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メディア論とsociologyに関するmn_krのブックマーク (2)

  • 大黒岳彦『〈メディア〉の哲学』 - 20060919 - 日曜社会学

    はたのしんすけ先生のご教示を請う。 http://kyoto-edu.bne.jp/~althusser/blog/index.php?no=r188 みっともないのは−補足を兼ねて [‥] たとえていえば、構築主義に対するエスノメソドロジーの「ゲリマンダリング」批判のようなもの、ってかえってわかりづらいか。その批判は*その*立場からすれば確かに当たっているのだが、批判された側からすれば「so what?」というしかない、という一方向性。それでも批判者はそこしかよりどころがないのだから、どうしても「片思い」になる。 [‥] [188] はたの (2006/09/07(Thu) 00:48:49) (´ι_` )..... その、エスノメソドロジストによるOG批判(なるもの*)の場合、「そこ」ってのはどこですか? * 具体的には、誰による-誰に対する 批判のことを指しているのでしょう? 氏に

    大黒岳彦『〈メディア〉の哲学』 - 20060919 - 日曜社会学
  • 広告β:広告が環境に溶けていく日

    しばらく前から自分はゲームについてのを読みあさっている。それは私がゲーマーであるからではなく、何となくこれからの広告の道を示唆する何かがゲームというものに潜んでいると考えていたからだ。もちろんそれはテレビゲームの中に企業名を仕込むとか、そういうことではない(いわゆるゲーム内広告)。もっと大きなところで、広告のメッセージ構造の転換があると考えている。 とても示唆的な言葉が斉藤由多加氏の著書「ハンバーガーを待つ3分間の値段」に書かれていたので、長いけれども抜粋する。 ゲームの企画者の意志やメッセージはどこに表現されているのでしょうか。それは、実は、「枠組み」そのものに込められているのです。(中略)『シムシティー』というゲームはシミュレーションのお手というべき名作です。(中略)悪化した住環境を改善するには・・・?その答えは「公園を作ってやる」ことです。(中略)このゲームのプレイヤー達はや

    mn_kr
    mn_kr 2008/05/06
    “社会学文脈で言われる「規律訓練型権力」から「環境管理型権力」への変化”|コメント欄より、アフォーダンス理論=「環境と知覚(認知)の連動性」に近接した事態ではないかとの指摘
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