昨年12月下旬、大阪市立桜宮高校バスケ部の男子生徒が、監督から「体罰」を受けたことを理由に自殺した。確かに非常に痛ましく、悲しい事件である。繰り返してはならない。しかしこの事件を相対化し、「体罰」自体を完全に否定するのには、私は疑問を抱く。 今日2月19日参院予算委で、安倍総理は体罰について「断ち切らなければならない悪弊だ。日本の伝統という考え方は間違いだ」と述べ、「政府としては体罰の考え方をより具体的に示し、学校現場の過度な萎縮を招かないよう配慮しながら体罰禁止の趣旨の徹底を促したい」と答弁した。 確かに、「教育上の体罰」と「教師による個人的な暴力」は紙一重であって区別するのは難しい。しかしだからと言って「体罰」そのものを全否定してしまうのは間違っていると私は思う。口で注意することが先ずは最も大切だが、口で注意してもわからない「いじめっ子」や「暴力をふるう子」に、皆の前で「げんこつ」をは