最近、僕の哲学科時代の事を聞かれる機会がよくあるのですが、恐らく当時の哲学科学生時代の自分は相当浮いていただろうと思います。なにしろずっと寮に閉じこもってプログラミングをしているかバイクを飛ばして禅寺に出掛けてるかみたいな日常でしたので。 そもそも立命館の哲学科を目指した理由は極めてミーハーでして、その頃京都に仮寓していたデビッドボウイと逢いたい!と思ったからなのですね。実際、京都錦小路で買い物をしているボウイの姿が週刊誌にスクープされたりとかしていました。大島弓子のマンガに出てくる哲学科のオニーサンが非常に格好良かったという刷り込みもあったのですけど。 それはともかく、少し勉強しただけで「西洋哲学はニーチェで終わり」「その先にあるのは東洋哲学、東洋的合理主義にこそ可能性がある」「ライプニッツは易=タオイズムの論理学を普遍言語計画用のシステム言語へ応用しようとしたらしい」なんてことを妄想し