落語家の三遊亭円楽さん 肺がんで死去、72歳 脳梗塞から8月高座復帰も…がん治療再開した矢先に
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『笑点』で三遊亭円楽が「いま日本は本当に民主主義国家ですか?」とヘビーな問いかけ! 炎上に怯まず安倍政権批判貫く 政権忖度が横行するテレビ界にあって、政治風刺ネタに踏み込むことで知られる『笑点』(日本テレビ)。一昨年には、安倍応援団から一斉に攻撃を受け、大炎上したが、当人たちはまったく怯んでいないらしい。 年明け、1月26日放送回でも、三遊亭円楽がどストレートな安倍政権批判ネタを披露したのだ。しかも、2連発だった。 最初に飛び出したのは、大喜利の定番、即興で3行詩をつくるお題でのこと。このお題は、回答者が、「1」「2」「3」の数字を文頭に置いたフレーズを答えるというものだったが、いの一番に手をあげた円楽は、まず「我々の代表であります、政治家の皆さんにお聞きしたいと思うんですが」とネタふり。春風亭昇太が「なんですか?」と問いかけると、円楽は逆にこう問い返したのだ。 「1.いまの 2.日本は本
脳梗塞によりリハビリを続けている落語家の三遊亭円楽(72)が11日、東京・永田町の国立演芸場で行われた『8月中席』で高座復帰した。 【画像】車いすに乗り報道陣からの質問に答える三遊亭円楽 出番を終えた円楽が取材も受けた。現在の体調を問われると円楽は「体調はまぁまぁだけど、高次脳機能障害っていうのが。難しいのはよくわからないけど」と短期記憶障害があることを告白した。しかし、落語家として現役であり続ける。「ありがてぇなとおもったのは長期記憶で昔覚えた落語は忘れてないんだよ。それはスゴいなと思った。しゃべっていると、なんとかストーリーで出てくる」と感謝しながら「これなら、まだまだ。みっともない形でもやれる。スタッフも『みっともなくても構わないからやりましょう』と言ってくれる。しがみついてでも」と力強く語っていた。 板付きで高座に上がった円楽の目には涙が。手ぬぐいで涙をぬぐいながら「みっともなくて
テレビの演芸番組などで長年活躍した人気落語家の三遊亭円楽さんが30日、肺がんのため亡くなりました。72歳でした。 三遊亭円楽さんは、1950年に東京で生まれ、青山学院大学在学中に五代目三遊亭円楽さんのもとに入門し、「楽太郎」を名乗って落語家の道に進みました。 早くから話芸が高く評価され、27歳の時に民放の演芸番組「笑点」のメンバーに抜てきされると、毒舌のキャラクターで親しまれ、中でも桂歌丸さんとの掛け合いは長年にわたり番組の名物となりました。 テレビでの活動とともに、精力的に独演会を重ね、古典落語を独自にアレンジした演目などで人気を集めて31歳で真打に昇進しました。 その後、先代の引退を受けて、還暦を迎えた2010年に、六代目「三遊亭円楽」を襲名しました。 2018年には、初期の肺がんであることを公表し、その翌年には脳に腫瘍が見つかるなど、治療を続けながら入院と高座への復帰を繰り返していま
タレント伊集院光(54)が、30日に落語家の三遊亭円楽さんが亡くなったことに、事務所を通じて以下のようにコメントした。 ◇ ◇ ◇ 17歳の時に、学校にも行かずふらふらしていた時分に、師匠に拾っていただき、人間にしてもらいました。その後、僕は古典落語の道を諦め、紆余曲折あったものの「お前が俺を尊敬してるうちは弟子を名乗ったらいいさ」と温かい言葉をいただき、師弟関係を続けさせていただきました。 ここ数年は、円楽伊集院光二人会を開催するなど、夢のような時間を過ごすことができました。「回復したら博多と札幌でまたやろうぜ」と約束していたのに、この文章を大人としてきちんとした定番の追悼の言葉でしめるべきなのでしょうが、まだ頭の中が整理できず、まとめることができません。もう少し心の中で師匠と会話をしてから、いろいろ話させてください。 伊集院光 ◇ ◇ ◇ 伊集院は、198
昨年9月に肺がんのため死去した落語家・六代目三遊亭円楽さんの弟子で、二ツ目の三遊亭楽㐂(さんゆうていらっきー)が1日、自身のツイッターを更新し、落語家を廃業することを発表した。 【写真】生前の三遊亭円楽さんらと並ぶ三遊亭楽㐂 楽㐂は「廃業のお知らせ」として文書を投稿。理由として「僕は落語が好きで落語家になったわけではなく、円楽が好きで円楽の弟子になりました。優しい一門会でしたので、他のお師匠様の所へ行けば落語家で居させていただけたとは思いますが、円楽の弟子ではなくなります。真打ちまで頑張るのが親孝行だと思いますが、頂いた楽㐂という名前を変え、別門下の弟子を名乗る事は僕には出来ませんでした」と、円楽さんへの深い敬意と愛情をつづった。 さらに、約10年前、円楽さんに会いたい一心で麻布十番のバーでアルバイトをし、念願叶って弟子入りにこぎつけたことなども述懐。「師匠、おかみさん、感謝しかありません
落語家・三遊亭円楽(71)とタレント・伊集院光(53)が落語会を行うことが25日、分かった。6月13日に東京・有楽町よみうりホールで「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」として昼夜2公演を行う。昨年、円楽がTBSラジオ「伊集院光とらじおと」にゲスト出演した際に、提案し実現にこぎつけた。 伊集院は、84年に17歳で円楽(当時・楽太郎)に入門し、「楽大」を名乗った。88年に二ツ目に昇進したが、師匠に内緒で出演していたラジオ番組で売れて、90年に廃業し、タレント活動に専念していた。 円楽は「落語が好きな芸能人はいっぱいいる。みんな味方だし、(落語をやる芸能人には)やってくれて『ありがとう』だと思っている。伊集院には『売れたんだから落語をやれよ。俺は喜ぶよ』と言ったら、乗ってきてくれた」と話した。伊集院との関係も「俺は破門にしていない。勝手に廃業しただけ。『休業でもいい』と言っていた」と変わらぬ師弟関係
日本テレビの長寿演芸番組「笑点」の大喜利メンバーとしてお茶の間の人気者だった落語家の六代目三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・會泰通=あい・やすみち)さんが30日、肺がんのため死去した。72歳。東京都出身。所属事務所が同日、公式サイトで報告した。22年1月に脳梗塞を発症し、リハビリを重ねて8月に高座復帰を果たしたが、軽度の肺炎でダウン。その後肺炎は軽快し肺がんの治療を再開した矢先に、帰らぬ人となった。 【写真】今年8月、高座に復帰した際に、車椅子で会見する三遊亭円楽さん 所属事務所は「8月下旬の入院以降、肺炎は軽快し、肺がんの治療を再開した矢先のことでした。遺族、関係者一同、大変急なことで、今はまだ悲しみに向き合うこともできず、対応に追われております。葬儀は近親者のみで行わせていただき、後日、お別れの会を催す予定でございます。関係者のみなさまへは改めてご案内申し上げます」とした。 8
12日10時から発売開始された「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」(6月13日、昼夜公演)のチケットが秒殺完売。さっそく10倍前後の値で転売サイトに掲載され、SNSで嘆きの声があふれている。 6代目円楽と伊集院というただでさえ人気の2人に加えて、ゲストとして昼はナイツ、夜は爆笑問題が出演。プラチナチケット化必至の面子が揃い、ネットで発売開始するや即「予定枚数終了」に。その後、チケット転売サイトにこの公演のチケットが多数掲載され、1枚5000円のものが、4万円~7万円で売りに出された。 SNS上では「秒で売り切れたのか…」「10秒で完売とか草」「発売開始直後にアクセス集中でログインできなくなり完売」「取れなくてダンナの機嫌が悪い」「転売ヤーが10倍で売ってる。許せない!」といった嘆きの声や高額転売する人への不満の声があふれた。 円楽の弟子の楽大も「チケットを両親の為に取ろうと発売開始の10時にな
一病息災 日本テレビ系「笑点」でおなじみの落語家、三遊亭円楽さん(71)の肺がん体験について、「一病息災」(新聞記事をヨミドクターで再録)コーナーで紹介しましたが、さすが一流の噺家(はなしか)さんなので、病気の体験とはいえ、興味深い話題とニュアンスのある話しぶりは魅力的でした。記事からこぼれ落ちてしまったお話をボツにしてしまうのはもったいないので、ここで紹介します。(聞き手・渡辺勝敏、写真・宮崎真) 円楽さんの肺がんは、2018年夏に検診で見つかり、10月に手術を受けて、1週間で高座に復帰しました。ところが、翌19年7月には、脳とリンパ節への転移が見つかり、脳の腫瘍にはガンマナイフという放射線治療を受けました。その後、キイトルーダという最新の免疫療法薬の治療を毎月続けています。脳転移はなくなり、リンパ節の転移は縮小。治療直後から高座に復帰し、「笑点」でもゴルフ焼けした元気な姿を見せています
日本テレビ系「笑点」の大喜利メンバーとしても知られる落語家三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)さん(本名会泰通=あい・やすみち)が30日、肺がんのため亡くなった。72歳。葬儀は近親者で執り行い、後日、お別れの会を行う。 8月下旬に軽度の肺炎で入院したが、所属事務所によると軽快し肺がんの治療を再開したばかりだった。 ◇ ◇ ◇ 毒舌と腹黒キャラでお茶の間に親しまれた円楽さんの晩年は、病との闘いだった。18年に初期の肺がんで手術を行い、19年には脳腫瘍が見つかった。今年1月には脳梗塞を発症し5月まで入院した。 リハビリ中だった円楽さんは8月12日、国立演芸場の8月中席で203日ぶりに高座復帰した。涙をぬぐいながら「みっともなくてもいい。死ぬまでやります」と宣言、大きな拍手を受けた。 中席10日間のうち4日間出演、同20日の千秋楽で「目薬」を口演したのが最後の高座となった。車いすでハンド
タレント伊集院光(54)が、30日に落語家の三遊亭円楽さんが亡くなったことに、事務所を通じて以下のようにコメントした。 ◇ ◇ ◇ 17歳の時に、学校にも行かずふらふらしていた時分に、師匠に拾っていただき、人間にしてもらいました。その後、僕は古典落語の道を諦め、紆余曲折あったものの「お前が俺を尊敬してるうちは弟子を名乗ったらいいさ」と温かい言葉をいただき、師弟関係を続けさせていただきました。 ここ数年は、円楽伊集院光二人会を開催するなど、夢のような時間を過ごすことができました。「回復したら博多と札幌でまたやろうぜ」と約束していたのに、この文章を大人としてきちんとした定番の追悼の言葉でしめるべきなのでしょうが、まだ頭の中が整理できず、まとめることができません。もう少し心の中で師匠と会話をしてから、いろいろ話させてください。 伊集院光 ◇ ◇ ◇ 伊集院は、198
春風亭小朝落語家、桂文珍(73)と春風亭小朝(66)が5日、東京都内で行われた日本テレビ系「笑点」(日曜後5・30)の収録に参加。先月25日に脳梗塞で入院し、療養中の三遊亭円楽(71)の代役をそれぞれ務めることが分かった。 複数の関係者によると、この日は翌6日放送回を含め3回分を都内で収録。6日は円楽の代役を立てず、来週の13日に文珍、再来週の20日に小朝が登場するという。 文珍と小朝は、円楽がプロデュースする落語会に出演するなど親交が深く、盟友のためにひと肌脱いだようだ。 また、この日、新型コロナウイルスで療養していた春風亭昇太(62)と林家たい平(57)が今月に復帰後、同番組の収録に初参加し、元気な姿を見せた。
今、AMラジオリスナーでちょっとした話題になっているのが、三遊亭円楽師匠と、その弟子タレントの伊集院光の関係です。 ラジオでの共演から、落語の二人会開催が話題になり、会のチケットは即完売。 そんな今注目の(元)師弟が毎週水曜日に放送している『三遊亭円楽と伊集院光のマクラ』がとっても面白いんです。 もともとの師弟関係から、二人会を開催するまで 伊集院光さんは、その昔元々三遊亭楽大という名前で二つ目まで進んだ落語家だったのですが、 師匠に内緒でラジオパーソナリティになったことが、大師匠である五代目三遊亭圓楽の怒りを買い、それがもとで落語家廃業となった経緯があります。 しかし、伊集院さんはラジオ番組での師匠との共演を経て、一門会のゲストとして招かれたりと交流が復活。 自身のラジオ番組でゲスト出演した師匠の呼びかけで、「二人会をやろう」と呼びかけられ2021年6月に落語の二人会を開催します。 落語
× 474 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 147 308 19 シェア 三遊亭円楽が死去したことを受け、「笑点」(日本テレビ系)で共演した林家木久扇、三遊亭好楽、三遊亭小遊三、春風亭昇太、林家たい平のコメントが日本テレビを通じて発表された。 所属事務所の株式会社オフィスまめかなは、本日9月30日に三遊亭円楽が肺がんのため72歳で死去したことを報告。今年8月下旬の入院以降、肺炎は軽快し、肺がんの治療を再開した矢先のことだったという。葬儀は近親者のみで行われ、後日お別れの会が催される予定。 ※記事初出時より、桂宮治のコメントを追記しました。 林家木久扇 コメント訃報に接し、突然なことなので悲しみというより・・・表現の仕様がありません。私のことを「おじさん」と格別に呼んでくれていたお付き合いでした。がっかりです・・・安らかにおや
テレビの演芸番組「笑点」の大喜利レギュラーメンバーとして広くお茶の間で親しまれ、落語イベントのプロデューサーとしても手腕を発揮した落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・会泰通=あい・やすみち)さんが30日、肺がんのため亡くなった。72歳。 青山学院大在学中の1970年、五代目円楽に入門。72年に楽太郎として前座となった。まだ二つ目だった77年、27歳で大喜利レギュラーに抜てきされた。 78年に大師匠の六代目三遊亭円生が落語協会を脱退した際には、師匠と共に従った。翌年の円生没後も五代目円楽一門は協会に復帰せず、大日本落語すみれ会(後の五代目円楽一門会)として、独自の道を歩むことになった。
タレントの伊集院光が12月2日、都内で行われた、師匠の六代目三遊亭円楽さんのお別れの会に出席した。会の中で、六代目三遊亭円楽一門の顔ぶれを紹介する役目を担った。 現役の円楽さんの弟子が紹介役をしない理由を「激しい跡目争いがある」とブラックジョークで説明しつつ、一人ずつ一門の落語家たちを紹介した。 さらに、落語に再び取り組むにあたり、円楽さんに「圓生百席」をもう一度聞くように言われた際の経験から、師匠の教えを弟子が受け継ぎ続ける限り「師匠・円楽は生き続ける」と思い至ったことを明かした。 伊集院は、円楽さんがパーソナリティーを務めていたラジオ番組「三遊亭円楽のおたよりください!」をアシスタントとして途中から支え、円楽さんが亡くなった後も、アシスタントの立場のまま番組に出演し、看板を守っていた。12月5日からは、「伊集院光のおたよりください!」に番組名を変えて引き継いでいくことになっている
肺がんのため亡くなったことが発表された、三遊亭円楽さん(72)。突然の訃報に、三遊亭円楽さんの弟子・伊集院光さんが追悼のコメントを発表しました。 【写真を見る】伊集院光さん 師匠・三遊亭円楽さんを追悼「師匠に拾っていただき、人間にしてもらいました」 【伊集院光さん コメント】 17歳の時に、 学校にも行かずふらふらしていた時分に、 師匠に拾っていただき、人間にしてもらいました。 その後僕は古典落語の道を諦め、紆余曲折あったものの 「お前が俺を尊敬してるうちは弟子を名乗ったらいいさ」と温かい言葉をいただき、 師弟関係を続けさせていただきました。 ここ数年は、円楽伊集院光二人会を開催するなど、 夢のような時間を過ごすことができました。 「回復したら博多と札幌でまたやろうぜ」 と約束していたのに、この文章を大人としてきちんとした定番の追悼の言葉でしめるべきなのでしょうが、 まだ頭の中が整理できず
Published 2022/09/30 18:45 (JST) Updated 2022/10/01 09:44 (JST) テレビの演芸番組「笑点」などで人気の落語家三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名会泰通=あい・やすみち)さんが9月30日、肺がんのため死去した。72歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。後日、お別れの会を開く予定。 1970年、五代目円楽さんに入門。楽太郎として活動し、77年には27歳で「笑点」の大喜利メンバーに。81年に真打ちに昇進した。2010年には六代目円楽を襲名した。 18年に初期の肺がんを公表し、手術を受けた。19年には脳腫瘍の診断を受け、一時入院。今年1月25日には脳梗塞で入院していた。
リンク スポニチ Sponichi Annex 落語家の三遊亭円楽さん 肺がんで死去、72歳 脳梗塞から8月高座復帰も…がん治療再開した矢先に - スポニチ Sponichi Annex 芸能 日本テレビの長寿演芸番組「笑点」の大喜利メンバーとしてお茶の間の人気者だった落語家の六代目三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・會泰通=あい・やすみち)さんが30日、肺がんのため死去した。72歳。東京都出身。所属事務所が同日、公式サイトで報告した。22年1月に脳梗塞を発症し、リハビリを重ねて8月に高座復帰を果たしたが、軽度の肺炎でダウン。その後肺炎は軽快し肺がんの治療を再開した矢先に、帰ら… 461 users 4744 ORICON NEWS(オリコンニュース) @oricon 落語家・三遊亭円楽さん 肺がんのため死去 72歳 8月に高座復帰も容体悪化 oricon.co.jp/article
テレビの演芸番組「笑点」の大喜利レギュラーメンバーとして広くお茶の間で親しまれ、落語イベントのプロデューサーとしても手腕を発揮した落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・会泰通=あい・やすみち)さんが30日、肺がんのため亡くなった。72歳。 青山学院大在学中の1970年、五代目円楽に入門。72年に楽太郎として前座となった。まだ二つ目だった77年、27歳で大喜利レギュラーに抜てきされた。 78年に大師匠の六代目三遊亭円生が落語協会を脱退した際には、師匠と共に従った。翌年の円生没後も五代目円楽一門は協会に復帰せず、大日本落語すみれ会(後の五代目円楽一門会)として、独自の道を歩むことになった。 (略) 2010年には六代目円楽を襲名。17年には落語芸術協会の客員となり、寄席に出演する足がかりを築いた。 落語界の「外交官」を自任し…(略)、仕掛け人として才を見せた。 (略) 18年に肺が
今年1月に脳梗塞で緊急入院し、当初は2月いっぱいまで治療に専念することを発表していた落語家の三遊亭円楽(72)。 「当初、コロナ禍の病院側の体制もあり、家族も面会できない状態が続いていたが、現在は感染対策をした家族は面会できるようになった。所属事務所の社長も、ズームで話しているそうです」(演芸関係者) 円楽の事務所スタッフ、5人中4人が円満退社 治療期間の見積もりはその後大幅に伸び、最新の事務所発表によれば今年7月まで。 屋台骨、稼ぎ頭の円楽が倒れたことで、所属事務所も対策を迫られているという。 「社長と5人のスタッフで運営していたのですが、近々4人が辞めることになるそうです。リストラではなく、希望退職を募ったという形です。全員を集めた席で、事情説明があったと聞きました。働いている人も、円楽師匠がいなければ事務所が同じ体制で持つわけがないと考えていたようで、事情を察した人が自分から辞めます
タレント伊集院光(54)=写真=には、三遊亭円楽(当時は楽太郎)の下で「三遊亭楽大(らくだい)」を名乗り修業した時期がある。若くしてラジオでブレークし別の道に進んだが、今も「師匠」「弟子」と認め合う。弟子だから知る、円楽の魅力とは。 (聞き手・谷岡聖史) 僕は高校二年から不登校になり、落語を聴くようになった。大師匠の先代円楽につてがある親戚がいて、面白いと思っていた師匠に会わせてもらったら「明日から来いよ」って。稽古は「この二十秒間にギャグがない理由はこうだ」と理論派で、お客さんを引き込む声の調節とか、ギャグは何パターンに分類できてそれを掛け合わせるとかが、自分にフィットしました。 ただ、二つ目時代に内緒でラジオ出演したことが発覚した。「弟子が勝手やってるらしいな」と言う大師匠に、師匠は「やらないと分からないバカなんで」と取りなしてくれたそうですが、僕は落語に行き詰まり、人間関係のストレス
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脳梗塞を発症し、リハビリを続けていた、落語家の三遊亭円楽さんが11日、およそ7か月ぶりに高座に復帰し、持ち前の毒舌を生かしてリハビリ中のエピソードなどを披露し、会場を沸かせました。 三遊亭円楽さんは、ことし1月に脳梗塞で入院し、退院したあとリハビリを続けていて、11日から東京 千代田区の国立演芸場で始まった公演で、およそ7か月ぶりに高座に復帰しました。 幕が上がって冒頭、円楽さんは「ここまで帰ってきました。みっともなくてもいいから死ぬまでやります」と涙を拭いながら話したうえで「ICUから3度目の帰還です。みんな歌丸が悪いんだ」と、4年前に亡くなり、親交の深かった桂歌丸さんを冗談交じりに話題に出し、笑いを誘っていました。 また、入院中はさまざまなテレビ番組を見ていたとして「見ていておもしろくないのが『笑点』だ」と、自身が出演していた番組をあげると、大きな拍手と笑いが起こっていました。 円楽さ
落語や笑いというのはもともと、民衆が権力を茶化し、笑い飛ばすというのが本分だったはずだ。実際、以前のお笑い番組には、政治家や政府を揶揄するようなギャグ、風刺などが普通に盛り込まれていた。それが、この程度の政治風刺で「偏向」などと攻撃されて炎上する状況になってしまったのだ。 この状況はもちろん、安倍政権と安倍応援団の圧力がもたらしたものだ。第2次安倍政権以降、政権批判報道だけでなく、バラエティからも政治風刺がどんどん少なくなり、政権批判をするようなタレント・芸人は「芸人風情が政治を語るな」「偏向タレントを出演させるな」という攻撃を受けて、テレビから干されるようになってしまった。 そして、逆に安倍政権を擁護するお笑い芸人が跋扈し、情報番組のMC やコメンテーターにやたら起用されるようになった。落語界からも、野党批判を連発し安倍政権をアシストすることで有名な立川志らくがワイドショーのMCに抜擢さ
news.yahoo.co.jp news.yahoo.co.jp 三遊亭円楽さんとアントニオ猪木さんが、立て続けにお亡くなりになりましたね。 どちらも、病気と最後まで戦いながら、笑いそして勇気を忘れなかった。そんな印象です。 笑いを届けてくれた人、そして元気を届けてくれた人が、立て続けにお亡くなりになるというのは、悲しいものがありますね。 ですが、お二方とも、泣いて見送るよりも、元気で明るく見送ってあげたほうが良い。そんな気がします。 お二方が、健やかに天国で過ごせますように。 コロナやら、物価の高騰やらで、何かと暗い日本ですが、今こそ、私たちは、元気や明るさを取り戻すべきなのかもしれません。 ここまで読んでくださり、ありがとうございます! よろしければ、ブックマーク、ツイート、読者登録などしてください。 にほんブログ村
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1937(昭和12)年、東京日本橋生まれ。落語家、漫画家、実業家。 56年、都立中野工業高等学校(食品化学科)卒業後、食品会社を経て、漫画家・清水崑の書生となる。60年、三代目桂三木助に入門。翌年、三木助没後に八代目林家正蔵門下へ移り、林家木久蔵の名を授かる。69年、日本テレビ系「笑点」のレギュラーメンバーに。73年、林家木久蔵のまま真打ち昇進。82年、横山やすしらと「全国ラーメン党」を結成。92年、落語協会理事に就任。2007年、林家木久扇・二代目木久蔵の親子ダブル襲名を行ない、大きな話題を呼ぶ。10年、落語協会理事を退いて相談役に就任。21年、生家に近く幼少の頃はその看板を模写していた「明治座」で、1年の延期を経て「林家木久扇 芸能生活60周年記念公演」を行なう。「おバカキャラ」で老若男女に愛され、落語、漫画、イラスト、作詞、ラーメンの販売など、常識の枠を超えて幅広く活躍。「バカ」の素
富山・高岡市議としても活動している漫才コンビ「母心」の嶋川武秀(44)が、4月9日投開票の富山県議選に高岡市選挙区から立候補する方針を固めたことが16日、明らかになった。 嶋川は21年10月の高岡市議選に初めて立候補。過去の同市議選で記録した最多得票の2.5倍を超える1万1604票を獲得しトップ当選していた。4年の任期途中での県政への挑戦に嶋川は「一番はスピード。地方の課題として、どんどん人口減少が激しくなっています。スピード感をもって対策を打たないと歯止めがかからない状況です」と説明。「水を必要としてる人に水を届けるには、蛇口をたくさんひねらないといけない。(現状は)偏りがあるというか必要な人に届かない。そのためには“元栓”を開けに行かなければならない。それは県政だったり国ですよね」と生活に必要な水に例えて理由を語った。 高岡市議として、不妊治療の助成制度を“改革”。助成の申請まで1年以
落語家の三遊亭円楽(71)が、きのう25日に脳梗塞のため入院した。26日に所属事務所が報告した。 【写真】新メンバー桂宮治初登場の『笑点』にも出演していた三遊亭円楽 書面では「昨日、1月25日に、弊社所属の落語家・三遊亭円楽が、脳梗塞のため入院いたしました」と報告し「現在も治療を続けております。本人の意識はありますが、治療が続いていることと、オミクロン株の感染状況から、家族の面会もままならないため、弊社でも詳細を把握しきれておりません」と説明した。 続けて「命に別状はない、ということと、新型コロナ感染症とは関連がないということは確かですので、ご報告申し上げます」と記し「復帰の時期は、現時点では未定となっております・直近の落語会等、出演させていただくことができないイベントが重なっておりますため、まずは不十分な情報でのご報告となりますことをお許しください」とした。 詳細については「わかりました
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