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J1とnumberに関するkizakiのブックマーク (15)

  • 浦和を愛し、浦和に愛された男。那須大亮の幸福な5年間と旅立ち。(二宮寿朗)

    元日に、携帯電話が鳴った。 画面の表示には「那須大亮」とあった。 年始のあいさつを交わしたあと「報告があります」と律儀な36歳のベテランは言った。それは5年間在籍した浦和レッズを離れるという一大決心だった。 「浦和で現役を終えるという選択肢もありました。でも最終的には自分の年齢も考えて“新しいチャレンジに向かいたい”と、自分の気持ちに従うことにしました」 浦和とは単年契約だったが、延長オファーを受けていること、ほかのクラブから移籍のオファーがあることは以前に聞いていた。 すっきりした口調に変わっていた。元日の電話から5日ほど経って、ヴィッセル神戸の獲得報道が流れた。 スタッフ、サポーターの思いが伝わってくるように。 サンシャイン池崎のセリフではないが、彼は“浦和を愛し、浦和に愛された男”であった。 空前絶後の熱血男。 エアバトル、咆哮、目を血走らせての競り合い……。気持ちを前面に押し出すフ

    浦和を愛し、浦和に愛された男。那須大亮の幸福な5年間と旅立ち。(二宮寿朗)
    kizaki
    kizaki 2018/01/18
    元日の短い電話。最後に彼は「浦和には感謝しかありません」と言った。そして「これからも全力で成長します」とも。
  • 矢島慎也、浦和で出場はまだ5分間。「秋まで我慢っていう流れには……」(轡田哲朗)

    「それには同意できないですね。秋ですよ、だって」 浦和レッズのMF矢島慎也は、全体トレーニングを終えると春の日差しに照らされたピッチでの居残りトレーニングをしていた。ボールを使ったメニューを一通り終えると、ユース時代から指導を受ける天野賢一コーチとランニングをして、ゆっくりとクラブハウスの方へ引き上げてきた。 今季、浦和の補強は若く将来性のある選手を中心とした新加入選手が多かった。それは矢島も例外ではなかったが、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督は開幕前に「浦和は昨年、最もポイントを取ったチームであり、それに代わる選手はなかなかいない。だが、私は彼らを成長させる。それがアドバンテージになっていく」と話した。 昨季加入のMF駒井善成は1つのロールモデルだろう。前所属の京都サンガでは中心的存在だったが、浦和でレギュラークラスの起用をされるようになったのは、秋からだった。あるいは、清水エスパルスの中心

    矢島慎也、浦和で出場はまだ5分間。「秋まで我慢っていう流れには……」(轡田哲朗)
  • 「レッズのサッカーがいいよね」と言…… - 阿部勇樹の名言 - Number Web - ナンバー

    世界のサッカーが進歩していく中で、日では「レッズのサッカーがいいよね」と言われるようになる、その道の途中なんだと僕は思っているし、そういうサッカーを作っていきたい。 阿部勇樹(サッカー) 2017/02/21 ここぞという試合に敗れ続け、タイトルを逃してきた浦和レッズ。なかなか突き抜けられない壁を突き抜ければ、その向こう側にものすごく強いレッズが待っているんじゃないか、と考えたくもなる。キャプテンの阿部は上のように語り、「自分たちしだいでその道は繋がってゆくはず。途中で止めるようなことだけはしちゃ駄目だなと思います」と続けた。 Number897号(2016/03/03)

    「レッズのサッカーがいいよね」と言…… - 阿部勇樹の名言 - Number Web - ナンバー
    kizaki
    kizaki 2017/02/21
    「自分たちしだいでその道は繋がってゆくはず。途中で止めるようなことだけはしちゃ駄目だなと思います」と続けた。
  • 矢島慎也「正直、すごく悩んだ」浦和復帰、柏木への挑戦が始まる。(杉園昌之)

    浦和ユース育ちの矢島慎也は、サポーターからの支持も根強い。ポジションを争う相手は強大だが、果たして結末は……。 レンタル期間終了による既定路線ではない。浦和との契約をまだ1年残し、人次第で他の多くの違う道も選べることができた状況下での、「帰還」である。 ただ矢島自身、最後まで心が揺れたことは吐露している。 「正直、すごく悩んだ」 岡山で成長していく姿を観察していたのは、親元の浦和だけではない。J2をつぶさにチェックしていたガンバ大阪からも高く評価され、今オフには正式な獲得オファーも届いていた。ここ2シーズンの矢島の働きぶりを見れば、驚くことではない。 岡山では2016年から10番を託され、クラブ史上初となるJ1昇格プレー決勝進出に貢献し、悲願まであと一歩に迫った。 年代別代表のプレーも十分にインパクトを与えた。 リオデジャネイロ五輪ではアジア予選からチャンスメーカーとなり、宿敵の韓国戦で

    矢島慎也「正直、すごく悩んだ」浦和復帰、柏木への挑戦が始まる。(杉園昌之)
    kizaki
    kizaki 2017/01/18
    「やっぱり、あの埼スタでまたプレーしたいと思った。僕は浦和で育った選手なので」
  • 森脇、柏木、阿部それぞれの喜び方。浦和の9年ぶりのタイトルに思う事。(飯尾篤史)

    ルヴァンカップの決勝、埼玉スタジアムには5万人を超える観客がつめかけた。彼らが目撃したのは、伝説の始まりだったのだろうか。 浦和レッズの5人目のキッカー、遠藤航のPKが決まった瞬間、ピッチの上ではさまざまな想いが交錯していた。 ベンチの前でPK戦の行方を見守っていたミハイロ・ペトロビッチ監督の元に駆け寄り、飛びついたのは、森脇良太だった。 「人生でこんなにうれしいことはないんじゃないかっていうぐらいの感情をいだきました。素晴らしい監督であることは間違いないんですけど、タイトルを取れないことによって、それが若干薄れてしまうのが辛かった」 森脇と同様、サンフレッチェ広島時代からペトロビッチ監督の指導を仰いでいる柏木陽介は監督ではなく、GK西川周作と最後のキッカー、遠藤を労いに行った。 「周ちゃんと航をほったらかしにしたら失礼やろ、と思って」 キャプテンの阿部勇樹は……監督の元にも、西川と遠藤の

    森脇、柏木、阿部それぞれの喜び方。浦和の9年ぶりのタイトルに思う事。(飯尾篤史)
    kizaki
    kizaki 2016/10/18
    阿部「プレッシャーが個人として強くしてくれている部分がある。レッズと対戦して、その雰囲気の中で毎試合プレッシャーを抱えていたら、強くなるんだろうなっていうのは思っていたので」
  • G大阪を完全に粉砕した浦和の“右”。駒井善成のドリブルは「やっかい」だ。(佐藤俊)

    凄まじい破壊力だった。 浦和レッズは、これまで昨年のリーグ戦、天皇杯決勝などここぞという大事な試合でガンバ大阪に苦汁を舐めさせられてきた。 しかし、10月1日の試合ではそれまでの屈辱を晴らすような圧倒的な攻撃力で4-0とガンバを粉砕した。柏木陽介曰く「パーフェクトな試合」だったわけだが、その攻撃をリードしたのが浦和の“右”だった。 右アウトサイドの駒井善成、右センターバックの森脇良太、右ボランチの柏木、右シャドーの武藤雄樹の4人が織り成す連動したプレーは見ていて楽しく、その攻撃力は半端ではなかった。4点中、先制点の高木俊幸、3点目の宇賀神友弥のゴール、4点目のズラタンのゴールは右からの崩しから生まれ、2点目の武藤のゴールは右サイドからのミドルシュートだった。 ガンバは駒井のドリブルにDFラインを下げられた。 浦和の右で脅威の軸になっていたのが、駒井だ。 右アウトサイドで高いポジションを取り

    G大阪を完全に粉砕した浦和の“右”。駒井善成のドリブルは「やっかい」だ。(佐藤俊)
    kizaki
    kizaki 2016/10/04
    "足首をケガしてから自分のステップが踏めずいろんな葛藤をしながらプレーしていた。FC東京戦から足首の調子がよくなって、やっと思い通りの力で踏み込めるようになったし、ムリがきく体になってきた。"
  • 「もう、やる気自体がない」の衝撃。興梠慎三は、何に苦しんでいたか。(轡田哲朗)

    「もう、やる気自体がないから」 試合後のミックスゾーンでその率直な言葉を聞いた私たち記者陣は、一様に苦笑いを浮かべた。しかし、その男は「いや、まあ、それが音で」と、こちらの反応に対して決して冗談ではないという表情で話を続けた。 浦和レッズの興梠慎三は17日のFC東京戦で途中出場すると、後半42分に駒井善成のクロスを頭で合わせて決めた。チームの勝利を決定づける3点目は、7月13日のベガルタ仙台戦以来、2カ月以上離れていたゴールの味だった。 その仙台戦と翌週の大宮アルディージャ戦を最後に、興梠は一度チームを離れている。リオデジャネイロ五輪のメンバーに、オーバーエイジとして参加したからだ。しかし、そのメンバー参加にあたっては逡巡があった。興梠のメンバー入り内定が発表されたのは6月下旬で、まさに浦和がファーストステージの終盤戦を戦っていたころ。勝負どころのゲームで3連敗を喫し、優勝の可能性を失っ

    「もう、やる気自体がない」の衝撃。興梠慎三は、何に苦しんでいたか。(轡田哲朗)
    kizaki
    kizaki 2016/09/21
    そして最後に「僕は絶好調になると思いますよ」と言い残してスタジアムを後にしていった。
  • 原口元気は、ここから更に速くなる。2年間で作り上げた「壊れない体」。(ミムラユウスケ)

    代表では、フィジカルと運動量を買われて中盤の底で起用されることが多い原口元気。その位置からでも、引いた相手にドリブルは効果を発揮するはずだ。 1-2で敗れたUAE戦の翌日、試合に出なかった選手たちは炎天下のなかで練習を行っていた。 前日の試合でスタメンではなかった選手、怪我のために別メニューとなった柏木陽介をのぞく、フィールドプレーヤーは10人。5対5の練習となった。4バックと1人のボランチがいる守備のチームと、2トップに左右のMFと、トップ下とボランチの中間のようなポジションに原口元気のいる攻撃のチームとに分かれていた。 2トップに入った選手たちがペナルティエリアでは1タッチまでと限定されていたこともあり、必然的に原口は前後左右に走り回ることになった。得意ではないパスでサイドのMFを走らせる場面もあった。 メニューが終わると、走り回っていた原口がピッチに倒れ込む。すべてを出し切った感じだ

    原口元気は、ここから更に速くなる。2年間で作り上げた「壊れない体」。(ミムラユウスケ)
    kizaki
    kizaki 2016/09/05
    2014年の1月から、ロシアW杯の開催される2018年6月を1つの目安として、肉体改造に取り組んできた。筑波大学の谷川聡氏と契約
  • 21世紀の浦和にはいつも啓太がいた。退団の理由、そして残して行くもの。(轡田哲朗)

    今、浦和レッズの歴史を最も知る男の決断だった。10月20日、鈴木啓太は自身のブログで、今季限りで浦和を離れることを決意したと発表した。2000年に入団すると、翌年から背番号を13に変更してレギュラーポジションを獲得。21世紀の浦和レッズの歴史は、そのまま“13番・鈴木啓太”の歴史とリンクすると言っても過言ではない。 彼ほど、苗字よりも名前で愛されてきたサッカー選手はなかなかいない。選手たちも、サポーターも、愛情をこめて「啓太」と呼んできた。 啓太と浦和の歴史をたどっていけば、それだけで一晩以上かかってしまうだろう。「緊張しましたよ」と語る'00年天皇杯でのデビューから、浦和の初タイトルとなった'03年のナビスコカップ。セカンドステージを制した'04年に、リーグ初優勝の'06年、アジアチャンピオンズリーグ制覇の'07年といったタイトルを、次々に獲得した輝かしい歴史がある。 一方で、シーズン中

    21世紀の浦和にはいつも啓太がいた。退団の理由、そして残して行くもの。(轡田哲朗)
    kizaki
    kizaki 2015/11/05
    「浦和に関わる人たちが、自分たちが日本のサッカー界を引っ張っていくんだというものを示していくことだと思う。もちろん、選手の僕らはそれを結果として出していければいい」
  • 高校生が浦和に入団するという意味――。作陽の10番・伊藤涼太郎が下した決断。(安藤隆人)

    セレッソジュニアユース出身の伊藤は故郷を離れた作陽高校で武器を磨き、浦和のスカウト陣から注目を受ける存在となった。 2015年秋。一人の高校生が、自らの人生において、大きな決断を下した。 岡山県の名門・作陽高校の背番号10・伊藤涼太郎。10月1日、スピードに乗ったドリブルと正確なパスを持つこの高性能アタッカーは、来季から浦和レッズでプロのキャリアをスタートさせることを正式に発表した。 この決断は、茨の道であることは間違いない。今年のJ1ファーストステージの王者であり、リーグ屈指の戦力を誇る浦和レッズ。槙野智章、柏木陽介、西川周作という現役の日本代表選手と、森脇良太、李忠成、武藤雄樹、興梠慎三など日本代表経験者をずらりと揃え、資金力も豊富なビッグクラブだ。 3年前は興梠、森脇、那須大亮らが、一昨年は西川、青木拓矢らが、昨年は武藤、高木俊幸、橋和、石原直樹、ズラタン、加賀健一と、他チームの主

    高校生が浦和に入団するという意味――。作陽の10番・伊藤涼太郎が下した決断。(安藤隆人)
    kizaki
    kizaki 2015/10/30
    熱視線を送っていたのが、浦和の宮崎義正スカウト担当部長と山田暢久スカウトだった。必ずと言っていいほど彼らがいた。昨年の初めから熱心に足を運び視線を送る姿に、彼らの本気度が伝わってきた。
  • 浦和レッズ 阿部勇樹×関根貴大無敗ステージ優勝の快挙に思うこと。(Number編集部)

    1000万円以上するというティファニー製のステージ優勝トロフィーを挟んで、穏やかに撮影が行なわれている。 「それじゃ、2人でニヤッと笑ってみますか……」 カメラマンのリクエストを受けると、阿部勇樹はトロフィーを持って両手がふさがった後輩のわき腹をツンツン。変顔でも笑わせにいく。関根貴大は堪らず、のけぞって爆笑。33歳の大黒柱と20歳の新星が見せた微笑ましい光景に、その場の空気が一気に和んだ。 2015年6月23日、浦和レッズが第1ステージ優勝を決めたヴィッセル神戸戦の3日後。大原サッカー場には300人近い人々が詰め掛けていた。9年ぶりにリーグタイトルを手に入れた浦和レッズが、優勝後初めてファンサービスを行なったのだ。炎天下でサインや写真を求めるサポーターは、夏の太陽にも負けないほどの熱気を放っていた。 しかし、外の喧騒に反してタイトル獲得の当事者である2人は落ち着いている。謙虚で、浮つかず

    浦和レッズ 阿部勇樹×関根貴大無敗ステージ優勝の快挙に思うこと。(Number編集部)
    kizaki
    kizaki 2015/07/10
    「優勝を決めるまでの16試合はもう終わったので、ここからスタートだと思っています。」
  • 川口能活と楢崎正剛が語った、日本一シュートのうまい選手とは? - サッカー日本代表 - Number Web - ナンバー

    名古屋市内のホテルにて。先に到着した川口能活と雑談していたら、まるでゴール前からのコーチングのような豪快な声が、取材部屋に響きわたった。 「ヨッちゃん! ごめん、待った?」 「おー、正剛! ひさしぶり。全然大丈夫だよ」 川口能活と楢崎正剛が、同じ空間で語り合う。正直に言うと、Number創刊35周年記念号で実現したこの対談がうまくいくのか、不安だった。長く日本代表正GKの座を奪い合った1歳違いの2人が、お互いに対してどんな感情を抱いているのかわからなかったから。新人の頃からメディアで比較され続け、プレースタイルやキャラクターの違いから、W杯やアジア杯が近づくたびに、世論はどちらをゴールマウスに立たせるべきか意見が分かれた。日本代表の練習中に2人が話していると、報道陣がざわつく場面もあったほどだ。 ところが、目の前に座った守護神たちは、お互いを「ヨッちゃん」「正剛」と呼び合っている。こちらの

    川口能活と楢崎正剛が語った、日本一シュートのうまい選手とは? - サッカー日本代表 - Number Web - ナンバー
  • 阿部勇樹を叫ばせた浦和サポの罵声。彼らの挑戦に尊敬と、少しの時間を。(近藤篤)

    気温は12.9℃、さほど寒くない夜だった。 キックオフは水曜日の19:30、埼玉スタジアムには13527人の観衆が集まった。南スタンドの片隅に集まったブリスベン・ロアーのサポーターは100人もいなかったから、およそ13400人のサポーターの声援を受け、浦和レッズはこの試合を戦った。 今季の浦和はすでに公式戦を2試合戦い、2敗を喫していた。 1敗目は1週間前の水原で、2敗目は4日前の日産スタジアムで。 ACLグループリーグ第1戦となった対水原ブルーウィングスも、ゼロックススーパーカップのタイトルをかけて戦ったガンバ大阪戦も、スコアは異なるものの(1-2と0-2)、レッズがサポーターに対して残した印象はほぼ同じものだった。 またこうなるのかよ! やっぱりこうなっちゃうのかよ! ボールは支配する。相手陣内にそれなりに押し込みもする。しかしながら、気がつけば敵のカウンター一発で失点をし、あるいはイ

    阿部勇樹を叫ばせた浦和サポの罵声。彼らの挑戦に尊敬と、少しの時間を。(近藤篤)
    kizaki
    kizaki 2015/03/06
    最後のくだりで、ロビーにそれを言うのはちと違うと思うけど。その段落のせいで結局筆者のサッカーの好みの問題に受け取られるのでは?近藤さん?
  • “全員で崩す”浦和を象徴する最前線。シュート数ゼロ、興梠慎三の献身ぶり。(茂野聡士)

    今季、8年間在籍した鹿島から浦和に移籍した興梠。現在26歳、選手としても今まさに円熟期を迎えようとしている。 出場3試合、計234分間で0。 J1リーグ開幕戦のサンフレッチェ広島戦(2日)、第2節の名古屋グランパス戦(9日)、そして12日に行われたACLグループステージ第2節、ムアントン・ユナイテッド(タイ)戦で、浦和レッズの1トップとして先発した興梠慎三のシュート数である。 いつの時代でも“シュートを打たないFW”には当然、厳しい目が向けられることが多い。 しかし、ムアントン戦の71分のことだった。 新人FW阪野豊史と交代してピッチを去った背番号30に向けて、埼玉スタジアムに集った浦和サポーターは惜しみない拍手を送った。 それは他クラブから移籍してきた選手が認められるまで、比較的時間がかかる浦和では珍しい光景だった。 高さと強さで勝てなくても、技術と「間」で優位に立つ! サポーターの

    “全員で崩す”浦和を象徴する最前線。シュート数ゼロ、興梠慎三の献身ぶり。(茂野聡士)
  • <スモールクラブのJ1サバイバル術> サガン鳥栖の浪漫飛行。~“降格候補筆頭”躍進の秘訣~(藤島大)

    傍観者は皆、声を揃えた。「昇格で十分に快挙」。 その見た目に乏しい戦力からして、1年での J2出戻りを誰も疑わなかった。しかし――。 弱者を魅惑の戦闘集団へと変えた気鋭の韓国人指揮官と、 不動のボランチにして主将の言葉から紡ぐ躍進の秘訣。 いつか鳥栖は「終着駅」だった。鉄道の話ではない。Jリーガーのおしまいの場所という意味だ。挫折の果てに辿り着くローカルな小クラブ。北京五輪の日本代表で唯一の得点者、豊田陽平が期限付きで京都からやってきたら、正直、悲哀の二文字が浮かんだ。経営は幾度もぐらつき、嫌な言葉だが「お荷物」と扱われもした。 そのサガン鳥栖が、J1昇格の今季、走って、走って、走り疲れるだろうと思われたのにまだ走り続ける。夏を迎え、秋に差し掛かり、そこから先も足は止まらない。いまや、豊田は太陽の塔のごとく屹立する。 第3節の横浜F・マリノス戦で初勝利、以後、引き分けの勝ち点1を主たる養分

    <スモールクラブのJ1サバイバル術> サガン鳥栖の浪漫飛行。~“降格候補筆頭”躍進の秘訣~(藤島大)
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