自由っていうのはとても(orちょっと)寂しいものだなあと、更新しない自由(というか「さぼり」)を行使していた私が言うのも何ですが、ほんとにそれは思います。昨年は愛犬に逝かれ世話をしない自由を手に入れた私ですが、その自由の何と索漠としたものか。 更新しなくなったのは母から「自由」になりそうになり、また父からも「自由」になりそうになってしまったというのも一つの理由ですが、まあ今のところ小康状態というかしばらくは私を自由にしそうにないところまで来てくれたので一息ついております。同居してないだけいろいろ大変でもありました。(便検査の潜血反応を三年もシカトしてみたり、明らかに狭心症の発作を何度か起こしながら全然医者に罹ろうとしないなど、何と言うか一気に問題化したときにこちらが参ります。) もちろん自由なんて一言でどうこう言えるものでもなく、それを語るなら「奴隷的状態からの自由」とか「政治的自由」とか