すいませんね立ち読みで。 最後の方で新井素子の「小説は作者のためでも読者のためでもなくキャラクター達のためにこそ書かれねばならない」なる見解が肯定的に引かれているがこれは『…絶句』のことか? 読んでいないのでわからないですよ。 それだけについていえば『オタクの遺伝子』著者としては全面的に賛成するのでありますが、いわゆる「純文学」と「エンターテインメント」の違いがここに引っかかってきませんかね。 質とか志の問題を脇に置いて即物的に両者の違いをいうと、書き手としての作者の屈託や自意識が露骨にしかし自覚的に投入されるのが「純文学」でいいんじゃないの? 「私小説」ではそれがあからさまになるだけで、私小説でなくともたいがいのいわゆる「純文学」には、主人公であったりいわゆる視点キャラであったり、とにかく「書き手」「語り手」としての自意識がはっきりとある(客観的にいえば過剰な)キャラがだいたい登場します
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