 - 琉球新報デジタル

    喜屋武朝徳の著書「沖縄拳法 唐手道基図解 組手」のパネルを説明する県空手振興課の園原謙主査=8日、豊見城市の沖縄空手会館 県の沖縄空手資料収集・調査研究事業の成果展が8日から豊見城市の沖縄空手会館で始まった。戦前の空手に関する新聞記事など、1938年から40年までの新聞を含む資料325点の一部を12枚のパネルにまとめ、資料室展示施設のロビーに展示している。首里手の始祖とされる松村宗棍を師とした喜屋武朝扶の息子、喜屋武朝徳が記した「沖縄拳法 唐手道基図解 組手」の複写も初公開されている。 県がこれまでに収集した空手資料2385点は、同館の資料閲覧室で見ることができる。成果展は今回で3回目で、来年の3月31日まで開催している。

    戦前の沖縄空手、新聞記事など収集資料を公開 空手会館でパネル展 - 琉球新報デジタル
  • 低音スピーカーに特許 知名オーディオの知名代表 小型で20ヘルツ再生、世界初の技術 - 琉球新報デジタル

    小型筒状スピーカー「雅(Miyabi)」の前で特許証を手にする知名宏師代表=9月30日、沖縄市中央の「知名御多出横(知名オーディオ)」 【沖縄】沖縄市中央にある「知名御多出横(知名オーディオ)」の知名宏師代表に、8月12日に特許証が交付された。大型スピーカーでなければ再生できなかった低音を、知名代表が2005年に開発した直径8センチ、高さ2メートルの小型筒状スピーカーで再生できることを、特許庁に認められた。小型筒状スピーカーで人が聞こえる低音域の再生を実現したのは世界初で、今回の特許取得で知名代表の理論が証明された。 人に聞こえる周波数の範囲(可聴域)は低音で20ヘルツ、高音で2万ヘルツと言われており、これまで20ヘルツの低音を再生するためにはスピーカーを大型化する必要があった。高さも17メートルが必要で、小型スピーカーとしての商品化は難しいとされていた。 知名代表はパイプオルガンのような

    低音スピーカーに特許 知名オーディオの知名代表 小型で20ヘルツ再生、世界初の技術 - 琉球新報デジタル
  • ジョン万次郎は琉球でどう過ごした? 構想から20年かけ「日記」を解読 - 琉球新報デジタル

    【豊見城】琉球王国時代の1851年、ジョン万次郎らが豊見城間切翁長村(当時)の高安家で過ごした半年間を記録した「土佐人漂着日記」が、現代語訳文とともに「豊見城市史だより第14号」に掲載された。同日記が活字化されて世に出るのは初めて。浦添市立図書館沖縄学研究室専門員で歴史研究家の栗野慎一郎さん(60)が構想から約20年をかけて翻刻した。栗野さんは「市民にも関心を持ってもらえたらうれしい」と話した。 翻刻した「土佐人漂着日記」が掲載された豊見城市史だよりをPRする栗野慎一郎さん=8日、豊見城市歴史民俗資料展示室 ジョン万次郎は土佐藩(現在の高知県)出身で14歳の時、漁で遭難しアメリカの捕鯨船に救助された。アメリカ英語や測量技術などを学び、海外で約10年間を過ごした。日へ帰国する前に漁の先輩2人と共に琉球に立ち寄った。 栗野さんによると「漂着日記」は琉球王国時代の尚家文書の中の一つ。万次郎ら

    ジョン万次郎は琉球でどう過ごした? 構想から20年かけ「日記」を解読 - 琉球新報デジタル
  • 志村けん「変なおじさん」と沖縄戦 傷を引き受け生き抜いた人たち - 琉球新報デジタル

    志村けんさん=2006年、群馬県 「このおじさん、変なんです」「そうです、私が変なおじさんです」―。新型コロナウイルス感染による肺炎で死去した志村けんさんが生み出したキャラの一つ、「変なおじさん」。有名なこのコントのオチで使われていた歌「変なおじさん、だから変なおじさん♪」は沖縄のミュージシャン・喜納昌吉さんの代表曲「ハイサイおじさん」が原曲だ。明るく踊り出したくなるようなメロディーで高校野球では沖縄代表の応援歌としてアルプススタンドでも響くこの歌を掘り下げると、過酷な沖縄戦、戦後を生き抜いた沖縄の悲しさ、強さが刻まれていた。 「ハイサイおじさん」は喜納さんが中学生の時に作り、1969年、21歳の時に、沖縄民謡の大家だった父親、喜納昌永さんのレコードに収録したもの。「ハイサイ」とは沖縄の言葉で「こんにちは」。歌詞の内容は、酔っ払いのおじさんと少年の会話で、「おじさんのはげは大きいね」「おじ

    志村けん「変なおじさん」と沖縄戦 傷を引き受け生き抜いた人たち - 琉球新報デジタル
  • ダーヴィン以来の謎…擬態できるのになぜしない?沖縄・琉大チームが進化学的逆説を立証 - 琉球新報デジタル

    毒を持つベニモンアゲハに擬態したシロオビアゲハの雌(琉大戦略的研究プロジェクトセンター・鶴井香織特命助教提供) 擬態したシロオビアゲハの雌(左上)、毒を持つベニモンアゲハ(右上)、擬態していないシロオビアゲハの雌(左下)、シロオビアゲハの雄(右下)(琉球大戦略的研究プロジェクトセンター・鶴井香織特命助教提供) 擬態できる種の中に擬態しない個体がいるのはなぜか-。ダーウィン以来の謎とされてきた進化学的パラドックス(逆説)を、琉球大学の研究チームが解明した。県内に生息する鳥の捕から身を守るため毒チョウに擬態するシロオビアゲハを用いて、「増えすぎると擬態の効果が失われる(鳥が擬態チョウを襲う)ため、集団内で擬態できるチョウの割合に上限がある」という古くからの仮説を世界で初めて立証した。島ごとにチョウの生息割合が異なる琉球列島の特性を生かし、毒チョウの多い島で擬態率が高いことなどから仮説を裏付

    ダーヴィン以来の謎…擬態できるのになぜしない?沖縄・琉大チームが進化学的逆説を立証 - 琉球新報デジタル
  • 「本が売れない」と言われていた沖縄に進出して10年 ジュンク堂那覇が県民の本棚として愛される理由 - 琉球新報デジタル

    10周年を迎えるジュンク堂書店那覇店の店長森浩平さん=23日、那覇市牧志 沖縄県那覇市のジュンク堂書店那覇店(森浩平店長)と同書店が入る商業施設D―naha(ディー・ナハ)が24日、2009年の開店から10年を迎えた。蔵書数103万冊、売り場面積6600平方メートルはともに県内最大。出版業界で「が売れない」と言われていた沖縄で、イベントなどを通して沖縄人気を盛り上げ、専門書の需要も掘り起こした同書店。学習参考書や児童書も豊富で、家族連れにも親しまれてきた。同店は5月の大型連休にかけて記念イベントを催す。 森店長とD―nahaを管理運営する糸嶺商会の糸嶺篤秀社長が23日、県庁で記者会見し、10周年記念イベントなどへの来場を呼び掛けた。森店長は「多くの人に支えられて10年を迎えた。サイン会などのイベントを積極的に催し、発信したことで受け入れられたのではないか」と話す。県産や沖縄関

    「本が売れない」と言われていた沖縄に進出して10年 ジュンク堂那覇が県民の本棚として愛される理由 - 琉球新報デジタル
  • 1960年5月24日…日本沿岸を襲ったチリ津波の写真発見 沖縄・辺野古の被害を記録 - 琉球新報デジタル

    チリ地震による津波で被害を受けた辺野古集落=1960年5月24日、久志村辺野古(当時)(島袋武信さん提供) 【名護】1960年5月24日、日各地や沖縄の沿岸を襲ったチリ地震津波の被害に遭った久志村辺野古(現沖縄県名護市)の様子を撮った写真7枚が見つかった。撮影したのは現在も辺野古に住む島袋武信さん(82)。集落内に波が押し寄せ、住宅が浸水している様子が記録されている。 チリ地震による津波で被害を受けた辺野古集落=1960年5月24日、久志村辺野古(当時)(島袋武信さん提供) 島袋さんは24日午前5時半ごろ起床し、写真を撮り始めた。既に津波が集落を襲った後で、道路や住宅が冠水していた。 写真には瓦屋根の上に座る子どもや赤子を抱いた母親、膝下まで水に漬かった女性の姿が写っており、津波の襲来で集落中が混乱に陥った様子がうかがえる。 津波は現在の辺野古漁港から川を上り、集落に流れ込んだ。津波によ

    1960年5月24日…日本沿岸を襲ったチリ津波の写真発見 沖縄・辺野古の被害を記録 - 琉球新報デジタル
  • 『ウチナーヤマトゥグチの研究』 言葉遣いを味わい直す - 琉球新報

    『ウチナーヤマトゥグチの研究』座安浩史著 森話社・9180円 「上カラ着るシャツは、こどもガは取れない」「出来て当たり前サー」「海にガ近いから、道カラ歩いて来た」「すぐ来るハズ」「当たり前サー」「もう行きましょうネー」「魚が釣れヨッタ」などの言葉使い、つまりウチナーヤマトゥグチについて考察した博士論文である。 ウチナーヤマトゥグチとは、「共通語に(沖縄)方言が干渉したことで生まれたことば」である。われわれ沖縄人が、共通語として使っているが、その使い方や意味合いが、共通語とは微妙に隔たりがある。書は、その特徴が色濃く表れる「助詞」について、豊見城市上田と石垣市方言を世代別の話者から蒐集(しゅうしゅう)・分析し、ウチナーヤマトゥグチの学問的問題点を提示する。 助詞とは、最初に挙げた文章のカタカナの部分。例えばウチナーヤマトゥグチの格助詞「カラ」は、形態的には共通語の「から」と同じだが、意味と

    『ウチナーヤマトゥグチの研究』 言葉遣いを味わい直す - 琉球新報
  • <金口木舌>しまくとぅばで論文を書けるか - 琉球新報デジタル

    受賞講演の演題は「なぜ、伊波普猷を批判するのか?」。伊波の思想形成を批判的に論じた伊佐眞一さんの「沖縄と日(ヤマト)の間で」(琉球新報社刊)が伊波普猷賞を受賞、13日に贈呈式が行われた ▼「沖縄学の父」を批判することの意義を説く刺激的な内容に加えて、20分間、完全に首里くとぅばで語ったことが、参加者を驚かせた。ついていけない金口子をよそに、多くの人がうなずきながら聴いていた ▼1月に県立博物館・美術館で伊波を論じるシンポがあり、しまくとぅばのみで3時間にわたって議論した。登壇した伊佐さんはそこで「公の場で学術的なことをしまくとぅばで語ることができる」と自信を持ち、今回、実践した ▼講演を聴いた名桜大学の山里勝己学長は「これなら、しまくとぅばで論文も書けるはずだ」と感嘆した。米ハワイ大ではハワイ語の博士論文も認められている。「沖縄でもできるのでは」と言う ▼表記法が確立していてハワイ州の公

    <金口木舌>しまくとぅばで論文を書けるか - 琉球新報デジタル