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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/ced (22)

  • インターネットについて - 哲学的考察 - 雑記帳

    身体性という言葉を見かけたので、それに言及したについて2003年7月26日に作成した読書録をリサイクル。再読する余裕が今はないので、とりあえずそのままのかたちで残しておく。今読んだら感想もだいぶ変わるのだろうな……。 序論 ドレイファスのこのでの一貫した見方は、「身体性」という言葉に要約できる。 私は哲学者なので、インターネットの具体的な使用法の良し悪しを論じる立場にはない。私の問いはもっと思弁的な、次のような問いである。もしネットがわれわれの生活の中心となったとしたら、つまり、ハーバード大学ケネディ・スクール学長のジョセフ・ナイが「魅力的な新たな文化」と呼ぶものが実現するとしたら、どうなるのだろうか。生活のかなりの部分をサイバースペースで送るようになるにつれて、われわれは、人間を超えることになるのだろうか、それとも人間以下になるのだろうか。 これらの問いを考える際、次のような可能性が

    インターネットについて - 哲学的考察 - 雑記帳
  • 市民を標的としたテロはわりにあわない、というお話 - 雑記帳

    岡田斗司夫の「「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)」は、現代社会においていかに世界征服が非現実的であり、かつわりにあわないかを、PDACサイクルを用いつつ分析した良書*1。これまでTV番組やアニメで登場した様々な「悪の組織」の問題点を指摘しつつ、なぜ彼らが世界征服を実現できないのかを淡々と語る彼の口調が面白くて仕方なかった。目的と方向性を失った「悪の組織」へのコンサルティングという視点から読んでも面白い。死ね死ね団の件では思わず爆笑してしまった。 三菱総研編「全予測2030年のニッポン―世界、経済、技術はこう変わる」のp34-36に「昆虫が兵器になる日」と題したコラムがある。2006年3月からDARPAが昆虫をサイボーグ化し、爆弾の発見や偵察に使うという研究プロジェクトが始まったとのこと。蛹の段階で昆虫にMEMS(Micro Electro Mechanical System

  • ヒット商品を最初に買う人たち――なぜマニア≠イノベータなのか - 雑記帳

  • The Comedy of the Commons - questioning the law of economics - 雑記帳

    下記の文章は2003年12月に作成したものをそのまま掲載。The Long Tail: Why the Future of Business is Selling Less of Moreの著者、Chris AndersonがThe Economics of Abundanceについて自身のBlogで語り始めたことで、この話題について日でも語られることが今後多くなっていくのだと思う。 なお、この文章の前に私が書いたものにubiquitous Creative Commons - cultivating the field of private use、GPL or Creative Commonsがある。 社会科学としての経済学は他の社会科学の学問が総じてそうであるように、後追いの学問でしかない。過去に起った様々な事象から理論化が可能な部分を抽出しモデルを組み立てる。経済学のこれまでの営

  • 若者が《社会的弱者》に転落する - 雑記帳

    経済新聞2007年3月26日朝刊15面に「新卒採用、日清戦争後広がる」と題して、日における新卒採用の大まかな歴史が書かれている。これまでの新卒採用の流れを俯瞰するのにちょうどいいと思ったので、ここにメモしておく。 「新卒採用、日清戦争後広がる」 今年も新入社員を迎える季節がやってきた。日の大企業は卒業前の大学生を選考し、採用するのが一般的だが、こうしたやり方はいつから始まったのか。 大学生を定期的に採用する企業が現れたのは一八九〇年代の半ば、日清戦争のころとみられている。三井物産や日郵船などが始めた。当時は大学生が現在よりも少なく、企業に就職するよりも、官僚になるのが一般的だった。企業側は十二歳くらいの子供を採用し、そろばんなどの実務を学ばせながら事務職員として育成するといったやり方で、人材を確保していた。 しかし日清戦争後に海外でのビジネスが急拡大すると、「外国語の教育を受けた

  • 安保闘争 - 雑記帳

    学生時代の講義メモ。情報が古い可能性あり。 岸内閣と国民の間での意識のズレが結果として1960年の安保闘争を引き起こす結果となった。彼は戦前型の政治で日の舵取りを行なおうとした最後の政治家でもあった。岸は安保条約の改定を行なったが、その方法が国民に不信感を募らせることとなる。彼が行なおうとした安保条約改定はあくまで日の利益を優先したものであって、必ずしも日戦争状態に巻き込もうと意図するものではなかった。旧安保条約では全土基地方式が採用され、日防衛の義務の欠如や内乱条項、そして安保条約の期限が指定されていないなど、日にとって不平等な内容が記されていた。岸はあくまでこういった不平等を是正するために改定を行なおうとしたのである。確かにそれはあまりに日にとって有利な内容であったことから、裏に密約があったのではないかとの噂もあった(実際に密約があったことは一部確認されている)。しかし、

  • 戦争論 - 雑記帳

    2002年当時に作成した読書メモ。 前半はこれまで様々な知識人が論じてきた戦争についての論議を総括している。ここに著者のオリジナリティはなく、読書感想文的な色合いが濃い。学術書というよりも戦争論を学ぶ人のための入門書といったところ。ただ、必要と思われる重要人物がほぼ網羅されているので、ここに出てくる人物のを読めば、戦争観に関する勉強はかなり楽になると思う。強調は引用者による。 興味深いのは後半。冷戦後の内戦と、20世紀末の戦争の議論は、他の論者と違った視点もあって面白い。全体的に、クラウセヴィッツとベネディクト・アンダーソンに対する言及が多いのが特徴。 「戦争政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない。」(p3) クラウセヴィッツの『戦争論』からの引用。このにはこういったかたちでの引用が数多くある。 戦争とは、政治、経済、文化等々がからみあっている歴史的な文明の構

  • インタラクティヴ・マインド - 雑記帳

    以前読んだ時の読書録。前半部分については理解に苦しむ面が多いものの、このの面白さは、p164以降の「バベルの図書館」論とインターネット批評にあると思う。 図書館という知の秩序は、ある意味で、資料という質感に対する愛着で成り立ってきたとも言える。その愛着によって、図書館が引き受けるあらゆる古典的な知の秩序が、連綿と継承されてきたとも言える。ところが、コンピュータやコンピュータ・ネットワークの拡大により、物理的な質感への愛着だけでは知の秩序を構想できなくなってきた。ディジタル信号で記録された映像やハイパーテキストといった電子化された資料のように、メディアに備わったロゴスへ翻訳された資料には、介入の余地を与えるというこれまでにない能力が用意されているのだ。 従来の書物への「介入」の方法は限られている。に線を引くとかコピーを取るとか、せいぜいその程度である。紙のメディアはこれまで五〇〇年あまり

    インタラクティヴ・マインド - 雑記帳
  • ハーバーマスの社会理論 - 雑記帳

    以前読んだ『ハーバーマスの社会理論 (SEKAISHISO SEMINAR)』で印象に残った部分のメモ。 『公共性の構造転換』の基主張は、一方で、十七世紀から十八世紀に成立した「市民的公共性」の理念、すなわち「論議する公衆」が担う公論(世論)の政治的機能を分析しつつ、他方で十九世紀末以降の社会国家的発展によって公共性が変質し、今や崩壊しつつあることを論証しようとするものである。市民的公共性は、資主義の自由主義的時代における国家と社会、あるいは公共圏と私的領域との分離を基盤とし、その対立を市民社会の側から国家権力に媒介するものとして成立した。ところが後期資主義の国家介入にともなって、「社会の国家化がすすむとともに国家の社会化も貫徹することになり、今やこの弁証法が、社会と国家との分離という市民的公共性の基盤をしだいに崩壊させてゆく」(SdÖ,226:一九八頁)。ハーバーマスは、市民社会に

    ハーバーマスの社会理論 - 雑記帳
  • 日本近世における自力救済について - 雑記帳

    以下は、2003年に作成した「江戸時代 権利意識 公共性」というエントリの元になった文章。 日人の文化に自力救済という概念は存在していなかった、あるいは法意識の概念そのものがない、といった考え方は、山内進の『決闘裁判―ヨーロッパ法精神の原風景 (講談社現代新書)』を読んでヨーロッパには決闘(私闘)による救済手段が存在していたが、紛争そのものを嫌う日人の文化にそういった作法は存在していなかったのだろうという思い込みや、川島武宜の『日人の法意識 (岩波新書 青版A-43)』にあるような日人の権利意識の欠如といった知識が自分の考え方の根底にあったからだった。しかし日の近世やそれ以前の時代にも自力救済の仕組みはあった。『近世民衆の教育政治参加 (歴史科学叢書)』では藤木久志の議論を引用し以下の6つに分類している(p195)。 鎌を取る 中人の介入 近郷の合力 刈田以下の生産の破壊 合戦

  • イノベーターのジレンマ - 雑記帳

    イノベーター(イノベーション)のジレンマについてのメモ。原著は"The Innovator's Dilemma"なのに、邦訳が『イノベーションのジレンマ』となっているのはなぜだろう……。 The Innovator's Dilemma (The Management of Innovation and Change Series)の内容をまとめると、次のようになる。innovationには2種類ある。sustainable technology(持続的技術)とdisruptive technology(破壊的技術)。sustainable technologyはそれまであった技術に改良を加え、さらに便利にしたものであり、disruptive technologyはそれまで存在していなかった革新的な技術を投入すること、とでも要約できると思う。 ChristensenはSカーブという考え方を元

  • 民主主義 - 文部省著作教科書 - 雑記帳

    民主主義──文部省著作教科書は、上巻が1948年10月30日、下巻が1949年8月26日に刊行され、文部省著作教科書として実際に1953年まで中学生及び高校生の社会科教科書として使われていたものを復刊したもの。この国が終戦後、民主主義をどのように捉えていたかを考えるにはかなり参考になるであるはず。はしがきに感銘を受けたのでそのまま抜粋。 はしがき 今の世の中には、民主主義ということばがはんらんしている。民主主義ということばならば、だれもが知っている。しかし、民主主義のほんとうの意味を知っている人がどれだけあるだろうか。その点になると、はなはだ心もとないといわなければならない。 では、民主主義とはいったいなんだろう。多くの人々は、民主主義というのは政治のやり方であって、自分たちを代表して政治をする人をみんなで選挙することだと答えるであろう。それも、民主主義の一つの現われであるには相違ない。

    民主主義 - 文部省著作教科書 - 雑記帳
    microtesto
    microtesto 2007/01/14
    戦後民主主義を知るために。
  • デモクラシーとは何か - 雑記帳

    デモクラシーの起源、直接民主主義と間接民主主義の違い、ポリアーキーという概念の提示、そして現代のデモクラシーの抱える問題点などについて述べられた良著。強調は引用者による。 古代ギリシアは、今日わたしたちが考えるような意味での国ではなかった。つまり、すべてのギリシア人が、唯一の政府をもった単一国家に住んでいたわけではないのである。それどころか、ギリシアは、数百にのぼる独立した都市国家からできており、それぞれの都市国家には、その周囲に田園地帯が広がっていた。ギリシアの主権国家は、アメリカ、フランス、日をはじめとする近代国家、すなわち、近代世界の大部分を支配してきた国民国家と違い、都市国家だったのである。いちばん有名な都市国家は、古典古代の時代からずっと、アテナイである。…… デモクラシー、つまりデモクラティアということばは、ギリシア人 - おそらくアテナイの人びと - がつくりだした造語で、

    デモクラシーとは何か - 雑記帳
  • 近代を語る視線と文体(「講座社会学 1 理論と方法」に収録) - 雑記帳

    『講座社会学〈1〉理論と方法』に掲載されている佐藤俊樹の「近代を語る視線と文体」のまとめ。 まず著者は、近代化論が現在「解体 deconstruction」に向っていると述べる(p65)。理論系での議論は今も行なわれているものの、実証系研究では近代化論は最早影響力を持ってはいない。「理論と実証の乖離」(p65)こそが「解体 deconstruction」を物語っているのだという。この論考では、何故このような乖離が起こってしまったのかを検証している。著者は近代化をここで以下のように定義している。 (※戦後社会学においては)近代化は「(A)ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの(B)big bang」として、すなわち(A)共同体性の優位する社会形態から個人性の優位する社会形態へ、(B)社会の主要な制度領域で同時的に変化がおきると考えられている。これを以下、古典的近代化モデルとよぶことにしよう。

    近代を語る視線と文体(「講座社会学 1 理論と方法」に収録) - 雑記帳
  • 議会制民主主義の土台となるもの - 雑記帳

  • 「社会システム」は何でありうるのか - 雑記帳

    以前「ことば」というエントリを書いた時にも引用した、「理論と方法(Sociological theory and methods)」2000年Vol.15に収録されている佐藤俊樹の論考「「社会システム」は何でありうるのか」より。 ルーマンのシステム論が成立しないならば、従来のシステム論や社会の一般理論はもっと成立しない。 例えば、行為―コミュニケーションの事後的成立という事態はパーソンズのシステム論には出てこない。論理実証主義的―物理学的モデルでは、そもそもこの点を考えることができないからである。行為―コミュニケーションの事後成立性=他者依存性ゆえにルーマンのシステム論が破綻するのであれば、行為を素朴に同定できると考えてきた従来の行為論やシステム論は全て、そのはるか手前で破綻する。少なくとも現時点で比較すれば、ルーマンのシステム論はこの事後成立性=他者依存性を最もよく考えている。 わかりや

  • 引用・編集・オリジナリティ - 雑記帳

    季刊・とコンピュータ (第2期13(2004秋号))に掲載されている小熊英二の文章は、オリジナリティや引用について考える上で重要なものだと思ったのでメモ。 ある作家と対談したときに述べたことだが、私は小説を書こうと思ったことがない。作家や詩人とは、世界に対して根的な違和をつきつけるような、存在感のある言葉を自分で創れる人なのだと思う。私は自分ではそういう言葉は創れないので、過去の言葉の集積のなかから、現代に生きる人間にとって衝撃力のありそうな言葉を集めて編集することによってをつくる。いわば、「言葉の高み」に上昇するにあたって、作家や詩人は自分自身にジャンプ力のある人だから自分で跳ねればよいのだが、私はジャンプ力がないので、石ころや木片を集めて足場にしているのである。 そのような引用に満ちたを、どのような方法で執筆(ないし編集)するか。もっとも理想的な場合には、「ここであの引用を使い

  • 国際政治とは何か - 雑記帳

    3年前に書いた読後録のリサイクル。京都大学の高坂正堯教授の弟子にあたる中西寛の国際政治学概説*1。著者の国際政治観はリアリズムに立脚しているが、このではそのリアリズムの限界を何とかして克服しようとする努力が成されている。著者は「仮想の地球社会」と呼ぶ昨今の流れに対して批判を行なっている。 序章 国際政治への問い ……私は、英米の偽善を暴くことには急でありながら、その批判が自己の立場への反省にではなく、むしろ自らの立場を正当化する論拠となった点に戦前日の国際政治観の弱さを見る。日は、英米の偽善を指摘する点で自らがより高い道徳的立場に立っていると主張した。真の平和、真の解放の唱道者は自分だと主張した。しかしその一方で、自己の国益を主張し、その立場を正当化するにあたってはきわめて無造作であった。それは一言で言って独善的な態度と言えるものであった。(p7-8) 国際政治においては必要や正義に

    microtesto
    microtesto 2007/01/02
    後で何か書くかも。
  • 日本型「教養」の運命―歴史社会学的考察 - 雑記帳

    教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』(→読後録)では教養主義がテーマとなっていたが、それと並行し存在していたのが修養主義だった。『日型「教養」の運命―歴史社会学的考察』では修養主義と教養主義の両方を分析しているので、『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』に欠けていた修養主義について知るのに丁度良い(一応p171-172で言及しているものの、修養主義に竹内洋は重きを置いていない)。教養主義と修養主義は同じ「哲学・歴史・人文学を中心にした人格の完成を目指す態度」(『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』 p40) であるが、広辞苑を引くと修養は「精神を練磨し、優れた人格を形成するようにつとめること」とあり、書物よりも精神の方を重視していたようである。実際、修養主義は得てして人格崇拝を伴っていた。だから半ば必然的に修養主義は宗教

    日本型「教養」の運命―歴史社会学的考察 - 雑記帳
  • 高学歴社会の大学―エリートからマスへ - 雑記帳

    以前書いた読後録のリサイクル。大学が大衆化するにつれて起る変化を、エリート型大学、マス型大学、ユニバーサル型大学という三つの段階に分けて検証している。このが出版されたのは1976年だが、その時点で既に大学のマス型化、ユニバーサル型化は問題になっていたということになる。 訳者のあとがきに、このの要約を表にまとめたものが掲載されている(p194-195)。このに納められている3つの論文で繰り返し説明が成されているため、この表を見たほうが理解が早いかもしれない。 高等教育制度の段階エリート型マス型ユニバーサル型 全体規模(該当年齢人口に占める大学在学率)15%まで15%以上〜50%まで50%以上 該当する社会(例)イギリス・多くの西欧諸国日・カナダ・スウェーデン等アメリカ合衆国 高等教育の機会少数者の特権相対的多数者の権利万人の義務 大学進学の要件制約的(家柄や才能)準制約的(一定の制度

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