寿都鉄道(すっつてつどう)は、1918年(大正7年)に創業、1920年(大正9年)に開業し、1968年(昭和43年)まで北海道寿都郡黒松内町の黒松内駅から同郡寿都町の寿都駅を結んでいた鉄道路線、およびそれを運営していた鉄道会社である[1]。 1968年当時に廃業した中小私鉄は珍しくはなかったが、資本金2000万円の会社の負債が2億5000万円に膨れ上がり、未払い賃金が長期にわたり発生するなど、最も悲惨な例として知られる[1]。 歴史[編集] 設立の経緯[編集] 寿都湾に面する寿都町は、ニシン漁のおかげで明治の頃からにぎわった町で、鉄道開通前の1918年には黒松内駅から乗合馬車が運行していた。料金は60銭で所要2時間、冬には馬橇で2時間半かかった[2][3]。 寿都町には函館 - 小樽間鉄道(函館本線)に連絡する支線を敷設して欲しいという要望があり、ことあるごとに関係機関に要請が行われていた
青函トンネルを含む貨物列車との共用走行区間で北海道新幹線の高速化を実現しようと、国土交通省などが同区間の物流を海上輸送に切り替えたり、新幹線車両を使ったりする手法を検討していることが分かった。2030年度の札幌延伸に向けて新幹線の集客力を高め、JR北海道の経営改善につなげる。ただ、道内外を結ぶ物流のコストや所要時間が膨らみかねず、道民生活に広く影響しそうだ。 北海道新幹線の最高速度は時速260キロだが、青函トンネル(約54キロ)を含む貨物との共用走行区間(約82キロ)では、すれ違う際の風圧で荷崩れしないよう140キロに制限。JR北海道は今月16日のダイヤ改正で160キロに引き上げる。 こうした中、さらなる高速化に向け、国交省の鉄道・物流・港湾など複数の部局と、JR北海道、JR東日本などが貨物列車の廃止や減便も視野に抜本的な方策の検討に着手。代替手段としてフェリーなどの利用や、座席を外した新
JR北海道と佐川急便はこのほど、宅配便を旅客列車で運ぶ貨客混載事業に取り組むことで合意したと発表した。宗谷本線幌延~稚内間で今年度中の事業化を計画しており、11月に実証実験を行うと報じられている。 宗谷本線幌延~稚内間にて、旅客列車で宅配便を運ぶ新たな貨客混載事業に取り組むという 両社が公表した事業概要によれば、佐川急便は稚内営業所で集めた荷物を専用ボックスで稚内駅に運び、JR北海道は専用ボックスを宗谷本線の列車内に固定し、幌延駅まで輸送するという。幌延駅で配達担当者が専用ボックスを列車から降ろし、提携するタクシーで幌延町エリアを配達する。 佐川急便はトラックドライバー不足への対策や集配効率の向上につながるとして、JR北海道に貨客混載事業の実現を打診していたという。JR北海道も、列車を有効活用して収入につなげるメリットがあると判断し、同社として初の貨客混載事業に踏み切った。
JR北海道が列車に導入している割れにくい窓をマレーシアの国鉄が採用し、今月末から取り換え作業を始める。氷雪の直撃でも割れないようにJRが樹脂製品加工の東邦シートフレーム(東京)と共同開発したプラスチック製で、従来の強化ガラス製の200倍超の強度がある。マレーシアでは車両への投石による窓の破損が多発しており、割れにくい点が評価されたようだ。 【動画】「ブルートレイン」はミャンマーに輸出=2015年11月 この窓が海外の鉄道に採用されたのは初めて。北海道内では、列車の高速化が進んだ1990年代、冬場に車両に付いた氷雪が落下し、その塊が線路に敷いた砕石をはね上げたり、氷雪自身が飛んだりして、列車の窓にぶつかり破損させる事故が目立つようになった。このためJR北海道は東邦シートフレームと割れにくいプラスチックの一種「ポリカーボネート」を使った窓を開発。2006年から導入を進めている。 東邦シートフレ
2018.7.2 「北海道フリーパスの旅」2018初夏.6日目中編(安国と丸瀬布) の続き そして丸瀬布から1日往復で4便しかない遠軽町営バス(遠軽丸瀬布線)で瀬戸瀬の集落に着きました。駅前には横断歩道がありますが・・・まぁあれでしょうな。 色あせた看板群。 バス待合所に「瀬戸瀬役場前待合所」と書いてありました。ほとんど人気の無いこの辺りが集落の中心部だったということでしょうか。 中澤山五郎さんの胸像。瀬戸瀬地区発展に貢献した人物のようです。 この施設の周辺だけに変わった照明がいくつかあって、ちょっと良からぬ想像をしてしまいました。この時に急に雨が降ってきたのですが、あっという間にやみました。 現世の行き先すら考えてません。 神とケンカした事はありません。 廃屋の前で「さぁ、変えるよ!」って言われてもこれっぽっちの説得力もありません。 ・‥…━━━☆・‥…━━━☆ ということで瀬戸瀬駅の
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思わぬところから鉄道新駅の話題が出た。JR北海道・千歳線の北広島駅から札幌方向へ約2キロ。札幌駅から約20キロの地点だ。ここに北海道日本ハムファイターズの本拠地が移転すると内定した。 北広島市が「きたひろしま総合運動公園」を再整備し、野球スタジアムを中核施設とした「ボールパーク」を建設するという。この構想の中に、新駅の誘致が含まれていた。新駅関連の話題だからもっと早くから認知しておくべきだった。しかし、私のプロ野球の興味は巨人軍V9時代で終わっていたため、情報収集の視野になかった。 北広島市が2016年12月20日に球団に提出した提案書(関連リンク)によると、スタジアムの周囲にショッピングモール、ホテル、サブ球場、キャンプ場、広大な芝生広場を2カ所、人工池、ゴーカートコースなどを擁する。構想図には「ジップライン」という乗りものがあって、これはワイヤーを張って滑車で滑り降りるというアトラクシ
北浜駅(きたはまえき)は、北海道網走市字北浜にある北海道旅客鉄道(JR北海道)釧網本線の駅である。駅番号はB76。事務管理コードは▲111619[2]。 歴史[編集] 1980年(昭和55年)に19代駅長・木村茂が待合室にらくがき帳を設置したのを皮切りに、「オホーツク海に一番近い駅・海岸まで20メートル」の看板の設置や入場券を買った旅行客に対し貝殻に「通行証」とペンキで描いた記念品を手渡すなどの独自のサービスを行うようになってから観光客が増え始めた[3]。 これらのサービスは無人駅となった後も、旧駅長室に軽食喫茶店「停車場」が入居し、オーナーによる切符を売る駅業務の代行とともに続けられていた[3]。 年表[編集] 1977年の北浜駅と周囲約500m範囲。左が網走方面。オホーツク海岸に接している。単式ホーム1面1線と、間に細い積卸場が挟まる形で貨物積卸線が2本、駅舎横の網走側に貨物ホームと引
入場口(旧札幌停車場) 旧札幌停車場 - 村内側より 旧開拓使工業局庁舎(国の重要文化財) 旧有島家住宅 旧浦河支庁庁舎 旧札幌拓殖倉庫 2006年8月 旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮) 2019年7月 旧青山家漁家住宅 2006年8月 旧小川家酪農畜舎 2006年8月 森林鉄道機関庫 下夕張森林鉄道で活躍した野村プリムス型DL(森林鉄道機関庫) 園内を走る馬車鉄道 2006年8月 村内の様子 - 馬車鉄道 開拓使札幌本庁舎 北海道開拓の村(ほっかいどうかいたくのむら、英称:Historical village of Hokkaido)は、北海道札幌市厚別区厚別町小野幌(野幌森林公園内)にある野外博物館[1]。 2007年(平成19年)8月に「博物館相当施設」に指定された[2]。 一般財団法人北海道歴史文化財団が指定管理者として管理運営を行っている。 概要[編集] 1967年に北海道百年記念事
北海道開拓の村(札幌市厚別区)に敷設されている馬車鉄道の軌道が1983年のオープン以来、初めて延伸されることになり、工事が始まった。入場者の利便性を向上させるのが目的。 開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建設された道内各地の建造物約50棟を移築復元している。動態展示の目玉とするため、開拓時代をイメージした馬車鉄道が敷設され、例年4月中旬から11月末にかけて入場者を有料で運んでいる。 現在の敷設区間は園内手前の旧浦河支庁庁舎から、奥の旧ソーケシュオマベツ駅逓所(えきていしょ)まで約500メートル。今回は、旧浦河支庁庁舎から手前に約80メートル延伸し、入場ゲートの役割を果たしている旧札幌停車場を抜けるとすぐに乗車できるようにする。 馬車鉄道は近年人気のアトラクションで、今年は約2万人が利用した。工事のため、営業期間が例年より1か月少なかったにもかかわらず、昨年より2000人以上増えた。 工事
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