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ブックマーク / agora-web.jp (24)

  • 足利事件に関して、「勇気」ということ - 矢澤豊

    どうやら冤罪事件ということが確定しそうな「足利事件」。時効が成立してしまった今となっては、真犯人の追求は不可能なようです。 六月初め、東京高検の刑の執行停止手続きにより、服役者が17年ぶりに釈放されて以来、なにか「アゴラ」の上でコメントしようと思っていたのですが、最高検の伊藤次長検事を初めとして、さみだれ式にポツリ、ポツリとでてきた謝罪、そして安易な情緒に流れる日のメディアのたれ流し報道を眺めているうちに、すっかり自分の切り口の焦点が定まらなくなってしまい、弱っているうちに月があらたまってしまいました。 もちろん当事者ご人が不当に受けた苦痛や屈辱などの「人間ドラマ」も重要ですが、日の刑事司法の将来を念頭においた場合、この事件の意義は次の二つだと思います。 ひとつには「警察の犯罪捜査の質の向上」です。警察による取り調べの可視化は、喫緊の課題であり急務であるということは、すでに論をまたな

    足利事件に関して、「勇気」ということ - 矢澤豊
  • 裁判員制度に関する(極めて私的な)雑感 - 矢澤豊

    何らかの分野の「専門家」をして、その意見を発表せしめる場を提供している「アゴラ」。 そこに一応「法律家」としてメンバー参加させてもらっている私ですので、目下話題の「裁判員制度の導入」に関して、なにか一言あってしかるべきなのではと、(読者諸賢における期待の有無は別にして)自分でも思っている次第なのですが、いささか自分でもあきれるくらい制度そのものに対する興味がございません。 私が刑事事件関連の仕事から足を洗って以来、巡る星霜、早や十余年。しかも私の場合は資格を取得したイギリスにおいて、ヒヨッコ法廷弁護士時代に4年間ほどMagistrates Court(治安判事裁判所と訳される)をドサ回りしていた程度のかかわり合いです。 少々説明が必要かもしれませんね。 治安判事裁判所は、「Magistrates(治安判事)」と呼ばれる裁判官が軽犯罪事件の公判と、重犯罪事件の予審を行う法廷です。治安判事は原

    裁判員制度に関する(極めて私的な)雑感 - 矢澤豊
  • オーストラリアにおける「不都合な真実」の悲惨な結末 - 矢澤豊

    今年の2月7日前後に、オーストラリアのヴィクトリア州で大規模な山火事(ブッシュファイア)が同時発生し、200人近くが死亡、約500人が重軽傷を負い、約2,000世帯が住まいを失うという大惨事がありました。 私が当地香港で所属するラグビー・クラブには多くのオーストラリア人がいるので、あの時期は、「(家族や友人は)大丈夫だったか?」というのが挨拶代わりになっていました 。 幸い私の周りには、身内や知り合いに直接被害を受けた人はいませんでしたが、知り合いのオーストラリア人弁護士が吐きすてるように言った次の言葉が印象に残りました。 「バカなグリーニーたち(Greenies=環境保護主義者)の責任だよ。」 どういうことか聞いてみると、つまり次のようなことだったのです。 主に中国経済に牽引され好景気が続いたオーストラリアでは、ちょっとした不動産ブームがすすみ、ここ数年間に郊外エリアの外環部での宅地造成

    オーストラリアにおける「不都合な真実」の悲惨な結末 - 矢澤豊
  • 「建国記念の日」に思う - 松本徹三

    2月11日が「建国記念の日」として制定されたときには相当の議論がありました。 戦前はこの日を「紀元節」として盛大に祝い、明治憲法の発布もこの日を選んで行われたわけですが、そもそも何故2月11日なのかといえば、西暦720年に完成した日最古の歴史書である「日書紀」に記された神武天皇即位の日(元日)を、グレゴリオ暦に換算すると西暦紀元前660年の2月11日に当たるからという理由からでした。 日で文字が常用されるようになったのは西暦600年前後であり、紀元前の話となると「各地での伝承をつなぎ合わせたもの」でしかありませんから、そのような曖昧なものを「建国を記念する日」のベースとすることが果たしてよいのかという議論は、「史学会」などを中心にその時にもありましたし、それ以前の問題として、社会党などの野党は「戦前の紀元節の復活は、あらゆる面で戦前の体制への復帰を企てる自民党の画策の一環である」とし

    「建国記念の日」に思う - 松本徹三