中山道の難所であった鳥居峠には明治23(1890)年に、長野県による七道開削事業の一つとして車道が開通しましたが、険阻な峠道であることには変わりなく、これを解消するため戦後間もなく峠のトンネル化が計画され、昭和26(1951)年に着工、同30(1955)年には(旧)鳥居隧道が開通しています。 この鳥居隧道は延長が1,111mあり、国内の道路隧道としては初めて1kmを超えたもので、当時としては画期的な長さを誇っていました。しかしながら、この時期に建設された隧道に例に漏れず、大型車が離合するには断面が不足しており、これが幹線国道の長大隧道だったために致命的な欠点となり、開通から10年ほどで早くも「国道19号最大の難所」と称されるようになりました。 結局、開通から9年後の昭和39(1964)年から隧道の実態調査が始まり、同43(1968)年から新ルートの建設が事業化され、同53年(1978)に(