タグ

ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (8)

  • 『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)を読んで私が感じた最大の不満は、同著が90年代後半以降のサブカルチャー作品を多数採り上げ、漫画『DEATH NOTE』を新時代の「決断主義」を象徴的に描いた作品として詳しく取り扱いながら、同時期に漫画界のトップランナーであり続けた作品であり、『DEATH NOTE』と同じ『週刊少年ジャンプ』に連載されている『ONE PIECE』への言及を全くと言っていいほど含んでいないことであった。 当ブログではこれまで『DEATH NOTE』と『20世紀少年』を採り上げ、ともに正義にまつわる問題との関連で論じたことがある。両作品を比すと、前者よりも後者の方が思想的な重要性が大きく、内容もより複雑であったが、『ONE PIECE』は内容において両作品よりも遥かに明快でありながら、思想的には最も尖鋭な領域にまで踏み込んでおり、三作の中で最重要の作品と言って

    『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground
  • 数学を勉強することの意味――「1+1」の思想 - on the ground

    勉強することの意味を尋ねられたらどう答えようかな、などとはよく考えることがあるけれども、今日は特に数学に限定して考えてみようか。先日、数学を勉強するのは論理的思考を養うためだという旨の説明を横耳で聞く機会があって、それも一つの説明だろうなとは思いながら、ただそれだと国語との差別化が難しくなるだろうと感じていた(実際、その人は数学≒国語だと結論したのである)。 他の説明(説得?)の仕方としては、数学は現に「必要」になるし「役に立つ」んだということを示す方法や*1、数学は意味など無くても単純に楽しいものなんだよと見せつけるアプローチなどがあるのだろう*2。ただ、これらは誰にでも当てはまるわけではないという意味で、論理的思考の訓練であるという説明に比して汎用性は低いように思う。そこで、一種のトレーニングのためであるという説明の方向性を維持しつつ、国語とは区別された数学の独自性を損なわない形で論を

    mn_kr
    mn_kr 2009/09/25
    “数学を勉強することで養成されるのは、「モデル化」の思考 […] じゃあ、それらは一体何の模型なのか。「現実」の模型である、というのが答え”|一方でその「モデル化」の思考について問い直す契機を持つこと。
  • 確率の前と後 - on the ground

    東浩紀が福嶋亮大にインタビューを受けた「オルタナティブの思想」『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』(講談社BOX、2007年)から(初出2006年)。 じゃあおまえはなぜ一回性とか確率とか言うんだ、というと、これはちょっと難しい話で、僕もよく言語化できません。そのうえで言うとこんな感じです。つまり、人生が百万回くらいあったとする。永劫回帰です。みな人生は一回しかないから貴重だと思っているわけだけど、当はそうじゃない。それで、僕の人生はすでに十回繰り返されていて、いまがその七回目だとする。僕の哲学というのは、その七回目の人生は七回目なりにグッドエンドを目指そう、みたいな感じなんです。僕が『ファウスト』の原稿で言いたかった一回性は、そういう一回性です。無数の反復のなかの一回。 こんなことを言うとバカにされそうだけど、僕のポストモダンの二層構造とか、ああいう話の根底にあるのは当に美少女ゲ

    確率の前と後 - on the ground
  • 世界を変えることはできますか?――社会科学的説教ないし説教的社会科学入門 - on the ground

    10代の少年少女にふと、「世界を変えることはできますか?」と尋ねられたとして、私ならどう答えるか――。 「できるかできないを訊くな。今の君には、そんなことを考える必要は無い。 当に世界を変えたいなら、まず何をどう変えたいのかを考えることだ。何でそう思うのかをハッキリさせろ。 その次に、どうやったら変えられるのかを考えろ。そして、それを知るために勉強しなさい。」 もちろん、「できない」と答えてもいい。しかし、それは必ずしも正確な答えではないし、その答えで納得して引き下がるような相手なら、最初から答える価値も無い。誰かに「できない」と教わったら変えようともしない人間は、別に気で変えたいとも思っていないということだ。そんな奴、真剣に相手にするだけ時間の無駄である。 世界を変えることはできない。変えることができるのは、自分だけだ*1。私たちにできるのは、自分の変化や行動を通じて世界に働きかけ、

    世界を変えることはできますか?――社会科学的説教ないし説教的社会科学入門 - on the ground
    mn_kr
    mn_kr 2009/04/04
    “変えることができるのは、自分だけだ*1。私たちにできるのは、自分の変化や行動を通じて世界に働きかけ、何らかの影響を及ぼそうとすることだけである”
  • 投票自由論――選挙など行っても行かなくてもいい - on the ground

    昔、「選挙へのエゴイズムの見解(試論)」というものを書いた。次の衆議院議員選挙がいつになるのか分からないが、選挙における有権者の行為/不行為に伴う責任について、改めてまとめた確定版を書いておきたい。 デモクラシーの精神に忠実であることを自負する人々は、有権者がその権利を行使することは議論の余地無き「善きこと」であるかのように、投票を勧める。他方、アナーキストの多くは、投票行為そのものが現行の政治体制と国家権力を承認し、生き長らえさせるものであるとして、選挙への不参加を呼び掛ける。 しかしながら、選挙に行こうが行くまいが、それは自由である。ここで自由であると言うのは他者から責めを受けるいわれは無いということであり、それは現在の行動についても、その将来に生ずる帰結についても同様である。そしてこれは、民主政を支持するか否か、民主主義を支持するか否か、どのような民主主義を支持するか否か、などの問題

    投票自由論――選挙など行っても行かなくてもいい - on the ground
    mn_kr
    mn_kr 2009/03/24
    責任を問われはしない(行かなくてもOK)が、非常事態(ダメな政権)には各人が〈決断〉して投票することが求められると思う。責任の有無といったメタな意味づけはいいので、とにかく行動せざるを得ないみたいな。
  • 事実・想像・理論と、その周辺 - on the ground

    1.「言説を紡ぐ/に対する態度」の補足として。 北田 さっきの脳の話で言うと、斎藤環さんがお怒りになっていた「ゲーム脳」論がありました。斎藤さんの反論はおそらく正しい。しかし、問題は斎藤さんを無条件に支持する人たちです。たぶん斎藤さんを支持する人たちの多くにとっては、斎藤さんの反論は当は専門的すぎてわからないはずなんです。しかし、とにかく「知の欺瞞」の臭いがしたものに対しては徹底的に叩くということになってしまっている。[中略]デリダもドゥルーズもちゃんと読んだことはないけど、こんな偉い自然科学者たちが批判してるらしいから、これはもうダメなはずだ、と。人文学的な解釈ゲームに対する違和感が、そのまま「反人文主義」へと直結し、ゲームを終結させてくれる自然科学的な言説への無条件的な信頼へと直結する。デリダの言ってることもソーカルが言っていることも実は同じぐらいよくわからないんだけれども、ソーカル

    事実・想像・理論と、その周辺 - on the ground
    mn_kr
    mn_kr 2008/07/09
    精神分析の「正しさ」(の時代‐条件規定性)について
  • 東的国家観について - on the ground

    大澤真幸『逆接の民主主義』(角川書店:角川oneテーマ21、2008年)の酷書評を書こうかと思ったのだけれど、それより東浩紀のエントリに触れた方が面白そうだし、生産的な気もするので、そうする。過去のエントリも含めて挙げる。 シンポに向けてのメモ http://www.hirokiazuma.com/archives/000361.html シンポに向けてのメモ2 http://www.hirokiazuma.com/archives/000362.html 信頼社会は不安社会よりいいのか? http://www.hirokiazuma.com/archives/000394.html 東・萱野・赤木・宮台・安藤馨あたりを絡めてまとまったエントリを書こうと試みたことは何度かあるが、その度に挫折している。おかげであちこちに断片的なメモ書きが溜まって困っている。あいにく負債をきちんと処理すること

    東的国家観について - on the ground
  • 後藤さんの宮台批判について - on the ground

    これも書き付け程度に。断片的な言葉をめぐって誰かと応酬するのは嫌なので、この件については考えがまとまるまで一切書かないのが賢明だと思っていたのだが、考えをまとめるために時間を確保する見込みが当分無いし、誰だか知らないが何となしに催促されている気がするので、後日のための目印のつもりでエントリを立てることにした*1。 俗流若者論ケースファイル85・石原慎太郎&宮台真司 http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2007/08/85_1c26.html (宮台真司への)絶望から始めよう――「現代の理論」発刊に寄せて http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2008/01/post_fe9b.html 『現代の理論』掲載の論文は未読なので*2、ブログに限ってのことになるが、

    後藤さんの宮台批判について - on the ground
  • 1