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ブックマーク / blue-pink.hatenadiary.org (2)

  • 信教の自由とは偏見を持つ自由のことなり。 - BLUE PINK の日記

    靖国参拝では、個人的には首相は参拝すべきでないと考えてるが参拝する権利はあると思う。首相も国民だから憲法が定める信教の自由はある。 ともかく私はuumin3氏ほど「宗教リベラル」(笑)ではないが、無宗教主義の押し付けはあってはならないと考えている。 信教の自由が守られるにはまず偏見を持つ自由が守られなきゃいけない。 以下多少脚色したが実話。 あるエセリベラル(ヘタレサヨク)教師Bの場合。彼は中学校で歴史を教えてる。熱心で生徒からも人気がある。絶対平和主義者で、ことあるごとに戦争の悲惨さを強調している。一般的にいえば左翼。授業中によく脱線してそっち方向の話で授業の3分の1が潰れることもよくある。 教師Bはそうやってちょっとメディアと変わった視線で生徒に話をするのを生きがいにしていた。生徒の方も歴史そのものよりもよっぽど面白いので脱線に期待していた。 そんなある日、話は二ケーア公会議から宗教の

    信教の自由とは偏見を持つ自由のことなり。 - BLUE PINK の日記
  • 靖国参拝は信教の自由があてはまるか? - BLUE PINK の日記

    id:uumin3さんのエントリに、首相の靖国参拝は信教の自由には当たらない、とコメントしたところ、丁寧なご批判を頂いた。 一見私の宗教認識や主張を批判してるみたいだが、内実むしろ私の主張を補足してると思う。 後半については確かに偏見に満ちたようなレトリックを使ってしまった。しかし、私自身別に日の宗教観についてポジティブにもネガティブにも捉えていない。(もちろんみんながポジティブなら相対的にネガティブだといえるが)私が言いたかったのは宗教観が西洋と日では異なる、ということ。クリスマスの例は不適当だったかもしれないが、日的宗教が、無規範で祭り的騒ぎという性質をもつのは事実だろう。 それは軽いノリだった故に、血みどろの宗教戦争を起こさなかったというよい面もある。しかし、だからこそ西洋的な信教の自由がそのまま当てはまるとは思えない。 そもそも西洋の信教の自由はカトリックとプロセスタントとの

    靖国参拝は信教の自由があてはまるか? - BLUE PINK の日記
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2006/07/21
    「軽いノリの人が一回くらい神社に参拝できないことなどどうでもよい。」ファシストの言葉にしか見えません
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