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ブックマーク / toyotaka-sakai.hatenablog.com (2)

  • そろそろ多数決の危険性を直視しよう - 坂井豊貴の雑記置場

    自分のことは自分で決めたい。この意志を「自分たち」に適用したとき、それは自分たちのことは自分たちで決めたいという、デモクラシーを求める心理の基盤となる。だが自分だけで決めることと、自分たちで決めることには、大きな違いがある。一と多の違いだ。 多数の異なる意見から、一つの決定を導かねばならない。満場一致は理想的だが、それを実現するのは容易でない。延々と話し合いをしても決着は付かない、全員が納得する結論にはなかなか至らない。ではどうするか。 だから多数決をするのだ、と簡単に話を切り上げてはいけない。多を一に結び付ける方式、集約ルールは、多数決だけではないからだ。むしろ多数決はさまざまな集約ルールのなかでは、かなり出来が悪い。 有名な例を挙げよう。2000年のアメリカ大統領選挙では、共和党のブッシュと民主党のゴアが、二大政党の擁立する主要候補だった。事前の世論調査ではゴアが有利だったが、途中で「

    そろそろ多数決の危険性を直視しよう - 坂井豊貴の雑記置場
  • 「大阪都構想」選挙への雑感 - 坂井豊貴の雑記置場

    大阪都構想」というか、大阪市解体選挙は、もちろん固唾を呑んで結果発表を見ていた。私は住民投票じたいには肯定的だ。もっと日で色々な直接選挙ができるようになったらいいと思う。今回は僅差で否決された。そして、こんなものは政策でなく政治だから、否決されてよかったと心底思う。 橋下氏は多数決と民主主義を混同している。いたずらに多数決を尊重するのは単なる多数決主義(マジョリタリアニズム)であり、それは「私たち」をどうにか尊重しようとする民主主義とは、ひどく異なるものだ。そして民主主義の根幹、統治者と被治者の一致において最も重要なのは、「私たち」をシュミット的な「敵・友」に分断させぬよう、どうにか合意形成を探ることだ。もちろんそれは果てしなく面倒くさくて楽しくないうえ、劇場性に欠けるのだけれど。 橋下氏が敗戦会見で「民主主義は素晴らしい、戦を仕掛けて負けても命を取られない」のように言っていた。だが人

    「大阪都構想」選挙への雑感 - 坂井豊貴の雑記置場
    maangie
    maangie 2015/05/19
    ぶこめも
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