何かを語ること、何かを書くことは、それがどのような内容であろうと、それについて肯定することを意味し、またそうであるがゆえに、同時に、語った内容とは別の何かについて沈黙すること、ないしは拒絶することを意味する。つまり、一言でいえば、語る、ということは、別の何かについて沈黙することである。さらに言えば、語るということは、聞き手が持っているかもしれない言葉を聞かない、ということも意味している。 だから、わたしが未来について語るとき、それは逆に、過去について、目や耳を閉ざすことを意味するし、また、逆もそうである。過去について語る者が、同時に未来を語ることはできない。ひとは、ヤヌスではない。もともと語るとはそういうものであり、だからそれについて嘆いても仕方がない。 そこから帰結するさらに重要なことがある。「わたしのいる現在」が過去と未来を分かち、あるいは作り出し、どちらか一方にだけ目を開くのだとして
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