総理大臣と官房長官が全共闘活動家だったという、悪意ある捏造とデマによって、「全共闘」という戦後の政治社会文化の広範囲に一大エポックを刻んだムープメントが、劣勢の表象として貶められるばかりか、かつての活動家からも時勢便乗のなかで自嘲ぎみに揶揄する悪しき風潮が蔓延している。 やっと学究的に対象化されたと思ったら小熊英二のような極めてイデオロギッシュな噴飯ものがでてきて、これまた悪意ある未成熟な運動として貶め、事後的に解釈した実相とは似て非なるムープメントとして後続世代に「公用化」しかねない内容である。 一方体験当事者の経験主義的な特権化(特に党派の総括)による言説は欠陥を晒しているし、それら以外では少数のひとたちのものを除いて、なかなかまともな論述に出会わず不満を抱えていた。 そのなかで、図書新聞2991号,2010年11月27日版に、四方田犬彦と平沢剛の対談が載った。 四方田と平沢の編著によ
他人の葬式や通夜に参列するのは面白い。……なんて言うと語弊があるけれど、通夜のあとの会食などで親族や古い友人から話を聞き、故人の思いがけない一面を知ったという経験は、誰しもあるのではないだろうか。 2008年3月に亡くなった“物書き”草森紳一を偲び、昨年末に<草森紳一回想集を作る会>が自費出版した『草森紳一が、いた。ーー友人と仕事仲間たちによる回想集』(限定1000部)は、通夜の席に故人の友人知人や親類が久々に集まって、昔話でワイワイ盛り上がっているような、そんな趣きの本だ。 草森紳一という人は、60年代から評論活動を始め、マンガ、広告、写真、デザイン、建築、歴史など幅広いテーマで執筆し、70歳で亡くなるまでに50冊近い著書を残した(未完のため本になってない原稿もたくさんある)。マンガやテレビCMなどは、まだまともに論じる人がいなかった頃から積極的にとりあげており、その意味ではサブカルチャ
連載原稿のため『スカイ・クロラ』を観ていたところ、妻と娘が保育園から帰ってきました。帰宅途中に下記のような会話があったとのことです。 さなえ「車に轢かれると死んじゃうこともあるんだよ。気をつけなさい、しおちゃんがいなくなるとママ悲しいから」 汐音「じゃあ、もうひとり産めばいいじゃない」 さなえ「もうひとりって、だれを」 汐音「しおちゃん」 さなえ「……」 いやはや。『スカイ・クロラ』のキャッチコピーといえば「もう一度、生まれてきたいと思う?」だったわけですが、あまりのタイミングのよさに爆笑しました。
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