8月15日が近づいてきた。アジアの人々の視線が日本に集まっている。靖国神社を5度にわたり頑なに参拝しつづけ、日本と近隣諸国の関係を著しく損なってきた小泉純一郎首相は、退陣を控え、衆人環視の中で再び時代の流れに逆らい、靖国神社を参拝するのだろうか――。このことが、何億人もの人が関心をよせる焦点となっている。 小泉首相は、最後の機会に参拝をやめてもよいのだ。 小泉氏は一貫して、参拝は「個人の心の問題だ」、「他人がとやかく言うべきことではない」と語ってきた。これについては、紙面を割いて細かく反論するに値しない。一国の首相として、個人の心の問題と国益のいずれが大事か、天秤にかけて測るまでもないだろう。 人々が小泉氏の参拝を単独の個人的な問題と捉えることができないのは、小泉氏の身分が一般人と異なるためだけではない。より重要な原因は、小泉氏の行動が戦争評価を覆そうとする日本の右翼の動