NHK大河ドラマ「平清盛」の崇徳上皇の終焉の地 保元の乱が終わり、崇徳上皇は流罪と決します。 その配流の地は、私が住んでいる香川県(讃岐の国)でした。 隣の市になりますが、坂出市に流されて来ました。 一番最初に上皇が上陸した松山津、生活なされた「雲井御所」と「木の丸殿」、崩御なされ埋葬された白峰寺の天皇陵、二条天皇が崇徳上皇の御霊を慰める為に建立した「白峯宮」までご案内致します。 約八年間の流罪生活の基盤を嫁ハンと共に訪ねる事にします。 嫁ハンと一緒に訪れた時は案内説明に一生懸命になって写真を撮って居ませんでした。 改めて訪れる機会を作って写真を撮影してきました。 「松山津;まつやまのつ」です。 五色台と云う山の西側にある小さな山の麓に、その松山津が在ります。 保元元年(1156年)7月に、讃岐の地に流された崇徳上皇は松山津に上陸しました。 その地点と思われる所には、石碑が建っています。