上記のフレーズの構造はつぎのとおり。 最初の2つが、 【ポジティブな意味の言葉で形容した現象】→【ポジティブな価値判断】後の2つが 【ネガティブな意味の言葉で形容した現象】→【ネガティブな価値判断】要はどちらも、「良識は良い」「悪習は悪い」という無内容なフレーズを長々と横に伸ばしただけである。 「無内容なくせに何か深いことを言っている」―――これがこの手のレトリックの厄介なところである。他人を騙すだけならまだいいが(いや、良くないが)、いっそう厄介なのは「よし書けた!この文章は実に論理的だなあ!」と自分自身をすら騙してしまう点である。 たとえば、「正義の暴走」という表現を好んで使う人の98%は正義の適正状態を定義しない(当社調べ)。にもかかわらず、「正義そのものは重要だが、暴走することに注意すべきだ」という、実務的には無意味な文で何かを言った気になってしまう。そして、この手の言説に共感した
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