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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/F1977 (9)

  • 自由なことばのために - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    金石範さんが、1994年に「週刊金曜日」(!)に書かれた「天皇制とチマ・チョゴリ」という文章があります。  金石範さんは、その昔、強制されていた外国人登録証の指紋押捺を拒否されていた方であり、トーロク(わたしは、こう読んでいます。外登証とは言いません)の「常時携帯」にも反対をされていて、ふだんは、机の引き出しの片隅へ放りこんだままにされていたそうです。もし、外出先などで「不携帯」が見つかり、警察へ連行されたとしても、それなりに対処しようと思われていたそうで、それよりも、毎日トーロクを軀(からだ)にまとって歩くことのほうが、面倒なだけでなく、他に原因のない気分の悪さに見舞われたりする、だから不携帯であった、そのように書かれていました。 この「天皇制とチマ・チョゴリ」の冒頭部のこのくだりを読みながら、わたしは、とてもうんうんとうなずいていました。わたしも、普段はトーロクは不携帯で、もし「不携帯

  • 茶番劇「ヂャパン」 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    わたしの思い出のなかで「天皇制」で検索をすると、いくつかのエピソードが上がってきます。  まず、一番最初に出てくるのは、やはり昭和天皇の死のときのことでしょうか。その日は、ちょうど親戚の家で新年会をすることになっていた日で、親戚のおじさんたちが、テレビをつけながら、「日人は、みんな悲しんでいるのに、こうやって、酒飲んでたのしんで、よろこんでんのは、わしらだけやなあ」と言って、笑っていたことをおぼえています。わたしは、そうやって、テレビから流れる粛清ムードのなかで、わたしたちだけが、お酒を飲んだり、新年を祝っていることの、そのギャップのようなものに、とても不安をおぼえました。親戚のおじさんたちも、心から昭和天皇の死をよろこんでいるわけではなかったと思います。けれども、わたしたちには、悲しむ理由がありませんし、また、ぎゃくに、悲しんだりするということにも、納得のいかないもの、うしろめたいもの

  • 倫理の鏡 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    わたしは、いつも、何ものでもなく、ただ「わたし」でありたいと願っているのですが、でも、わたしが何ものでもなく「わたし」だと思っているものは、当に何ものでもない「わたし」であるのか、いつもわからなくなります。  わたしは、今、朝鮮舞踊とチャンゴを習っています。舞踊のほうは、今年で四年目で、チャンゴの方は、習い始めてまだ一年しか経っていません。どちらも難しいですが、でも、習い始めてよかったと思っています。踊りを習い始めたきっかけは、オモニたちのように「オッケチュム」を踊れるようになりたいな、そして、わたしも、オモニたちと一緒にほがらかな顔で楽しく「オッケチュム」を踊りたいな、そう思ったことでした。「オッケチュム」は、オッケ(肩)をつかって自由に踊る踊りで、もともとは、どこかに習いに行くというような、形式ばったものではないように思います。むしろ、そういう形式性とはもっともほど遠い、ひとりひとり

  • 言葉にならなかった、たくさんの言葉 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    きょうは、ある方の文章を読ませていただいて、胸がすごくつまって、泣きそうになってしまいました。  訳者あとがきβ版(やくしゃ あとがき べーたばん) 「朝鮮人になりたい」  泣きそうになったというより、ほとんど泣いていました。まわりに誰もいなかったら、声を出して、えんえんと泣いてしまっていたと思います。涙がこぼれそうになるのをぐっとこらえて、そうして、鼻水がでそうなのを、すんすんとすすりながら、ずっと心の中で泣いていました。  「チョソンサラム(朝鮮人)になりたいです」  小さな子どもが言ったというその言葉をよんで、わたしは、いろんなことを思い出してしまいました。言葉にならなかった言葉、気づかないふりをしてきたけど、ずっとこらえてきたこと。わたしが、というよりは、両親や祖父母、親戚や友だち、わたしの知っている在日の朝鮮人の人たちが、ずっとずっと、感じてきたこと、言葉にしなかったけれど、ずっ

  • 「許すな! イスラエルのガザ侵攻 1・10緊急行動」 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    きのうの、大阪での「許すな! イスラエルのガザ侵攻 1・10緊急行動」は、約500名以上が参加をするという、予想よりも大きなデモになりました。  集会のお手伝いをしようと、一時過ぎに中之島の女神像前に到着すると「パレスチナの平和を考える会」のメンバーさんや、呼びかけ団体の方々がもう来られていて、横断幕やプラカード作りをされていました。プラカードはいろんなものが用意されていたのですが、わたしは、厚紙の表に「子供を殺すな!」「ボイコット!イスラエル!」などの抗議メッセージが書かれた用紙をはり、裏面にガザの虐殺で子供たちが負傷したり、怯えている様子や、瓦礫と化したガザの様子を、ネットなどからダウンロードをしてプリントアウトした画像を貼る、というプラカード作りのお手伝いをすることにしました。用意された画像に写っている、子供たちの痛ましい姿を見ながら、わたしは、このようなムゴたらしい現実が、今まさに

  • 怒る自由のよろこび - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    きのうは、「パレスチナ民衆虐殺に抗議する釜ヶ崎有志の会」による、アメリカ領事館前での怒りの抗議行動に参加をしてきました。  抗議行動の開始時刻は午後6時からでした。5時半に会社を終えて領事館前に駆けつけると、もう6時半前くらいになっていて、領事館前には、たくさんの人が集まって抗議行動を行っていました。前日、一緒に参加を決めていた同志が先に来ていて、参加者に混じって手作りのプラカードを抱えて立っていました。わたしも自分で作ったプラカードを手にその場に立ち、トラメガから聞こえてくる抗議メッセージを聞いていました。領事館前には、年末に参加をした抗議行動よりもたくさんの人が集まっていて、めいめいプラカードや、抗議の言葉を書いたパネルなどを手に、ガザ住民への虐殺に対する抗議の意思を示していました。空爆の開始から一週間以上も経ち、年を明けて、より一層残虐性を発揮していく、イスラエルによるガザの住民への

    holyagammon
    holyagammon 2009/01/06
    ”イスラエルによる虐殺も、ハマースの爆弾による死も、同じ「暴力」であり、どちらも「悪」だという、そんな風に「死者」の絶対化は、いつのまにか「暴力」の相対化につながってしまう”
  • 大阪の抗議行動の報告です。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    29日の、大阪アメリカ領事館前での、ガザ虐殺に抗議する緊急行動には、関西各地から約35人が集まったそうでした。  集合時間の午後三時、アメリカ領事館前に到着すると、もう何人かの人々が来られていて、抗議活動の準備をされていました。わたしにメールをくださった、「パレスチナの平和のための関西連絡会」のKさんやYさんが、持って来られていたパレスチナの旗を、二のポールにくくりつける作業などをされていました。わたしは、こんなに大きなパレスチナの旗を、いったいどこで手に入れられたのか、とてもビックリしたのですが、後から聞くと、Yさんたちによる手作りの旗なのだとかで、それを聞いたわたしは、もっとビックリしてしまったのでした。そういえば、在日韓人歴史資料館に行ったとき、解放直後、日の丸しか持っていなかった朝鮮人の人々が、自分たちで手作りしたという旗が展示されていたことを思い出しました。日の丸を作り変えた

  • 最後の質問 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    こんなん、知りました。  下関市教育長「植民地支配は歴史的事実に反する」  2008年6月28日17時5分  山口県下関市の嶋倉剛教育長(44)が26日、学校への教育補助金増額を求めて訪ねてきた山口朝鮮学園の金鍾九理事長と保護者らに、日の朝鮮半島に対する植民地支配について「植民地支配は歴史的事実に反する」と述べた。  同学園は山口朝鮮初中級学校を運営。この日、保護者側は「植民地支配によって日に渡航せざるを得なかった朝鮮人子弟が通っている。ほかの外国人学校とは経緯が違うことをふまえて対処してほしい」と要望した。これに対し、嶋倉教育長は「植民地支配という部分については歴史的事実に反するので受け入れられない」と述べた。   保護者らは机をたたくなどして激しく抗議し、金理事長も「歴史的事実は歴史的事実と受け止めて」と主張した。嶋倉教育長は「日朝併合の部分をいかに言うかは自由」と言いつつ、植民地

  • KT〜「声」を届けましょう〜 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    holyagammon
    holyagammon 2008/04/23
    "おおさか識字・日本語センターへの補助金(識字推進事業)が、2008年度の8月以降はゼロ、2009年度以降は廃止との考え方が示された"
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