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ブックマーク / blog.livedoor.jp/easter1916 (5)

  • ララビアータ:安倍政権の大失態 - livedoor Blog(ブログ)

    人質全員の殺害という最悪の結果に終わったISISの事件について、思う所を書いておく。 まず異様に感じられたのは、その報の後のテレビ報道である。同胞の悲報を受けたのに、服喪の感情も痛切な悔恨もないまま、いつものようなバカ番組を垂れ流している。 かつて誘拐殺人事件や人質立てこもり事件などが起こったとき、人々は己れの身内のように心配しなかっただろうか? そして、犯人への急襲が失敗して人質が犠牲になったりしたら、警察への非難が巻き起こらなかっただろうか? 凶悪犯に対する怒りもさることながら、救出に失敗した場合、当局の責任が厳しく問われるのは当然であろう。犯人が凶悪だったから仕方なかったということにはならない。そのような者から国民を守るために国家権力が存在するのだからである。その意味では、今般の結果は最悪であり、政権の失態は明白である。 それゆえ、政府はその無策無能ぶりを謝罪し、その事態を招いた経緯

    maangie
    maangie 2015/02/09
    「200億ドル」?
  • ララビアータ:エジプトのクーデタ - livedoor Blog(ブログ)

    エジプトのクーデタは、せっかくのエジプト革命を台無しにするものとして、深く失望を与えるものと見る向きもあるかもしれない。 しかし私はそうは考えない。もちろんモルシ政権が中東和平にもたらし得る大きな可能性の芽が当面摘み取られたことは、たいへん残念なことである。イスラエルはそれを歓迎していることであろう。 だが、モルシ政権は、少なくとも内政的には初めから大きな限界を持っていた。モルシ政権は、軍の是認とは言わないまでも、軍の黙認の上に政権についたものである以上、大幅には軍の利権に手をつけることができない。とりわけ軍が経済の大きな部分を独占的に支配しており、旧ソ連の国営企業のような非効率な経営を余儀なくされているのである。モルシ政権のもとでも、軍は相変わらず大きな権力をもち続け、常に圧力をかけ続けざるを得ないのであり、その下で経済の順調な発展には、足かせのように非合理的な制約が科せられていることに

  • ララビアータ:田中聡の暴言 - livedoor Blog(ブログ)

    私はいままで新聞を取ったことがないが、新聞を無益なものなどとは考えない。世の中の動きを知るうえでは、ほとんど役には立たないが、新聞の動きを知るうえでは有益である。先日、行きつけの定屋で読売新聞(2日朝刊)を見たら、例の防衛省の田中聡沖縄防衛局長の暴言についてなかなか面白い動きを見せていた。 琉球新報の普久原均編集局次長が、読売新聞の取材に対し、「著しく人権感覚を欠いた発言で、広く県民に知らせるべきだと考えた」と回答。記者が懇談の場で田中氏にオフレコの撤回を求めなかったことについては、「想像できないような発言に記者が驚いてしまったため、その場で田中氏にオフレコ解除を申し入れることはしなかった」としている。 とある。極めて興味深い記事である。読売の記者は、琉球新報によるオフレコというコードの違反をとがめ立てているのだ。しかし、そこに同席した琉球新報以外の記者たち(読売の記者も含む)は、どうし

  • ララビアータ:戦争裁判の法理 - livedoor Blog(ブログ)

    先日、南原繁シンポジウムに出かけた。恥ずかしながら、私は南原についてはほとんど何も知らないに等しい。南原実先生には、直接ドイツ語と思想史を教わったのだが。 今回の講演で知って驚いたのは、南原繁の実践的・政治的手腕についてである。彼は、戦後教育改革で、非常に大きな役割を果たしているのである。6・3・3・4制、教育法、公選教育委員会、師範学校廃止、旧制高校廃止など、戦後教育の基を敷いた教育刷新委員会を座長として指導したのである。委員会にさまざまな傾向をもった多様な人物がいたこと、師範学校や旧制高校など既得権益やエリートたちのノスタルジーなど、きわめて大きな障害があったことを考えると、この委員会が成し遂げたことの大きさが理解される。 丸山真男の『回顧録』下(p−62)によると、大学の評議会での南原の議事運営は、水際立ったものであったようである。このような政治的手腕は、目立たないけれども、実

    maangie
    maangie 2008/12/09
    田島正樹。「東京裁判が「事後法禁止」の原則に違反しているという瑕疵」。南原繁。丸山真男。宮沢俊義。
  • ララビアータ:マルクス家の方へ du cote de chez Marx - livedoor Blog(ブログ)

    ロンドンのディーン街28番地のマルクス家は、今も私のまぶたにありありと浮かんでくる。うらさびれた街角の曲がりくねった路地の突き当たりの一角に、そのアパルトマンはあった。最下層の亡命ドイツ人たちの多く住むその一帯は、けして瀟洒などとはいえなかったが、その擦り切れた数段の階段を上って古い木戸を開けると、そこには別世界が広がるように思われたものだ。壁紙は、古い緑色のフェルトがすっかり陽によって褐色に変色していたし、床の絨毯も、頻繁に歩くところがけもの道のように型がつくほど擦り切れていたが、暖炉には明々と灯がともり、利発な娘たちの笑い声がいつもはじけていた。そして、あのすばらしいジェニーの心のこもったもてなしがあった。面やつれした表情には、つねにこの上ない善意と気さくさをたたえていたが、思えば、気さくさを感じさせたということ自体が、すでに何か庶民的でない雰囲気をたたえていたことを示していたと、今で

    maangie
    maangie 2007/10/05
    すいません。意味が解りませんでした。
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