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2009年1月6日のブックマーク (7件)

  • yahoo!ニュースのコメント欄がひどい - 狂童日報

    ネット上のヘイトスピーチというと「2ちゃんねる」が有名だが、あきらかにそれ以上にひどいところがある。それはyahoo!ニュースのコメント欄だ。この欄のコメントの偏見の凄まじさにはときどきびっくりさせられる。 例えば先日の総務省の坂政務官の「派遣村」に対する「働く気があるのか」という、失言というよりも「暴言」としか言いようのない発言について、そのコメントが途方もなくひどい。「派遣村に集まったヤツだけ見てれば、あの発言は仕方ないだろうな」とか、「この派遣村だって露骨に政権与党批判のために集まってるじゃねーか」とか、「一般人はみんな必死で仕事してるんです。公園でタバコすってたむろして,9条がどうしたの旗掲げてるやつら,まさに”まじめに働こうとしていない”やつらばかり」などといったものだ。国籍法改正のときもとんでもないひどさだったが、ネット上とはいえ、ここまで露骨なヘイトスピーチは日ではありえ

    yahoo!ニュースのコメント欄がひどい - 狂童日報
  • livedoor ニュース - ホームレスを食い物にするキリスト教 「派遣村」リポート(下)

    ホームレスい物にするキリスト教 「派遣村」リポート(下) 2009年01月06日08時36分 / 提供:PJ 写真拡大 日比谷公園の「派遣村」の事には長蛇の列(撮影:藤倉善郎、1月3日) 写真一覧(3件) 【PJ 2009年01月06日】− 前回のつづき。年末からメディアでも話題になっている東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に便乗して、見苦しい思想宣伝を行う“憲法9条信者”がいたことをリポートした。念のため付け加えておくと、記者は憲法9条改正に反対する考え自体を批判しているのではない。その主張を失業問題に便乗してアピールすることを「見苦しい」と考え、そんな見苦しい活動でさえ堂々とやってしまう狂信ぶりを「信者」と捉(とら)えているだけのことだ。  さて、1月3日に「派遣村」で失業者たちと話している中で、“憲法9条教”ではなくホンモノの宗教であるキリスト教について、よろしくない噂(うわ

  • 怒る自由のよろこび - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    きのうは、「パレスチナ民衆虐殺に抗議する釜ヶ崎有志の会」による、アメリカ領事館前での怒りの抗議行動に参加をしてきました。  抗議行動の開始時刻は午後6時からでした。5時半に会社を終えて領事館前に駆けつけると、もう6時半前くらいになっていて、領事館前には、たくさんの人が集まって抗議行動を行っていました。前日、一緒に参加を決めていた同志が先に来ていて、参加者に混じって手作りのプラカードを抱えて立っていました。わたしも自分で作ったプラカードを手にその場に立ち、トラメガから聞こえてくる抗議メッセージを聞いていました。領事館前には、年末に参加をした抗議行動よりもたくさんの人が集まっていて、めいめいプラカードや、抗議の言葉を書いたパネルなどを手に、ガザ住民への虐殺に対する抗議の意思を示していました。空爆の開始から一週間以上も経ち、年を明けて、より一層残虐性を発揮していく、イスラエルによるガザの住民への

    holyagammon
    holyagammon 2009/01/06
    ”イスラエルによる虐殺も、ハマースの爆弾による死も、同じ「暴力」であり、どちらも「悪」だという、そんな風に「死者」の絶対化は、いつのまにか「暴力」の相対化につながってしまう”
  • すべて国民は - good2nd

    健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、というのが憲法25条の1項なわけですが。 坂哲志総務政務官は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、仕事と住まいを失った派遣労働者らを支援するために東京・日比谷公園に開設されていた「年越し派遣村」に触れ、「当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」と述べた。そのうえで「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」と続けた。 もちろん、派遣村に集った人達には多くの「当にまじめに働こうとしている人たち」がいることでしょう。そういう人達が「働くことができない」状況に陥っていることに対して、当然政治には責任があります。それを棚にあげたこのような発言は、無責任の極みというほかありません。 その上で思うのは、25条は「すべて

    すべて国民は - good2nd
  • 歴史認識・デリダ・ハーバーマス - kom’s log

    合意形成の話はひとまずおいておいて、そもそもの問題の起点にまたもどる。「デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる/言うということはデリダを裏切る」という東浩紀氏発言について昨年にひきつづきいくつかリンク。 ハーバーマスとデリダのヨーロッパ 三島憲一 (PDF 早稻田政治經濟學誌No.362,2006年1月,4-18) 90年代のデリダとハーバーマスの対立の経緯、および00年代になって収束した対立について詳しく書かれている。これを読んでみると、東浩紀氏が自身の歴史認識のありかたをデリダを通ったせいにするのは誠意がないなあ、と思う。少なくとも「80年代のデリダを通過した私には」ぐらいに限定したほうがよいだろう。冒頭に掲げられたデリダの言葉を眺めるだけでもよい。 「しばしば,この脱構築の時代と啓蒙とが対置されることがありますが,それは違うのです。私は啓蒙の味方,進歩の味方であり,􌔗進

    歴史認識・デリダ・ハーバーマス - kom’s log
  • 国境を開け!国境をなくせ!平和を構築せよ! - シャ ノワール カフェ別館

    平和ではあることは、生存の保証である。 現在、国内外における貧困と各地域で起きている紛争によるおびただしい犠牲者/死者そして難民、私たちの現在は<生存の危機>に瀕している。 その認識を基底に、私たちは<平和>を創造的に構築しよう。 そのための一歩は、それぞれの場所/立ち位置において、またそれぞれの言い方/態度において、まずは声を挙げることだ。 ★追記:少しく補足しておこう。私たちは、直接的/間接的に他者(生物も含む)を手段として利用/排除して生きている。そのことにおいて私たちが「暴力的存在」であることの自覚をもつ必要がある。だからこそ、<反-暴力>としての「平和構築」は創造されるべきことがらであって、「平和の回復」では断じてない! [ 転送・転載歓迎 ] 京都の岡です。 まずは、以下をご覧ください。 http://www.youtube.com/watch?v=eMd6JbWzCZs **

    国境を開け!国境をなくせ!平和を構築せよ! - シャ ノワール カフェ別館
  • http://d.hatena.ne.jp/n-shikata/20090106