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ブックマーク / www.news-postseven.com (11)

  • 官房機密費問題で河村建夫・元官房長官が重大証言「馳浩氏は発言撤回すべきではなかった」「私のときは麻生首相から“あそこに渡してくれ”と指示があった」

    馳浩・石川県知事が、国際オリンピック委員会(IOC)委員に対し「官房機密費を使ってアルバムを1冊20万円で作成して渡した」と語った問題。馳氏は批判を受けて「発言を撤回する」と述べたきり説明を拒んでいる。官房機密費(正確には内閣官房報償費)は、官房長官が管理していて使途が明かされない“ブラックボックス”だとされてきただけに、馳氏の発言は注目された。 そうした中、麻生太郎内閣で官房長官を務めた河村建夫氏(81)が官房機密費について取材に応じた。官房長官経験者が機密費について詳細に語るのは異例のことだ。河村氏は、森友学園問題をスクープし安倍政権の疑惑を追及してきたジャーナリスト・相澤冬樹氏のインタビューに答え、馳氏の発言などについて詳細に語った。その模様は、12月4日(月)発売の週刊ポストが詳しく報じる。 相澤氏の取材に対し河村氏は「馳さんは当たり前のことという軽い感覚で話したんだと思うよ」と語

    官房機密費問題で河村建夫・元官房長官が重大証言「馳浩氏は発言撤回すべきではなかった」「私のときは麻生首相から“あそこに渡してくれ”と指示があった」
    ishiduca
    ishiduca 2023/12/07
  • 「マスクなし会食で抗体上がった」西村康稔・元コロナ担当相、政治資金パーティーでの発言が波紋

    菅義偉政権下ではコロナ担当相として連日メディアに登場し、現在は経産相を務める西村康稔氏。所属する安倍派では後継会長候補のひとりとして名前が挙がっている。そんな西村氏が2月上旬、自民党衆院議員の政治資金パーティーにゲストとして登壇した際に話したコロナに関する発言が波紋を呼んでいる。 西村氏は挨拶の冒頭で、昨年9月に経産相として行った海外出張について、こう発言した。 「その時のカンボジア、タイは衛生状態も良くない、マスクはしてない、近い距離で会議がある、事もある、すぐ抱きつかれる。男性ですよ。そういう中ですね、感染をしてしまいまして」 西村氏はコロナ担当相時代から自身の抗体量を調べていたというが、昨年9月の感染後に抗体量を調べたところ、数値が上がっていたという。さらに感染から3か月経って再度検査した際には、感染直後より抗体量が上がっていたというのだ。それを西村氏は、こう結論づけている。 「私

    「マスクなし会食で抗体上がった」西村康稔・元コロナ担当相、政治資金パーティーでの発言が波紋
    ishiduca
    ishiduca 2023/02/28
    一体いくつの裏の顔をお持ちなんだろうか
  • 立川こしら イベント感を重視する演出で聴かせる独自の『帯久』

    音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接してきた。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、緊急事態宣言によって、急遽オンラインイベントとなった立川こしらの月例会より大ネタ『帯久』についてお届けする。 * * * 東京での立川こしらの月例会「こしらの集い」、5月は7日の開催予定だったが緊急事態宣言で中止となり、代わりに当日披露するはずだった内容を予め無観客で収録して同日時にツイキャスで有料生配信する「こしら師匠と一緒に楽しもう! 東京こしらの集い」というオンラインイベントが行なわれた。アーカイブなしで、画面右下にはリアルタイムで自らの高座を視聴するこしらがワイプで映り続ける。イベント感を重視するこしららしい演出だ。 披露されたのは『やかん』『帯久』の二席。通常は“鰻の由来”(ウがナンギしたから)で出てくるだけの鵜をあらゆる名前の由

    立川こしら イベント感を重視する演出で聴かせる独自の『帯久』
  • ネタ出しなしのサプライズ 柳家さん喬と柳家権太楼『百年目』

    音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接してきた。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、柳家さん喬と柳家権太楼の『百年目』聴き比べが実現したサプライズについてお届けする。 * * * 4月、国立小劇場での「陽春四景」で柳家さん喬と柳家権太楼の『百年目』聴き比べが実現した。 「陽春四景」は上・下の2回公演で、7日の「上」はさん喬、権太楼、兼好、萬橘が出演。さん喬がトリで『百年目』を演じた。一方、12日の「下」の出演者は権太楼、市馬、白酒、一之輔。トリの権太楼が『百年目』に入った時には驚いた。ネタ出しはなく完全にサプライズ。主催者のリクエストだという。 さん喬は向島の花見で幇間が「七段目の一力茶屋の趣向で落ちを取りましょう」と番頭を煽る。舟から陸へ上がると三味線が入り、由良之助気取りで芸者たちを追いかける番頭の描写が実に楽しそうだ

    ネタ出しなしのサプライズ 柳家さん喬と柳家権太楼『百年目』
  • 古今亭右朝 没後20年ますます評価が高まる“昭和最後の真打”

    音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接してきた。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、2001年に52歳の若さで亡くなった古今亭右朝の高座音源についてお届けする。 * * * 立川談志をして「あいつは天下を取る」と言わしめた実力者ながら、2001年に肺ガンのため52歳の若さで亡くなった古今亭右朝。「右朝が生きていれば、その後の東京落語界の勢力図はまったく違っていただろう」という声はいまだに強い。 その右朝の在りし日の高座音源を発掘してCD化し続けているのがキントトレコード。第一弾の「古今亭右朝1」(2枚組)は没後10年の2011年、命日にあたる4月29日に発売された。これは同レーベルからのリリース第一弾で、ある意味「右朝の音源を後世に残すために生まれたレーベル」と言ってもいいだろう。 「1」に収められたのは『小言幸兵衛』『羽

    古今亭右朝 没後20年ますます評価が高まる“昭和最後の真打”
  • 廃業した立川流の二ツ目による、独特の切り口で展開する新作落語

    音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接してきた。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、廃業した立川春吾が作家・ナツノカモとなって生み出す新作落語についてお届けする。 * * * 立川春吾という二ツ目がいた。細身のイケメンで、古典の筋も良かったが、それ以上に独特な切り口で展開する新作落語に才を発揮、“談志の孫弟子世代”を代表する一人になるだろうと大いに期待していた。 過去形で書いているのは、彼が廃業したからだ。 春吾が休業したと知ったのは2015年の初頭だったと思う。「たぶんこのまま廃業だろう」と聞いて愕然とした。あまりに惜しい。彼が自らのツイッターで「9月に廃業しました」とアナウンスしたのは2015年末。多くを語らなかったが、やむにやまれぬ事情があったのだろう。 彼と思いがけず再会したのは2019年11月の立川志の春独演会。

    廃業した立川流の二ツ目による、独特の切り口で展開する新作落語
  • 柳家権太楼 師匠小さんの型を練り上げたダイナミックな名演

    音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接してきた。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、柳家権太楼が通しで演じた人情噺の大ネタ『子別れ』についてお届けする。 * * * 10月10日の「大手町落語会」で柳家権太楼が演じた『子別れ』(通し)が素晴らしかった。 権太楼の『子別れ』は五代目小さん直伝の型だ。僕は2007年に権太楼が『子別れ』を「上・中」と「下」に分けて演じたのを観たが、その時、権太楼はマクラで「自分にとって『子別れ』は大切な噺です」と、小さんとのエピソードを語った。『子別れ』を稽古してくれと申し出た権太楼に小さんは「紀伊國屋ホールで演るから前で観ろ」と言った。そして当日、終演後に権太楼を伴って寿司屋へ行った小さんは「あの亀吉は俺なんだ」と語ったのだという。 今回の権太楼の口演は「上」から一気に「下」まで演じたもの。弔

    柳家権太楼 師匠小さんの型を練り上げたダイナミックな名演
    ishiduca
    ishiduca 2020/11/24
  • 「シブラク」キュレーターが綴った柳家喜多八と立川左談次の絆

    音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接してきた。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、『これやこの サンキュータツオ随筆集』(角川学芸出版)から、柳家喜多八と立川左談次とシブラクについてお届けする。 * * * この夏、学者芸人サンキュータツオ氏の随筆集が角川書店から出版された。タイトルは『これやこの』。これは、冒頭105ページに及ぶ長い随筆のタイトルでもある。 著者は2014年11月から渋谷のユーロスペースで始まった若者向けの落語会「渋谷らくご」(通称「シブラク」)のキュレーターとしてすべての番組を企画し、観客に対して毎回「出演者の紹介」と「聴きどころのアピール」を行なっている。「落語初心者向け」を標榜した「シブラク」の成功はこのキュレーターの存在なくしてはあり得なかった。『これやこの』は、その「シブラク」を支え、亡くなる

    「シブラク」キュレーターが綴った柳家喜多八と立川左談次の絆
    ishiduca
    ishiduca 2020/09/15
    『これやこの』は、その「シブラク」を支え、亡くなる直前まで出演し続けた二人の落語家、柳家喜多八と立川左談次の思い出を綴った随筆だ
  • 隅田川馬石『双蝶々』DVDで味わう舞踏のような攻防

    音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、独特の「柔らかさ」が魅力の隅田川馬石DVD「隅田川馬石長講十八番其の壱 双蝶々(ふたつちょうちょう)」についてお届けする。 * * * 五街道雲助の二番弟子、隅田川馬石。この人の滑稽噺には、なんともいえないトボケた可笑しさがある。力技でハジケた笑いを生むのではなく、飄々と演じている馬石の雰囲気そのものが楽しい。「爽やかさ」でも「軽やかさ」でもない、独特の「柔らかさ」が馬石の魅力だ。 最近聴いた中だと『明烏』が良かった。時次郎の純朴さがとても可愛く、だからこそ可笑しい。吉原が存在しない現代において江戸廓噺としての『明烏』来の面白さを見事に表現しているのはさすがだ。 だが一方で馬石は、師匠雲助譲りの重厚長大な人情噺を得意とする演者でもある。先

    隅田川馬石『双蝶々』DVDで味わう舞踏のような攻防
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    ishiduca 2020/05/06
    #隅田川馬石 #広瀬和生さん
  • 元近鉄オグリビー「自分と一緒に風呂入ってくれた」と喜んだ

    今は亡き昭和の野球場をたどるこのコーナー。今回は、近鉄バファローズが拠地を構えていた藤井寺球場のエピソードを紹介する。長らく低迷期が続いた近鉄も、西幸雄監督の熱き指導のもとで強豪チームへと変身。1985年には球場の大改装も行われ、風呂場には大浴場ができた。 * * * 近鉄・藤井寺駅から球場まで線路に沿って歩く約1キロの道沿いには屋台が並んでおり、近鉄が勝利すると値下げが行なわれた。 ところが試合に負けると、相手チームの野球帽を見た気性の荒い河内っ子たちが、誰彼構わずつかみかかり、喧嘩になるのも年中行事だった。商店街の人たちは、「近鉄が強くなれ」と祈っていた。その方が平和になると思ったに違いない。 近鉄が強くなったのは西幸雄監督時代が終わりを告げ、ナイター設備ができた藤井寺で腰を据えて闘うようになった、仰木彬監督の時代であった。1984年5月、「草魂」鈴木啓示が300勝を達成。198

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    ishiduca
    ishiduca 2019/08/28
  • ジェームス小野田 米米CLUB解散と再結成とSMAPに言及│NEWSポストセブン

    2016年12月31日をもって解散したSMAP。木村拓哉とそのほかの4人とが対立、こじれた関係が修復できずに解散に至ったとされている。 メンバー同士の“不仲”が原因で解散したグループは枚挙にいとまがない。『浪漫飛行』など100万枚を超えるミリオンセラーを生んだ米米CLUBは12年活動を続けたのちに1997年に解散した。その理由は当時、カールスモーキー石井の借金が原因で不仲になったと報道された。メンバーのジェームス小野田(57才)が初めて当時について明かした。 「メンバーは学校も一緒でずっと友達。最初は仲間で面白いことをやろうという感覚で曲を作っていて、だから『コミックバンドだ』といわれてたんです。ハナ肇さんからも『きみたち面白いね。クレイジーキャッツバンドだろ、ドリフターズだろ。それでそのあとが米米CLUBだよ』って言ってもらって…まだ全然有名になってなかったころだけど、そのころは楽しかっ

    ジェームス小野田 米米CLUB解散と再結成とSMAPに言及│NEWSポストセブン
    ishiduca
    ishiduca 2018/11/30
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