「千歳くんはラムネ瓶のなか」テレビアニメ化決定 福井県が舞台のライトノベル、作者は福井市出身の裕夢さん
北沢俊美防衛相直轄の防諜部隊「自衛隊情報保全隊」が、陸上自衛隊OBの佐藤正久自民党参院議員や田母神俊雄元航空幕僚長の講演に潜入し、現職自衛官の参加状況を監視していることが23日、分かった。複数の防衛省・自衛隊幹部が明らかにした。本来任務とは乖離(かいり)した不当調査の疑いがあり、憲法で保障された思想・信条の自由を侵害する監視活動との指摘も出ている。 自民党は24日召集の通常国会で、自衛隊行事での民間人による政権批判を封じる昨年11月の「事務次官通達」問題と合わせ、保全隊の監視活動についても政府を追及する方針。 保全隊は佐藤、田母神両氏の講演のほか、田母神氏が会長を務める保守系民間団体「頑張れ日本! 全国行動委員会」の集会にも隊員を派遣。また、陸上自衛隊唯一の特殊部隊「特殊作戦群」の初代群長を務めた陸自OBの会合なども監視対象にしている。 監視目的は現職自衛官の参加の有無を確認し、参加してい
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 猪瀬氏とはすでに打ち合わせさせていただきましたが、そんなこといちいちツイートで報告しませんよ。——が、それ以前に、こういうこと言って足を引っ張る連中が多いのを見ると単純に萎えますね。RT @-- 猪瀬氏の、あずまんに対する反応と孫正義に対する反応があまりに違いすぎて泣けてくる。 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma こういうひとたちって、「審議公開してください」「OK!するよ」ってすぐ実現して、それが全部ツイートで公開されると思ってるのかな。バカじゃないかしら。そもそも審議会委員の意志もあり任期もある。政治って、学生サークルの運営とは違うんだよ。いったいなんなんだろう。
←Click!! 以下の動画に向けて手紙を書きました。 父の介護で時間が取れず、時間がかかりましたが、全文載せます。 水島 総様 チャンネル桜様 私は二千人委員末端にいる富田と申します。 売れなくても何でも、漫画家で食ってきました。 多いとは言えない収入の中で、二千人委員が始まった最初の日に委員になり、今まで応援して来ました。 私は在特会員でもあり、主権回復を目指す会にも賛同しています。 水島社長、あなたが放送で「彼らは馬鹿だと思う」と言うのも、私は黙って聞いてきました。 「お前は馬鹿だな」と言われながら、そう言う人に毎月一万円払ってきた訳ですね。 日本を救おうと頑張る人々を応援したいから、じっと我慢して応援して来ました。 しかし、今回のこの暴言を黙って聞き流す事は出来ません。 私が以前、仰った事を要約したら、「NHKと同じデマゴギストだ」と罵られたので、水島氏および高清水氏が仰ったそのま
■また大規模デモ 今週土日、秋葉原と吉祥寺に於いて統一協会(統一教会)関連団体による【Pure Love 2010】なるデモ行進が行われ、またもや信者が大量動員された。本記事では両日の模様を詳細にレポートする。かなりの長編記事になるが読み進めてもらいたい。 ■12/18秋葉原 まず18日の秋葉原、先週11日土曜日に行われる筈だったデモ行進は情報漏洩を警戒したのか、それとも東京都青少年健全育成条例改正案可決に便乗したのか、何故か今週18日に変更になった。 昼前に駅近くに集合した信者。二人のビラ配布要員を残し集合場所へ。 駅東側にある和泉公園。公園に面した通りには毎回お馴染みの街宣車。 ■勝共連合の街宣車? 街宣車の中に注目 『思想新聞号外 ~ 国際勝共連合』とある。勝共連合の街宣車だった。 既に数十人の信者が集合していた ■小道具の準備 デモに使うプラカード 幟の組み立て ■北東京教区の信者
森達也さん、民意とメディア問う2冊出版 「オウム憎んでオウム化」2010年12月6日11時2分 朝日(樋口大二)映画監督の森達也さんの著書が相次いで刊行された。『極私的メディア論』(創出版)は、2005年からの日本のメディア状況への批評を集めた。『A3』(集英社インターナショナル)は、オウム真理教事件の裁判傍聴と被告人らとの面会を重ねる中で、オウム元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚を別の視点から見ることをめざして書かれた。オウム信徒を追うドキュメンタリー映画「A」「A2」を撮った森さん。『A3』は「オウムについてはもうこれで終わり、というつもりで書いた」という。同書に「つまり僕たちは、オウムを憎むことで少しずつオウム化しつつある」と記した。オウム事件の起きた95年ごろを境に危機管理が最優先され、社会の集団化と管理統制が進んだという。「麻原に早く死刑判決を出せ、という民意のもとで、裁判も異
項を変えますが。 藤本由香里は漫画の女性差別で表現の自由の規制派に理論提供した張本人 | 反省の女性学 はてなブックマーク - 藤本由香里は漫画の女性差別で表現の自由の規制派に理論提供した張本人 要するに、藤本由香里さんがフェミニストとして漫画における女性差別表現に厳しい批判をして、「マンガだから、というものではない」とまで言っていると。そういう人が規制反対派の中核の一人でいいのかという話。で、ブクマには、批評と法規制とは違うという人が少なくない。(ただし、この執筆者は政治的にはっきり右) ブクマに対する応答のような形で続きを書いておられて、どうなるかはこれから見ておきたいと思うけれど、自分になりにちょっと思うところを書いておきたい。 2次元児童ポルノ規制派は私達の土俵に乗ってくれると思い込む素朴な反対派 | 反省の女性学 一つは、あまりなエロマンガはけしからんという人も、たぶん藤本さんと
佐藤さんのサイトを見てたら、10年前のブックオフ・漫画喫茶に抗議する運動に異議を唱えた漫画家がいたことを教えられた。その人は「みやわき心太郎さんというベテラン」。佐藤秀峰 日記 | 漫画 on Webhttp://mangaonweb.com/creatorDiarypage.do?p=1&cn=1&dn=30417&md=2&cat=30060僕は、漫画・アニメを「日本が世界に誇る文化」と称することにいつも非常な違和感を覚えていて、たかがサブカルはサブカルらしくあったほうが面白いのになに威張ってんだ、あほちゃうかと思っている。なので、みやわきさんが、漫画家団体のアピール文に対して書いた文章の次の部分は痛快だった。同様に「世界に誇れる日本の文化」という言葉も圧力的に使ってあるが、日本の漫画を知る者であれば、漫画を「日本の文化」と限定し、大見得切るには、いささか疑問を感じさせざるを得ない。戦
ネット上には、「反日マスコミの偏向報道によって、日本国民は騙されてきた」と言う人たちが多い。そして、「ネットの真実」に目覚めた日本国民は、反日マスコミにはもう騙されないなどと言っている。これに対しては「ネットde真実」などと言われて2ちゃんねるでの現象がよく持ち出されながら、批判されてきた。ここでは、それとは逆の方向性でありながら「ネットの真実」に目覚めた「はてなde真実」のはてなの言説について書いてみる。 「ネットの真実」に目覚めて活動をしている団体に、在日特権を許さない市民の会がある。この在特会への批判をしないといけないことと、反在特会の問題を無問題化することは別のことだ。はてなの反在特会の言説で、まるで在特会を批判する者たちの足を引っ張るために言っているのではないのかと思われるものもある。 穢れてない日の丸なんてないのに(外国人排斥を許さない6・13緊急行動)【追記あり】 - pla
山崎マキコの時代遅れの性知識・性教育論がはてなで称賛されている。以下の記事は、ウェブ上の性知識の認識もない情報弱者の山崎マキコが、女子高生に情報弱者と言っているというお笑いの記事だ。山崎マキコは、現在使われている情報弱者の意味も分かってないのだろう。 文藝春秋編 日本の論点:山崎マキコの時事音痴 第236回子供にとっての性的世界 https://www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/onti/100902/index.html はてなブックマーク - 子供にとっての性的世界 - 文藝春秋編 日本の論点:山崎マキコの時事音痴 https://b.hatena.ne.jp/entry/www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/onti/100902/index.html 山崎マキコは以下のことを言ってい
多文化主義(たぶんかしゅぎ、英: multiculturalism)という用語は、政治哲学、社会学や日常生活では、基本的に「民族多元主義」と同義語である。他にも大きな集団内にある小さな集団が、異なる文化でありながらも大きな集団に馴染んでいることを意味する、文化多元主義を意味することもある[1]。 政治哲学としての多文化主義には、様々なイデオロギーや政策がある[2]。多文化主義は「サラダボウル」や「文化的モザイク」と表現され[3]、「人種のるつぼ」とは対照的である[4]。ある国家内で異民族の文化を等しく尊重し、異民族の共存を積極的に図っていこうとする思想、運動、政策[5]。 多文化主義への懐疑や否定は、グローバリゼーション派やアイデンティティ政治派らは「反リベラルだとバッシングを受け、タブーとされてきた。しかし、移民先への同化させない「寛容」な多文化主義政策は、結局はイスラム教圏をルーツに持
今、若手論客のなかでもっとも注目されている萱野稔人さんと、金融危機を予見したエコノミスト・水野和夫さんの共著『超マクロ展望 世界経済の真実』が刊行されます。超マクロ展望 世界経済の真実 (集英社新書)作者: 水野和夫,萱野稔人出版社/メーカー: 集英社発売日: 2010/11/17メディア: 新書クリック: 16回この商品を含むブログ (1件) を見る資本主義の根源からその歴史を読み直し、経済成長なき時代をどう生き抜くか、語り下ろした一冊です。本書で重要な論点のひとつとして挙げられているのが「国家」。市場経済とは異なる「カネ」が動く機関として、萱野さんが注目し続けてきたテーマです。「小さな国家」を目指し推進してきた日本の問題点とはなにか、先進国として日本が抱える先行性をどう思考していくか――。保守主義の立場で多く発言されている中島岳志さんを迎え、本書が開示する新たな地平に迫ります。対談 経
さっきたまたま気づいたのだが↓まあ、典型的にはbewaadの書いているものにあてはまるけど、社会をどうにかしたいという問題意識と、自分のおかれた境遇へのなんらかの鬱積が混交した感情を背景にして、1)引用が多く、2)断定的な発言は避け、3)勉強した成果は開陳するので門外漢には口出ししにくい、というものがある8:26 AM Nov 8th webから2人がリツイートhidetomitanaka田中秀臣http://twitter.com/hidetomitanaka/status/1415164523978753@hatenademian 例えばbewaad氏は「日銀はデタゲではない」とかなんとか訳わかめのことを言っましたね。ちゃんと0%以上になってから引き締めた、とか。つまり脳内ではデタゲではない、というのがデフレ派の考えなのでしょう。11:34 PM Nov 9th YoruFukurou
いやいや何を言っているんだ自衛隊は国家の暴力装置に決まってるだろう(参照:「仙谷氏「自衛隊は暴力装置」 参院予算委で発言、撤回」(asahi.com))。国家が(ほぼ)独占的に保有する暴力こそがその強制力の保証だというのは政治学にせよ法哲学にせよ基本中の基本であり、その中心をなすのが「外向きの暴力」としての軍隊と「内向きの暴力」としての警察である。で、日本では主として歴史的経緯によりこの両者が相当明確に区別され、かつ現実的にもあまり仲が良かったり悪かったりという話があるわけだが(戦前ならゴーストップ事件が典型ね)、フランスやイタリアにある国家憲兵隊制度や、発展途上国に多い警察軍制度に示されているように暴力としての本質に違いがあるわけではなく向きを変えれば同じものであると、そう整理されることになる。 その上で、まあ法哲学的にはゆえに国家は本質的に悪であるとする立場と、しかしこの暴力抜きには社
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