三遊亭圓朝 三遊亭圓朝定紋「高崎扇」 落語家であり、歴代の名人の中でも筆頭(もしくは別格)に巧いとされる。また、多くの落語演目を創作した。 「お笑い」の分野である滑稽噺より、人情噺や怪談噺など、笑いのない真面目な、いわば講談に近い分野で独自の世界を築く。圓朝の噺が三遊派の人情噺というスタイルを決定づけた。 あまりの巧さに嫉妬され、師匠の2代目三遊亭圓生から妨害を受けた。具体的には、圓朝が演ずるであろう演目を圓生らが先回りして演じ、圓朝の演ずる演目をなくしてしまうのである。たまりかねた圓朝はこれなら他人が演ずることはできないだろうという自作の演目を口演するようになり、多数の新作落語を創作した。 初代談洲楼燕枝とは年齢が1歳下のライバルであった。 鳴物や大道具を用いた噺の祖[要出典]としても知られ、その技法は代表作の一つである「真景累ヶ淵」にて完成を見せたのみならず、今日でも怪談噺の定番演出で