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倉本知明に関するishiducaのブックマーク (7)

  • 「鬼」をもって神兵となす | フォルモサ南方奇譚⸺南台湾の歴史・文化・文学 倉本知明

    数週間前、偶然海辺に立てられた招軍旗を目にした。 確か、恒春半島を枋寮から楓港ふうこうを経て、牡丹郷に向かう途上だった。屏鵝へいが公路と呼ばれる台26線の幹線道路上では、近くの集落からやって来た農業従事者たちが並べられるだけの商品を並べて、法定速度+αで疾走する旅行者たちの車を呼び込んでいた。 芒果マンゴー蓮霧レンブ皮蛋ピータン洋葱たまねぎ玉荷苞ライチ蜂蜜はちみつ釈迦しゃかとう菱角ひしのみ 手書きで書かれた巨大な看板の文字が、するすると背後へと流れ落ちていく。細切れになった言葉を口にすると、何やら念仏を唱えているような気がした。 馬手に広がる大海原には毒々しいまでの陽光が降り注ぎ、剥き出しになった首元や手の甲をチリチリと焦がしていた。ヘルメットのフェイスガードの下に、ぼくは夜市で購入した厚手のサングラスをかけた。どうにかまともに運転できるようになったが、それでも視界に映る景色は強烈な日差し

    「鬼」をもって神兵となす | フォルモサ南方奇譚⸺南台湾の歴史・文化・文学 倉本知明
    ishiduca
    ishiduca 2024/04/05
    いわゆる招軍旗とは、「鬼(=幽霊)」を招集するために立てられる神具である。
  • ワタシハダレ? 台湾出兵と忘れられた拉致事件 | フォルモサ南方奇譚⸺南台湾の歴史・文化・文学 倉本知明

    それは実に不思議な被写体だった。 その日、従軍写真家の松崎晋二は、急遽亀山にこしらえられた台湾番地事務の営へと呼び出された。それは山と呼ぶには低すぎる場所であったが、それでも周囲に点在する集落を展望するには十分な高さがあった。西に目を向ければ大陸を望む台湾海峡が、東に目を転ずれば「生蕃」たちの暮らす山々を睥睨することができた。 営近くでは、昨日牡丹社討伐から帰還した兵士たちの興奮した声が響いていた。独特のリズムをもった薩摩訛りから、幕営を取り囲んでいる兵士の多くが元武士たちによって構成された「徴収兵」だと分かった。九州各地から志願してきた彼らの多くは、粗末な草履を履き、腰にはわざわざ内地から携えてきた日刀を差すなど、その風貌は熊から来た鎮台兵たちと明らかに異なっていた。 一週間ほど前、松崎ら非戦闘員は、台湾番地事務都督・西郷従道らとともに、瑯嶠下十八社の西側の町・社寮に上陸した。そ

    ワタシハダレ? 台湾出兵と忘れられた拉致事件 | フォルモサ南方奇譚⸺南台湾の歴史・文化・文学 倉本知明
  • https://twitter.com/KURAMOTOTOMOAKI/status/1762023586574090349

    ishiduca
    ishiduca 2024/02/26
    タンキーの様子。なぜかタンキーは女性がなるものだと思っていた
  • 瑯嶠八宝公主譚:カミさまとなったおひいさま | フォルモサ南方奇譚⸺南台湾の歴史・文化・文学 倉本知明

    こんな奇譚がある。 17世紀のオランダ統治時代、瑯嶠ろうきょうと呼ばれた現在の恒春半島の南端に一艘の難破船が流れ着いた。座礁したオランダ船の船員らは、上陸して救援を求める狼煙をあげたが、それを山上から見ていたクアール社に暮らすパイワン族の戦士たちは、集落へ侵入してきた「敵」の首を無慈悲に馘していった。難破船に積まれていた貨物は悉く奪い去られ、戦士たちは戦利品を高々と掲げながら山上の集落に戻っていった。 ところがある若い戦士は、一番槍をあげられなかったどころか、目ぼしい戦利品ひとつ得ることができずに、肩を落としながら坂道を歩いていた。このまま集落に戻れば仲間や家族に合わせる顔がない。そう考えた彼はこっそり隊伍を離れ、ひとり首のない遺体が転がる浜辺へと戻っていった。真っ白な南国の日差しが、首のない遺体の肌をじりじり焦がし、波打ち際に浮かぶ木片は集落に暮らす雌犬の柔腹のように、優しく上下に揺れ動

    瑯嶠八宝公主譚:カミさまとなったおひいさま | フォルモサ南方奇譚⸺南台湾の歴史・文化・文学 倉本知明
  • https://twitter.com/KURAMOTOTOMOAKI/status/1758118490459033635

    ishiduca
    ishiduca 2024/02/24
    今は昔、とても仲の良い家族がいたが、何の因果かある日息子が行方不明となった。両親は西国中を訪ね歩いたが息子は見つからない。瀬戸の海が美しく見えるある峠に差し掛かった二人はここで宿をとったが、そこに深夜
  • かつて日本人だった少年たちがたどった「戦後」(倉本知明)|翻訳書ときどき洋書

    「倉知明の台湾通信」第4回 『睡眠的航線』(眠りの航路)著:呉明益 2007年出版戦時中、兵士として戦場で美しく散華することを夢想していた三島由紀夫は、従来の虚弱体質がたたって、入営検査で気管支炎を肺浸潤と誤診されてしまい、敗戦当時は神奈川県高座郡にあった海軍工廠(軍需工場)で勤労動員されていた。彼は当時の様子をその自伝的小説『仮面の告白』において次のように描写している。 私は図書館係と穴掘り作業に従事していた。部品工場を疎開するための大きな横穴壕を、台湾人の少年工たちと一緒に掘るのであった。この十二三歳の小悪魔どもは私にとってこの上ない友だった。かれらは私に台湾語を教え、私は彼らにお伽噺をきかせてやった。三島由紀夫に台湾語を教えていた「この十二三歳の小悪魔ども」とは、昭和18年から敗戦に至るまでに、台湾全島から海を越えて高座海軍工廠に派遣されていた8400人にも上る台湾人少年工たちを指

    かつて日本人だった少年たちがたどった「戦後」(倉本知明)|翻訳書ときどき洋書
  • 羅漢門の皇帝陛下 | フォルモサ南方奇譚⸺南台湾の歴史・文化・文学 倉本知明

    文中の写真はすべて著者撮影 バナーデザイン:張郁卿 日統治時代にバナナの生産で栄えた旗山きざんの老街したまちを突き抜けて、羊の腸のように曲がりくねった細い山道を北へ進んでゆくと、にわかに視界の開けた大通りに行き当たる。かつて七つの流れ星が堕ちて、当地の龍脈を築いたといわれる七星塔を横目に、ぼくは肩で息をする中古のバイクを走らせていた。四半世紀もこの島の大路小路を走り続けてきた相棒は、山がちな地形に足を踏み入れる度に億劫そうなため息をあげる。 ぎらぎらと輝く南台湾の真っ白い太陽が、陽炎で歪んだバックミラーの上を気だるげに泳いでいた。 高雄市内門区。その昔、羅漢門と呼ばれたこの山間の小さな集落は、相異なる民族が織りなす奔放不羈な伝説の数々と、アヒル飼いの皇帝を生み出した場所だった。峻嶮かつ複雑な地形から、清朝時代にはあまたの山賊が跋扈したとも言われる羅漢門は、東に台湾島の脊梁とも呼ばれる中

    羅漢門の皇帝陛下 | フォルモサ南方奇譚⸺南台湾の歴史・文化・文学 倉本知明
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