かつてケーニッヒスベルクという美しい街がプロイセンにあった。 しかし、この街は第2次大戦の激戦で地上から抹殺され、醜悪な建物があるロシアの飛び地になってしまった。だから、いまそこを訪ねるには、空間を超えるだけでなく、時間をも超えるバーチャルツアーが必要だ。 2001年にドイツのグループと共同研究をした時、私より少し年上のドイツ側のリーダーの教授から、「東部地区から、母親とともに命からがら逃げてきた」という話を聞いた。 私は東京大空襲で生き残った話をしたのだが、「こういう話をできるのはドイツ人とだけだ。アメリカ人とは決してできない」としみじみ思った。 彼は「東部地区」と言ったのだが、ケーニッヒスベルクだろうと私は思っている。 この街は、1255年にプレーゲル川河口にドイツ騎士団によって建設されたドイツ騎士団国の首都。その後、プロイセン公国、東プロイセン州の首都となった。 上と下の写真は、ドイ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く