次の論文の準備で下記の本を読んだ。 伊藤 邦武, 1997, 『人間的な合理性の哲学―パスカルから現代まで』 勁草書房. 私のように合理的選択理論に親しんでいるものにとって、「合理性」とは、行為の属性である。つまり、合理的な行為とか、非合理的な選択といった概念は理解できるが、合理的な期待とか、非合理的な知識といった概念にはあまりなじみがない。しかし、認識論における合理主義のように、思想史的には、合理性とは人間の認識の属性であるという考え方のほうが歴史が古いのだろう。ちなみに認識における合理主義とは、イギリス経験主義と対立的にとらえられるもので、われわれの知識の源泉は経験ではなく、理性にあるとする立場である。われわれの個々の経験はあやふやだが、数学をはじめとしたわれわれの理性的な思索を通して得られる知識は確実であると考える。このような合理主義に与しなくても、合理的な考え方、とか、合理的な判断
コメント欄からサルベージして加筆修正。 1928年の『憲法論』におけるカール・シュミット自身の「institutionelle Garantie」なる言葉は、「何かを制度的に保障する」のではなく、「何らかの制度を保障する」という意味である。 この場合の「制度」の中に基本権は入らない。シュミットの解釈によるワイマール憲法はあくまでも市民的法治国、リベラル・デモクラシーの憲法であり、その主眼は基本権である。ただし基本権、ことにその中核たる個人の自由権は前国家的、超国家的権利であり、国家によって保障されるまでもなく存在しており、国家はただそれを承認し保護するだけである。 それでは「institutionelle Garantie」において保障されている制度とは何かと言うと、このような意味での個人の基本権ではないにもかかわらず、ワイマール憲法によって実際に保障され、特別の保護が与えられているいくつ
Disclaimer このブログは高広伯彦の個人的なものです。ここで述べられていることは私の個人的な意見に基づくものであり、私の雇用者には一切の関係はありません。 Powered by Movable Type 3.17-ja « どじょうはあと何匹いるのか? | Main | 利用してる人が、自らからんでくれて、楽しんでもらえるもの・それがインタラクティブでありエンターテインメント。 » October 07, 2006 “セイコーウォッチ「ルキア」、東阪でテレビCMやめネットに”に見る、心配事。 ■セイコーウォッチ「ルキア」、東阪でテレビCMやめネットに注力 (エキサイト ウェブアド タイムス) 1)そもそも、この商品自体がテレビ向きではなかったのではないだろうか? 2)確かに「ネットは欠かせない媒体」だけれど、それと同時に、ネットは非常に“接触させにくい”媒体である。だから、テレビ
ロシアとグルジアの間で緊張が高まっているとの報道がある。(参照1)反露的とされているグルジアのサーカシビリ大統領の政権弱体化を狙っているとされている。元々グルジアはその面積や人口規模に見合わずソ連・ロシア史に多くの影響を残す人物を輩出しており(参考:Wikipedia)しばしばロシア人に感情的な対応をさせる背景ともなっている。グルジアが検討しているとされるNATO加盟などとんでもないという所であろうか。 その一方でラブロフ外相のポーランド訪問が報じられており(参照2、参照3)課題が山積しているものの、ロシアが関係修復の動きを見せているらしい。合わせて考えるとなかなか興味深い。 グルジアと違ってロシアはポーランドのことを尊重していますよと言う意図があるかどうかはともかく、外交交渉の本命はこちらかなと思えなくも無い。これはこの付近の報道(参照4)を見るとロシア外交としてはNATOの拡大を防ぎた
今晩のNHKニュース。お茶の水女子大の耳塚寛明教授グループの研究結果をレポートしたものだが、微妙に趣旨がねじ曲げられている。 耳塚教授の調査結果に付いては、日経新聞に耳塚教授ご自身が書いておられたので承知している。これは「世帯の教育費支出金額によって子どもの成績が左右される」ということであった。もちろん調査報告書にはいろんな数字が書かれているのでNHKが「世帯の所得金額で成績が決まる」というのも嘘ではない。でも、耳塚教授の調査の主眼点は、あくまでも「教育支出の絶対額の差で成績が決まる」というものであった。 一見同じようなことを言っているように見えるが、全く別のことを言っているのである。これ次第で、導きだされる政策課題の方向が全く別のものであるからだ。 なぜNHKは耳塚教授グループの趣旨を微妙に改ざんしたのか。それはNHKの政治的スタンスからだ。 NHKが言うように「所得次第で成績が決まる」
【教えてくん】コミュニティーなのです。 なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ 子供の能力を見るには親を見る。 昔、知り合いが某有名私立大学付属の小学校の面接に受かったのですが、 そのときに言っていた話です。 ・子供の学習能力の潜在能力を見抜くのは短時間では出来ない。 ・多少、算数が出来たり、言葉は知ってても、いずれ誰でも出来るようになる。 ・子供を面接したって、たいして違いなんかない。 そうすると、子供を教育する親の考え方や育て方のほうが、 評価しやすいわけです。 子供に学習意欲を持たせたり、学習することを当然のことであると 認識させる状況を作れる家庭環境があれば、 潜在能力がいかに低かったとして、 義務教育レベルならきちんとこなせるようになるわけです。 というわけで、その知り合いは、 「子供の面接といいながら、実は親を見てるんだよ。」 と言っ
横ネタなのだが、北朝鮮に対する声明案を安保理で起案する際にボルトンさんがロシアの大使に対してかなり怒っていたららしいというのを先週読んでいたのだが、ロシアの大使だけでもないらしいというのを今日偶然発見したのでメモ。 「冗談でも言うな」「安保理は分裂」 声明案で米大使 http://www.asahi.com/special/nuclear/TKY200610050249.html これを受けたチュルキン大使が中国の努力を評価したうえで「影響力のある国がもう一つある。米国はなぜ直接協議に応じないのか」と発言した。 これに怒ったボルトン氏は「すでに6者協議の一環でやっている」と応じ、激しく反論し、言い合いとなった。米朝協議に言及したことをチュルキン氏が「冗談だった」と弁明しても、ボルトン氏は怒りが収まらない様子。議長である日本の大島賢三・国連大使が「安保理の結束が大切なので、今日はこの辺で」と
ワークショップ―偶然をデザインする技術 作者: 中西紹一,松田朋春,紫牟田伸子,宮脇靖典出版社/メーカー: 宣伝会議発売日: 2006/09メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 60回この商品を含むブログ (19件) を見る 自然淘汰説に対立する「木村学説」(有利でも不利でもない中立的な遺伝子変異の蓄積が、偶然的な機会にマッチしたときに生き残ってゆく)にワークショップをなぞらえて、「中立変異」の生成こそがワークショップの特質だと主張する。 ポストペットの企画書は、「自分が欲しいからみんなも欲しいだろう」というスタンスで書かれていた。マーケットへの言及は皆無だった。 ピクニックは本来社交の場であり、ホストとゲストのない平等な集会。対して、キャンプは軍隊の行動スタイルが基盤になっており、労働とその役割分担を通じて仲間意思を共有しようとする。ワークショップはピクニックに似ている。 討議と実
正直に言うと、中国生活は私に合わないなと思う今日この頃。別に中国が嫌いとか好きとか、そういう問題ではなくて(実際、現時点で私は中国が嫌いではない)、ただ肌が合いそうもないと直感的に思う。生活に慣れたら、この第一印象も修正されることになるかもしれないが。中国語は全く話せないし、理解できないし、中国についてもあまり関心がなかったので、中国に関する知識もそれほどない。おまけに、仕事もうまくいかないとなると、日々ストレスがたまっていく。もしかすると、いわゆる五月病というやつかもしれない。少々鬱気味。―― そんな自分と中国の関係を見つめ直してみて思ったのは、いかに日本では自分がルールに守られてきたのかということだ。ルールはなんでもいい。たとえば、電車に乗るときは、降りる人が優先で、乗る人はあとからとか。そのような日常生活のルールだ。こうした些細なルールでも、それを守って生きていけば、けっこう楽に生き
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日本国憲法50年と私 作者: 杉原泰雄,樋口陽一出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1997/04/28メディア: ハードカバーこの商品を含むブログ (1件) を見るパラっとめくって、奥平康弘「ある憲法追憶」だけを。メモ代わりなので長文引用スマソ。 GHQ関係者による憲法制定秘話というTV企画で来日したケイディス大佐 そのとき一緒に来日したベアーテ・シロタ・ゴードンの憲法制定作業へのかかわり具合は、現代日本のフェミニストたちの強い関心の的になり、彼女の果した役割はフェミニストたちのあいだで高い評価を受けはじめていた。そんなこともあって、当時の日本マスコミの扱いは、どちらかというとケイディスを脇役にした観がある。しかし、1945−46年当時の憲法改正作業状況に即していえば、ゴードン(略)がいたるところで述懐しているように、民政局内にあっては、ケイディスは他に並ぶ者なき最高責任者であり主役そ
いろいろなものが私の処理能力を超えていてヤバい。とりあえずひとつづつ片付けつつ夜食。 Rewriting the Soul: Multiple Personality and the Sciences of Memory 作者: Ian Hacking出版社/メーカー: Princeton University Press発売日: 1998/08/03メディア: ペーパーバックこの商品を含むブログ (14件) を見る記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム 作者: イアンハッキング,Ian Hacking,北沢格出版社/メーカー: 早川書房発売日: 1998/04メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 22回この商品を含むブログ (36件) を見る4章と10章における転回点について再考: http://d.hatena.ne.jp/contractio/20041005 http:/
日本ロック雑誌クロニクル 作者: 篠原章出版社/メーカー: 太田出版発売日: 2004/12メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 37回この商品を含むブログ (29件) を見る面白い。 扱われている雑誌は、『ミュージック・ライフ』、『ニューミュージック・マガジン(現、『ミュージック・マガジン』)』、『フォークリポート』、『ロッキング・オン』、『宝島』(関川誠時代)、『ロック・マガジン』。それらの雑誌を通じて、ロックと文化にかんする言説の移り変わりを読む。とくに中村とうようと『ニューミュージック・マガジン』と渋谷陽一『ロッキング・オン』の対比は面白い。全く両極端にみえる両者だが、吉本隆明を媒介としてみたら結構似ているって指摘など。中村とうようの「研究的」態度から、渋谷、松村の「わたし語り」に移行していくあたりは、瓜生吉則氏が指摘するマンガ言説の70年代における変容(瓜生吉則「マンガを語
「私はダリでしょう?」 ダリ展(http://www.fujitv.co.jp/events/art-net/go/315.html)にいってきました。シュルレアリスムはフロイトから大きく影響を受けたと言われるように無意識的です。ダリの絵は一見、抽象的な絵なのですが、感性的というよりも思考的です。隠し絵や暗示絵など考え抜かれてつくられています。ラカン風にいえば、シュルレアリスムは言語のように構造化された芸術表現と言えるかもしれません。 さらにダリの絵は、心身二元論的であるのかもしれません。その特徴は、身体は物体化されて、ものの中にはめ込まれる感じで描かれることが特徴的です。すなわちその全体からの映し出される心に対して、器質身体は疎外されています。 たとえばダリの「家具栄養物の離乳」(http://www.fujitv.co.jp/events/art-net/go/315_large05.
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