逆名🌈🕊️🏳️🌈🏳️⚧️ @sakana6634 【領(えり)のはなし】古代女性装束篇ダイジェスト(1) ブログには、埴輪とかの領って盤領とも方領とも違うんではないだろうか、いまの和装のようなまっすぐな襟ではないのでは?という仮説を書いています。 pic.twitter.com/KrhL09ScEj
出雲国風土記(733年)で「朝酌渡(あさくみのわたり)」と記される渡し場があったとされる松江市朝酌町の大橋川北岸で、7~8世紀の石敷き護岸跡が見つかった。島根県埋蔵文化財調査センターが23日、古代の船揚げ場などがあった可能性が高いと発表した。 護岸跡は、国土交通省の大橋川河川改修事業に伴う朝酌矢田II遺跡で出土。現在もある渡船「矢田の渡し」の船着き場のそばで、南北11メートル、東西20メートルの調査範囲全体にわたって、人の頭からこぶしほどの大きさの石が人工的に敷き詰められていた。7世紀後半から8世紀末のものと推定される。 石は、5度程度の傾斜のスロープ状に敷かれ、低くなった水際は粒が大きくまばらになっている。同センターは「風土記に記された朝酌渡の一部で、船揚げ場や船着き場、荷揚げ場があった可能性が高い」と説明。「当時の景観や交通史、護岸施設の構築技術を伝える貴重な遺構」としている。 朝酌渡
奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半、円墳)で出土した国内最大の蛇行剣は、クリーニングの結果、剣の特徴である突起がある一方で、刀の特徴であるくさび形の柄頭が付いていたことが分かった。奈良県立橿原考古学研究所と奈良市教育委員会が26日、発表した。 同研究所は「剣と刀のデザインを併せ持つハイブリッド構造だ。古墳時代中期以降に盛んになる刀装具と剣装具はこのようなものから分化していく可能性が考えられる」としている。蛇行剣は30日から研究所付属博物館で初めて一般公開する。 剣身を収めるさやは広葉樹のホオノキ製で、全長約2.5mに復元できる。剣先側のさや尻には、さやが直接地面に付かないように保護するための細長い石突(長さ18.5cm)があり、刀剣のさやでは初確認とみられる。長大な蛇行剣を立てて使用することも想定した構造という。さや尻とさや口には黒漆が塗られ、文様もあった。 また剣を握る柄は全長38cmとみ
──フランスのどちらで生まれ育ったのですか。 フランスの南部にアルビという都市がありますが、そこから車で15分くらいのラバスティード-ガボスという、人口400人ほどの田舎で生まれ育ちましたので、けっこうな田舎者です。 そんな環境でしたので、家族も周りの人も、極東に関する知識はあまりないというか、日本と中国の区別もつかないレベルでした。高校で日本について習ったことはありましたが、本当に関心を持っていたとは言えません。 高校3年生のとき、アルビの書店で『日本語のまねきねこ』という日本語の教科書を見つけ、「面白そうだな」と買いました。最初は独学で、やがて日本の大学で学ぶことになりました。そもそもは日本語という言語に魅力を感じて始めた勉強だったんです。 ──その後、歴史の研究者を志されたわけですが、何か決定的な本との出会いがあったりしたのですか。 いろいろな本を読んで歴史への好奇心が出てきたのです
記事:幻戯書房 『もう一つ上の日本史』と『日本国紀』単行本・文庫版 書籍情報はこちら 2021年11月17日、百田尚樹著『[新版]日本国紀』(幻冬舎文庫)という本(全二冊)が出版されました。三年前に出た同著者による『日本国紀』という本の文庫版で、カバーや帯、版元の公式サイトには「当代一のストーリーテラーによる日本通史の決定版」「知られざる史実と感動の歴史秘話が満載」「満を持して、待望の文庫化!」「大増量150ページ!! 著者こだわりの超大幅加筆により新しく生まれ変わった、令和完全版!」などという、思わず胸が高鳴るような文言が並んでいます。 今年に入り、この文庫本(以下「文庫版」)の刊行予告がアナウンスされて以来、私にはずっとその存在が気にかかってきました。というのは昨年(2020)、『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート 古代~近世篇』『近代~現代篇』という、『日本国紀』(以下「元版
室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界― 作者:清水克行新潮社Amazon最近日本に住んでいるフランス人や中国人YouTuberだったり海外YouTuberの動画をだらだらと見ていることが多いのだが、同時代を生きていたとしても国ごと、コミュニティごとで常識は異なっていて、なんで日本の店はきんきんに冷えた水が出てくるの?? とか、そうした違和感を聞くのがおもしろい。どちらが良い/悪いという話ではなく、どちらにもその土地の歴史や風習と絡み合ったものであって、「は〜そういう考え方があるんだなあ」と当たり前だと思ってきたものを見直すことができる。 で、そうした違和感や驚きを得られるのは、時代が離れた同じ国の中でも同じことである。本書『室町は今日もハードボイルド』は、日本の中世史を専門として『耳鼻削ぎの日本史』や高野秀行との共著『世界の辺境とハードボイルド室町時代』で知られる学者の清
関連まとめ (2024/6/5追記) ここで主にまとめているラム・マイヤーズ氏による弥助に関する情報についてのまとめです。ここでまとめていない情報もまとめられているので、こちらもぜひご覧ください。 まとめ 日本人の知らない珍説が世界中で大拡散!歴史家「弥助は信長の首を守ることで日本の歴史を変えたと見なされてきたのです」ア.. 2019年以降、突如として世界中に拡散した 本能寺 弥助介錯人説&首運搬説 日本でもほとんど知られていないような珍説が なぜ世界中で真実のように語られ始めたのか? 次回『ヒストリアンの罠』 犯人はお前だー (と言いたいところだが功罪あるという印象) ------------------------------------------------ ロックリー氏に対して批判意見を超えた誹謗中傷などは絶対にしないでください。所属団体にも迷惑かけちゃ駄目です。あと本を読んでも
行軍する兵士たちの消費エネルギーから排泄物の量まで計算して「中国大返し」の難易度を検証した『日本史サイエンス』が、日本史ファンの間で話題を呼んでいる。「科学的」に導かれたのは、「中国大返しを実現させた豊臣秀吉は、本能寺の変が起こると事前に知っていた」という意外な結論だった。はたして、秀吉は明智光秀の裏切りを察知していたのだろうか? 「本能寺の変」研究のトップランナーである三重大学の藤田達生教授が、この結論を徹底検証した。 実際の行程を推定してみる 本能寺の変のあと、秀吉が光秀を倒して信長の後継者として認知され、天下の趨勢を決したのが「中国大返し」だった。それは、秀吉が中国地方の毛利氏攻略のため布陣していた備中高松城(岡山県岡山市)から、光秀との決戦の場となった山崎(京都府大山崎町)までの常識を超えた高速の行軍だったとされている。
日本にキリスト教が伝わったのは、戦国乱世まっただ中の天文18年(1549年)に薩摩、今の鹿児島・祇園之洲に上陸したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってであった。 このザビエルからバトンを受け継ぐように永禄6年(1563年)、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが来日すると、ときの権力者の織田信長から布教活動を許されたこともあって、京都や西九州中心にキリシタンが急増した。信長が本能寺で斃れた天正10年(1582年)ごろには全国で約15万人の信者がいたと言われている。 この数字は当時の京都の全人口のほぼ半数に匹敵するものだった。その後、信長の後継者となった豊臣秀吉は最初こそ信長のキリシタン保護政策を踏襲したが、天正15年になり、突然手のひらを返すかのように「伴天連(ばてれん)追放令」を発する。伴天連とはポルトガル語で宣教師を意味するパードレが訛ったものだという。 秀吉にはこのとき、布教
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場する戦国時代の大名、浅井長政が、姉川の戦いで織田信長に敗れたあと京都の寺に送った文書が見つかりました。寺への支配を示す内容で、専門家は、「長政が敗れたあとも京都に影響力を残し、信長にとって脅威になっていたことを示す貴重な資料だ」と指摘しています。 この文書は京都市左京区の寺、勝林院で見つかり、近江の戦国大名、浅井長政の研究を続けている滋賀県長浜市の太田浩司学芸専門監が調べた結果、花押や内容から長政がこの寺に送った「安堵状」と判断されました。 安堵状は、幕府や領主が支配下にある寺院などに対し、領地を保証するために発行したもので、今回見つかった文書には「領地異議あるべからず候」と記されています。 この文書が書かれたのは西暦1570年にあたる元亀元年の11月で、長政はこの5か月前に姉川の戦いで織田信長と徳川家康の軍勢に敗れています。 中世の歴史に詳しい関西学
「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)年名称概要1531年享禄・天文の乱浄土真宗本願寺派の権力闘争である享禄の錯乱。管領・細川晴元が一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文の錯乱。1532年北部九州天文の乱大内氏と大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆が大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前・筑前・肥前を平定した。1533年稲村の変安房里見氏当主・里見義豊が、叔父の里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。1536年花倉の乱駿河守護・今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探と栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳が勝利し今川義元を名乗った。1537年河東の乱北条氏と今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏が武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏が今川領に攻め込み河東地域を占領した。1542
ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー 写真:Werner Forman/Universal Images Group/Getty Images ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子著『大航海時代の日本人奴隷 増補新版』(中公選書)は、書名の通り、大航海時代まっただ中の16世紀――日本では戦国時代――に、多くの日本人がポルトガル商人たちによって世界各地へ奴隷として売られていたことの実証研究をまとめたものである。旧版は好評を得て5刷と広く読まれたが、増補新版ではイエズス会の日本人奴隷取引とのかかわりや、秀吉の朝鮮出兵によって長崎市場が朝鮮人奴隷だらけになったことなどに関する研究を補章として加え、旧版以上に驚くべき内容となっている。 東京大学大学院情報学環(史料編纂所兼任)の岡美穂子准教授に、この時代の日本/日本人の奴隷貿易につい
1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー) 前の記事:120年に一度?凶事の前兆?竹が開花し枯れた > 個人サイト オカモトラボ なぜか福岡県の県名は岡山県内に由来する 都道府県は47あるが、その都道府県の「県名」はそれぞれの土地に由来することがほとんどだ。 しかし福岡県の「福岡」は、他県の、岡山県内にある福岡という場所から付けられたそうだ。 その時は「へー」と思っただけだったが、改めて考えてみると不思議だ。なぜ県名を遠い場所の地名から付けたのか、空間がねじ曲がってつながっていたりするのか。 調べてみようと岡山県内で福岡という地名がある岡山県瀬戸内市(せとうちし)へと向かった。 岡山県の地図でいうと、だいたいこのへんだ。 瀬戸内市は岡山市の中心市街地からおよそ車で50分ほ
700年以上前、鎌倉時代の「元寇」で日本に襲来し、長崎県の松浦市沖で沈没した船のいかりを引き揚げる作業が行われました。 鎌倉時代に中国大陸で支配地域を広げていた元が2度にわたって日本に攻め込んできた「元寇」では当時「神風」とも言われる暴風雨で沈んだとされる元の船が長崎県松浦市の離島、鷹島の沖合の海底で発見され、周辺が国指定の海底遺跡になっています。 1日はこの海底遺跡のすぐそばで確認されていたいかりの一部を引き揚げる作業が行われました。 松浦市の担当者や研究者などが見守る中、水深20メートルの海底から長さ1メートル70センチ余りの木材部分が引き揚げられました。 表面は木目がはっきりしていて石を通していたとみられる穴も確認されました。 松浦市などはいかりに続き、船本体の引き揚げも目指すことにしています。 引き揚げ作業を主導した國學院大学の池田榮史教授は「海面から出して折れたり欠けたりしないか
変わった生き物や珍妙な風習など、気がついたら絶えてなくなってしまっていそうなものたちを愛す。アルコールより糖分が好き。 前の記事:大根のかつら剥きはたった一日でもそこそこできるようになる > 個人サイト 海底クラブ 水位がここまで下がるのは14年ぶり 琵琶湖の水位が低い状態が続いている。 2021年は秋の台風シーズンにたいして雨が降らず、それ以降も降水量の少ない状態が続いているのが原因だ。 基準水位マイナス70センチよりちょっと上のあたりでふらふらする現在の水位。 水位がここまで低下するのは平成19年以来のじつに14年ぶりなのだそうである。 そんなわけで最近の関西では滋賀県知事が連日のように節水を呼びかけ、「琵琶湖の水止めたろか!」という脅し文句が冗談ではすまなくなってきている。 たいへんだ。 歴史をさかのぼれば平成6年にもマイナス123センチという、琵琶湖の底の栓が抜けてしまったのではと
圧倒的支持を受ける学習まんがの金字塔を無料公開! 株式会社 小学館は、新型コロナウィルス感染症拡大による休校要請を受け、家庭学習を行う小・中・高校生への自宅学習支援として、学習まんが『小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史』(全24巻)電子版を無料公開しました。 ▼▼▼全巻無料公開はこちら▼▼▼ 【『小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史』電子版無料本棚ページ https://kids-km3.shogakukan.co.jp/ 【期間】2020年3月11日(水)〜4月12日(日) 「小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史」とは 発売以降、37年間ずっと愛され続け、2020年にはついに累計2020万部を突破した、日本で最も売れている学習まんがです。各巻各章に迫力ある「パノラマ大画面」を使って当時の生活や文化、合戦などの様子を再現。カラーページも多く各時代の様子をリアルに体感できます。 『小
Minoru.Noguchi @rokuhara12212 昨日頂いたこの本を読んでみて、以前から鎌倉時代の後期を専門にされている研究者による鎌倉幕府草創期に関する所論に違和感を感じていたのですが、その理由の一端が分かりました。 この本、史料論のみならず「歴史」とは何かを考えさせる素晴らしい内容。現代の問題意識に満ちているように思います。 pic.twitter.com/O88RMFj5ox Minoru.Noguchi @rokuhara12212 ほかの用務を中断して精読しています。第六章まで読み終えました。 この本は日本中世文学の研究者の著作ですが、間違いなく最高の水準で時系列に沿った形で鎌倉幕府の政治史が語られています。 研究史にのこる新書だと思います。 今週末頃には書店に並ぶとのことです。 pic.twitter.com/NyR3GOXWVH
青森県で出土した遮光器土偶。(「東京国立博物館ホームページ」より) 縄文時代に作られた土偶については「女性をかたどったもの」といわれてきたが、「土偶は縄文時代の食用植物をかたどったフィギュア」――具体的かつ写実的に、植物に手と足を付けて「植物の人体化」をした像であるという仮説を提唱する新刊『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)が話題だ。NHKニュースで取り上げられ、いとうせいこうらが絶賛するなどしている。 いわく、椎塚土偶はハマグリの貝殻や中身に、みみずく土偶は二枚貝のイタボガキに、無数の穴が施された刺突紋土偶はヒエの穂のつぶつぶに似ている――。栗や貝の頭部を持つゆるキャラをつくるようなやり方で縄文人は土偶の形を考案していったのだ、というユニークな見解が示されている。 そんな本の著者である独立研究者の竹倉史人氏とは、一体どんな人物なのか。はたまた発表するや否や巻き起
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1984年大阪生まれ。2011~2019年までベトナムでダチョウに乗ったりドリアンを装備してました。今は沖永良部島という島にひきこもってます。(動画インタビュー) 前の記事:似て非なる海外版マックスコーヒー > 個人サイト AbebeTV おきのえらぶ島移住録 べとまる 大阪城は西日本「石」大会会場 きっかけは一年前に行った大阪城の石垣の取材。 「大阪城は400年前の全国巨石石見本市」より 石垣オブ石垣、大阪城内上位11位の巨石を紹介した。 大阪城の石垣が、デカすぎてすごかったのだ。記事公開後に韓国人の友人に聞いた話で、お父さんと大阪観光してるとき石垣にえらく反応していたらしい。お仕事は土木建築関係。プロの目から見て「400年も前にこんな巨石を積み上げて」というところに驚いた、とのこと。 大阪城=豊臣秀吉のイメージが強いかもしれないが、いや大阪人じゃなければ意外とそれも知られてないかもしれ
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※本記事は『鬼滅の刃』の原作最終回までのネタバレを含みます。 原作未読の方はご注意ください。 (2024年2月18日追記) 本記事の剽窃が発覚しました。詳細はこちらの記事をご参照ください。 はじめに世のなかに鬼の族(うから)は多けれど 人にましてぞ鬼なるはなき ――ソポクレース『アンティゴネー』、第1スタシモン(Soph. Ant. 332-3) (日本語訳は文学研究者の長谷川晴生氏からのご提案に従った) このたび、漫画・アニメ文化にも造詣の深い歴史研究者の二人を招いて、大ヒットが続く『鬼滅の刃』に関するオンライン鼎談を実施した。『鬼滅の刃』はその内容に鑑みて、私一人の力では到底批評できない作品だと判断した。そこで、ある種の「共同研究」として、戦間期の歴史や文化に詳しい二人の専門家を交えて議論を尽くすことにした。三者三様の「言いたいことがあるんだよ」をお楽しみいただけますように。 参加者(
NHK大河ドラマでは秀吉が悪く描かれがちな背景は何か? 江戸時代は一番人気…時代で変わる秀吉の評価 「東洋のナポレオン」とも言える功績について八幡氏が論じる NHK大河ドラマでは豊臣秀吉は悪く描かれることが多い。来年の大河は松本潤主演の「どうする家康」で、秀吉役のムロツヨシさんもまた格好の悪役を演じるかもしれないと言ったら失礼になってしまうか。 若い頃の木下藤吉郎はともかく、天下をとってからの秀吉は、野心と好色と我が子である秀頼への溺愛が空回りして、甥の秀次を殺したり、朝鮮出兵という暴挙をした醜い老人扱いというワンパターンだ。 しかし、秀吉ファンとしては、悔しいので、あの世の寧々が、日本経済新聞社から「私の履歴書」の執筆を頼まれたという想定で、『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス)という評伝を書いてみた(八幡衣代と共著)。小説でないので、嘘は書いてない。あやふやなことは寧々の推測と
福島県内で発掘された出土品としては、最高レベルとされる大発見があった。 全国的に注目されるそのワケとは!? 山の中では“あり得ない”人骨の発見 福島県文化振興財団 遺跡調査部・吉田秀享さん: 第一印象はウソ。ウソだっていうのが第一印象。あり得ないので 訪れた人が食い入るように見つめる、約4,000年前の遺物の貴重な展示。 2020年1月に限定公開された、縄文時代の出土品だ。 貴重な縄文時代の出土品の数々 この記事の画像(10枚) 全国的に珍しいのが、赤い漆が塗られた土器。 「第一印象はウソ」…これがその正体なのか? 発見されたのは、福島・川俣町の「前田遺跡」。 福島県文化振興財団 遺跡調査部・吉田秀享さん: 普通は山の中の遺跡ではあり得ません 山の中ではあり得ない発見、それが「人骨」。 前田遺跡では、40体以上が見つかったという。 しかし、なぜこれが全国的に珍しいのか? 福島県文化振興財団
レターパックで晏嬰亮送れ @mondo_oclt 前もこの話したと思うんだけど、とある史学の教授が鎧武者が出るっていう旅館にわくわくしながら泊まって、翌朝「出るには出たけど当世具足だった…」ってがっかりながら起きてきた話が好きでな リンク www.touken-world.jp 【刀剣ワールド】当世具足①|甲冑(鎧兜)の基礎知識 平安時代から続く「日本式甲冑」は、室町時代末期に転換期を迎えました。今の世を意味する「当世」と、十分備わることを意味する「具足」を呼称としているこの甲冑(鎧兜)は、構造、意匠、素材などにおいて多種多様。ここでは、新様式の甲冑(鎧兜)である当世具足について概観します。 1
[Noah Smith, “Contemporary China vs. Imperial Japan,” Noahpinion, May 2021] おおよそ,両者はてんで別物だ. 東アジアで米中の対立が強まって軍事的な緊張が高まってきている件があちこちで議論されている.そのなかで,かなりよく見かける話に,こんなのがある.「2020年代の中国と1930年代の大日本帝国には,いろいろと類似してる点がある.」 似ていると考える理由は,わかりやすい――どちらも東アジアの国だし,アメリカとの各種関係が悪かった.でも,ほんのいくつかならちょっと似てるところもちらほらあるとはいえ,おおよそこの2つは大違い,別物だ. 相違点は多すぎて,とてもじゃないけど列挙していられない.ただ,そのなかでも大きなちがいが3つある.米中が紛争をおこす可能性を考えるときに,この3つはとりわけ重要だ.で,その3つとは: 統
開始早々から賛否両論が飛び交っている今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。大泉洋が演じるやけに軽いノリで威張り散らす源頼朝や、北条政子をはじめ自己主張の強い女性たち…。当時の人々は、本当に“あんな感じ”だったのでしょうか? 講談社学術文庫の新刊『源氏の血脈―武家の棟梁への道』の著者である中世史研究者の野口実氏が、歴史学者の視点から『鎌倉殿』を読み解きます。 『鎌倉殿の13人』を考える 今年の大河ドラマはおもしろい。一部の研究者からは「ここまで品格のない大河は見たことがない」などという批判も聞こえるが、それは演出上の問題で、ストーリーや社会風俗の考証は相対的にはよく出来ていると思う。 だいたい日本史研究者の中には、歴史に興味をもつきっかけが大河ドラマだったという人が多い。織田信長は高橋幸治、平清盛は仲代達矢、といった具合に、彼ら彼女らの脳裏にある研究対象とする人物や社会の「情景」は、けっこうか
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似鳥鶏 『刑事王子』発売中! @nitadorikei バラエティ番組でよく見る ナレーション「地球の地下70kmにはマントル層という……」 芸人「うん。何言ってるかわからない」 会場(笑い) みたいなのをやめてほしい。お勉強的な事が少しでも出るとすぐ茶化して笑う。こういうのが「分からないことを分かろうとする態度」を視聴者から奪っているのでは。 たか @CMBanisotropy いわゆる頭が良い、学力が高い人のことは差別して良いって世の中の人は思ってますからね 勉強ができないのが普通で、頭が良いのは異常だって信じてますし 知的障害を差別するのは問題になるのに不思議だね twitter.com/nitadorikei/st…
奈良時代の都の中心だった奈良市の平城宮跡で、聖武天皇の娘、孝謙天皇の宮殿とみられる大規模な建物の跡が見つかりました。専門家は「天皇の宮殿の実態をうかがう貴重な史料だ」と話しています。 建物の跡が見つかったのは、奈良時代の都の中心だった平城宮跡の「東院」と呼ばれる地区です。 平安時代の歴史書「続日本紀」の記述などから、天皇や皇太子の宮殿があったとされている場所で、奈良文化財研究所が発掘調査したところ、東西27メートル、南北12メートルの範囲に50本の柱が整然と並んだ建物跡が見つかりました。 建物は高床式の床張りの構造で、屋根にはひわだなどがふかれていたとみられ、発掘調査で見つかった瓦から、奈良時代の西暦749年から770年の間に建てられたものとみられるということです。 規模は平城宮跡内のほかの場所で、これまでに確認されている天皇の住まいに匹敵する大きさです。 奈良時代の歴史に詳しい複数の専門
戦前のいわゆる「天皇機関説問題」で迫害を受けた憲法学者の美濃部達吉の手紙が愛媛県内で保管されていたことが分かりました。手紙はみずからの学説について「迫害を受けることは心外だ」と記され、専門家は当時の美濃部の心境を伝える貴重な資料だとしています。 これは戦前、愛媛県の新聞記者だった曽我鍛に宛てたもので、孫の健さんが自宅で保管していました。 手紙は、美濃部達吉が「天皇機関説問題」で貴族院議員を辞職した翌月の昭和10年10月の日付で、議員辞職について「腰くだけのやむなき事情でざんきの至り」と記し、恥ずかしいことだとしています。 美濃部がとなえた天皇機関説は「天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治権を行使する」という明治憲法の学説で、後に陸軍や議会の一部などから激しい批判を受けます。 これについて、手紙には「学問の身内の権力や暴力のために迫害を受けることはいかにも心外だ。今後も言論の自由の許す
今から1000年の昔の日本は、いったいどのような社会だったのか? 天皇や貴族たちの生活は? はたまた、ドラマに登場する紫式部や藤原道長たちはどのような人物だったのか? 時代考証を担当する倉本一宏氏に、最新の研究成果も交えながら解説してもらった(後編はこちら)。 戦もなく、人々が比較的豊かだった平安時代はもっと評価されていい ――「光る君へ」の時代考証を担当することになった経緯を教えてください 2022年5月に「光る君へ」の内田ゆきチーフ・プロデューサーからご連絡をいただき、作品の内容について相談を受けて、それに応えるという日々が続いていたのですが、そのうちにスタッフのみなさんからも相談を受けるようになって、正式に時代考証を担当することになりました。 お引き受けした理由は、平安時代史、当時の政治状況や後こう宮きゅう(天皇のきさきや女官たち)の情勢、人々の生活を、より多くの方に理解してもらえる
23年前、福島県郡山市の縄文時代の遺跡から見つかり、「猫の頭」のようにも見えるユニークな形がSNSなどで話題になった土製品について、このほど愛称が公募されることになりました。 福島県郡山市西田町鬼生田にある縄文時代の遺跡から見つかった、この土製品は、 ▽幅6センチ ▽長さ5センチ ▽厚さ4センチほどの、 手のひらにのるサイズで、「猫の頭」のようなユニークな形が特徴です。 23年前、2000年に行われた発掘調査で見つかり、これまで市が保管していましたが、4年前に県立博物館で開かれた企画展で展示された際に、その存在が広まり、SNSなどで話題となりました。 これを受けて、市内の遺跡で見つかった出土品の一部を管理・展示している大安場史跡公園が、この土製品の愛称を募集することになりました。 公園によりますと、これまでの調査では、製作されたのが縄文時代だということ以外は分かっていないということで、自由
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